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藤本義一さんの残した言葉【放送作家】1933年1月26日~2012年10月30日

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「プロを意識した途端に、すべての物事に対して貪欲になるはずだ。すべてを吸収しようとする。吸収するために、人は独自の工夫をするものである。」 「ライバルがいない人生は、島影さえ見えない大海のただなかにポツンと浮かぶ舟のようなものだ。進んでいるのか、後退しているのかさえわからぬ頼りない人生。それはおそらく味気のない人生だと思う。」 「運は運ぶと書きよるね。行動しないと運はついてこないというわけです。」 日本の小説家、放送作家。本名の読みは「ふじもと よしかず」大阪を舞台にした作品を書き、エッセイも数多い。 日本放送作家協会関西支部長とプロ作家を育成する心斎橋大学総長も務めた。夫人はタレントの藤本統紀子、次女はアーティストのフジモト芽子。 1968年に長編小説第1作『残酷な童話』を発表。次作『ちりめんじゃこ』で1969年第61回直木賞候補、62回に『マンハッタン・ブルース』で候補、65回に『生きいそぎの記』で候補となり、1974年に上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で第71回直木賞受賞。以後文芸作品からエッセイ、社会評論などの著作を多数発表する。サラリーマン経験は無いものの、「いかにサラリーマンはあるべきか?」という問いに独自の意見がある。また近世上方文学の研究者で、特に井原西鶴を研究している。大阪出身の織田作之助をテーマにした『蛍の宿 わが織田作』『蛍の宴』『蛍の街』『蛍の死』の長編四部作、安国寺恵瓊を主人公とした『二寸法師』などがある。他に人生案内エッセイ『お嬢さん、上手な恋をしませんか』など多数、自伝『やさぐれ青春記』。