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前田憲男さんの残した言葉【ジャズピアニスト】1934年12月6日~2018年11月25日

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「リズムが興味があったら、リズムから聴く――ということはやりますね。あと、バッググラウンドがどう動いてるか。メロディは一番最後。どうでもいいの、あれは(笑)」 日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。 大阪府出身。小学校教師であった父より、幼少より読譜を学ぶ。大阪府立桜塚高等学校卒業と同時に、プロのジャズピアニストとして活動を開始。ピアノ・指揮法とも独学で習得する。1955年に上京、以後、様々なバンドに参加する一方、数多くのテレビ番組のテーマ音楽を手がける。特に、テレビ番組で共演し、共に昭和9年生まれの芸能人の会「昭和九年会」のメンバーでもある大橋巨泉とは親交も深く、大橋が出演した番組のテーマ音楽の大半を手がけている。またビッグバンド向けのアレンジも数多く手がけるほか、東京フィルハーモニー交響楽団のポップス部門音楽監督として、編曲・指揮を担当していた。 晩年は荒川康男(B)・猪俣猛(Drs) とのピアノトリオ「WE3」の他、ビッグコンボ「前田憲男とウインド・ブレーカーズ」を中心に活動していた。以前はこれに加えて佐藤允彦・羽田健太郎とのユニット「トリプルピアノ」でも活動していたが、メンバーの1人である羽田の死去により、2008年4月4日のサントリーホールでの公演を最後に活動を終了している。また、独学で取得した独自の音楽理論を持つ事で知られており、2003年からは大阪芸術大学音楽学科教授を務めていた。 1970年にはTBS系列以外のフジテレビ・日本テレビ・NETテレビ→全国朝日放送・東京12チャンネル→テレビ東京が「打倒!レコード大賞」を合言葉に創設した、日本歌謡大賞のテーマソング『日本歌謡大賞讃歌』の編曲やテレビ朝日系『題名のない音楽会』やフジテレビ系『シオノギ・ミュージックフェア』などあらゆる音楽番組でも活躍していた。 1981年に東京音楽祭「最優秀編曲賞」、1983年に第20回日本レコード大賞「最優秀編曲賞」・ジャズ界の最高位に価する「南里文雄賞」、2008年にレコード大賞「功労賞」、2015年に第6回岩谷時子賞・特別賞を受賞。

佐山雅弘さんの残した最後の言葉【ジャズピアニスト】1953年11月26日~2018年11月14日

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みなさま。 佐山雅弘より このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりませんが、長きに亘ってのお付き合いにお礼を言いたくて家人に託しました。 加山雄三とタイガースが大好きな中学生。高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構えた小~さな小売商を継ぐことに何の疑念も持たないごく普通(以下)の子供がジャズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を送ってしまいました。 まことに人生は出会いであります。 「君の身体は君の食べたモノで出来ている」と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。 その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします。 ありがとう、さようなら 2018年11月14日 佐山雅弘 (最後のメッセージ) 日本のジャズピアニスト、作曲家。兵庫県尼崎市出身。射手座、AB型。 小学生の頃、幼馴染の好きな女の子がピアノを習っていたのがきっかけでピアノを弾き始める。 中学1年生の頃にピアノを習うのを一時辞めるが、中学2年生の時叔父に誘われて行ったオスカー・ピーターソンのライブに感銘を受け、ジャズに目覚める。 国立音楽大学作曲科に入学するもピアニストとしてプロの仕事が増え、中退。RCサクセションのゴンタ2号は学友だった。 1976年、RCサクセションのライブやレコーディングをサポート。当時は「セクシー佐山」というステージ・ネームだった。 以後、東京交響楽団、木野雅之(ヴァイオリン)、松田昌(ピアニカ)、瀬木貴将(サンポーニャ&ケーナ)、平野レミ(シャンソン歌手)、伊太地山伝兵衛(歌手、ギタリスト)などジャズの枠を超えたアーティストとも共演し、ジャンルを問わず幅広く活動した。プリズムの元メンバーでもある。 デューク・エイセスの音楽監督、アレンジ、楽曲提供者としても活躍した。 影響されたミュージシャンはチック・コリア、ハービー・ハンコック。好きなものはワインと麻雀、ポールウィンナーソーセージ。

中村紘子さんの残した言葉【ピアニスト】1944年7月25日~2016年7月26日

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「ピアニストはバレリーナや体操選手と同じで筋肉労働者でもあるんです。一日何時間練習しますかとよく聞かれますが、一日休むと一日衰えてしまう。筋肉だけではありません。耳も感受性も一緒に退化するんです。」 「最終的に一番評価が高いのは、個性、つまり『言いたいこと』を持っている人。」 「褒められると、眠っていた未知の能力さえもがうれしさの余り目覚めて、更に良い結果を生みだす。人の能力というものは、褒められることを栄養分として育っていくところが確実にあるのだ。」 「努力は、私を裏切らない。」 「いくらあなたがいい演奏をできるとしても、いきなりヨーロッパへ行って大成功するかといったら、まずしない。結局、コミュニケーションもろくに取れないような全く違う人種がやってきて、多少演奏が上手くてもそこで突然道が開けるようなことはなくて、やはり人と人との繋がりで色んなチャンスというのは増えていくのだから、そこを勘違いしたら駄目です。」 「ピアノが上手い、ヴァイオリンが上手いという人は山ほどいます。問題は聴き手に何を分かって欲しいか、何を伝えたいかなんです。」 「人並み外れた献身というか、そこに注ぎ込むエネルギーが尋常ならざるほどの量でなければ、そう簡単には人を感動させられないと思います。」 「人間って年を取れば年をとるほど、そう単純に感動なんかしてくれないんですよね。」 「みんな達者に弾くのだけど極限まで突き詰めるみたいなことはアホくさくてしないですし、そういう精神の極致のような昴まりを生活の中で必要としない。だから、お父さんお母さんにかわいがられて美味しいものを食べてガールフレンドがいて・・・みたいなことで満足してしまう。」 「ピアノはハングリーじゃないとダメなんです。ボクシングと同じです。」 「人間はこの現実社会で満たされない夢を何かに託すことがエネルギーになるんですよね。」 「クラシック音楽に対して日本が国をあげて音楽イベントやることが良いか悪いかは別にして、経済効果というものをもう少し考えるべきだと思いますね。」 「ピアノはレッスンや試験といったことと関係なく弾いているときは本当に楽しいんです。でも、こんなに楽しいものが当時子供だった私にとっての社会と結びつくとどうしてこんなにつまらない、辛いものになるんだろうと。それが不思議でした。」 日本のピアニスト。

杉谷昭子さんの残した言葉【ピアニスト】1943年2月25日~2019年5月8日

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「レッスンで大切なのは『感動』である。」 「人を動かすためには、まずは『心』を動かす必要がある。」 日本のピアノ奏者。本姓・岡田。