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ジム・ローンさんの残した言葉【億万長者製造法】1930年9月17日~2009年12月5日

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「If you don’t design your own life plan, chances are you’ll fall into someone else’s plan. And guess what they have planned for you? Not much.」 (もしあなたが自分の人生の計画を作らなければ、恐らくあなたは誰か他の人の計画に組み込まれてしまうだろう。彼らはあなたのために何を計画しくれているだろうか?ほとんど何もしてくれない。) 「Time is more valuable than money. You can get more money, but you cannot get more time.」 (時間はお金より貴重なもの。お金はいくらでも得ることができるが、時間だけは(与えられた以上に)得ることはできない。) 「At the end of each day, you should play back the tapes of your performance. The results should either applaud you or prod you.」 (一日が終わるたびに、自分のその日1日のパフォーマンスを振り返ろう。その結果は、自分に拍手を送れるものか、励ましとなるものじゃなくてはね。) 「When you work, work. When you play, play. Don't mix the two.」 (働くときは働け。遊ぶときは遊べ。ただし、そのふたつをごちゃ混ぜにしてはいけない。) 「未来に向き合うにはふたつの方法がある。ひとつは心配、もうひとつは期待だ。」 「リーダーとは読書家である。」 「私は何十回も『Think And Grow Rich(思考は現実化する)』を読んでいる。君は1回しか読んでいない。そして私はお金持ちで、君は貧しい。何か気づきませんか?」 「自分の体を労わりなさい。体こそがあなたの暮らさなければならない唯一の場所だから。」 「財産を生み出すのは知能の問題ではなく、ひらめきの問題である。」 「学校教育は生計を立てるのに役立ち、自己啓発は財産を築くのに役立つ。」 「生きる姿勢は、この世で私たちが自由に変

モーツァルトさんの残した言葉【神童】1756年1月27日~1791年12月5日

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「The shorter way to do many things is to do only one thing at a time.」 (多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ。) 「I pay no attention whatever to anybody’s praise or blame. I simply follow my own feelings.」 (他人の賞賛や非難など一切気にしない。自分自身の感性に従うのみだ。) 「Neither a lofty degree of intelligence nor imagination nor both together go to the making of genius. Love, love, love, that is the soul of genius.」 (高尚な知性や想像力、あるいはその両方があっても天才の形成に至りはしない。愛、愛、愛。それこそが天才の神髄である。) 「Our riches, being in our brains.」 (私達の財産、それは私達の頭の中にある。) 「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす。」 「金持ちは友情というものをまったく知らない。とくに生まれたときからの金持ちは。」 「望みを持とう。でも望みは多すぎてはいけない。」 「夢を見るから、人生は輝く。」 「Music is my life and my life is music. Anyone who does not understand this is not worthy of god.」 (音楽は自らの人生であり、人生は音楽である。このことを理解できない人は、神に値しない。) 「ともあれ、われわれはここからまだ何かを学び取ることが出来る!」 「To talk well and eloquently is a very great art, but that an equally great one is to know the right moment to stop.」 (良く喋り、能弁であることは、偉大な技術であるが、喋るのを止める適切な時を知ることも、同様に偉大な技術である。) 「旅をしない音楽家は不幸だ。」 「Music should never

加藤周一さんの残した言葉【評論家】1919年9月19日~2008年12月5日

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「目的は必ずしも手段を正当化しない。目的が手段として犯罪を要求するとき、その他の有効な手段を発見できなければ、目的そのものを再検討するほかに、抜本的な解決を見出すことはできない」 「文化は無からの創造ではなく、伝統からの創造である。過去を失うものは、未来をも失うだろう」 日本の評論家。医学博士。 上智大学教授、イェール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長などを歴任。 哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。妻は評論家・翻訳家の矢島翠。岩村清一海軍中将は大叔父。 1980年に『日本文学史序説』上・下で大佛次郎賞、1993年に朝日賞、2000年にその長年の文化功労に対してフランス政府からレジオンドヌール勲章(オフィシエ賞)を授与される。

中村勘三郎さんの残した言葉【十八代目】1955年5月30日~2012年12月5日

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「人生の成功とは、死ぬときに悔いが残らないこと」 「人間の本質は変わらない。でも時代は変わる。だから、立ち止まるわけにはいかないと思います」 「ただ自分の居場所にじっとしてはダメなんですよ。外へ外へと出て行って巡り会って育てていかないと。机の前に座って情報を集めるだけではそこに熱がない」 「体験できないことでも勉強して自分のものにすればいい。僕は、知ったかぶりがいちばん良くないと思っています」 「型をしっかり覚えた後に、初めて『型破り』になれる。型が無いままやるのは、ただの型無し」 歌舞伎役者、俳優。本名は波野 哲明。屋号は中村屋。定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。舞踊名に藤間 勘暢、猿若 勘三郎がある。 子役時代から46年間名乗った前名である五代目 中村 勘九郎としても知られた。愛称は本名からきた「のりちゃん」。 所属事務所はファーンウッド。 歌舞伎役者としては江戸の世話物から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作など、幅広いジャンルの役柄に挑み続けたことで知られた。コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げ、渡辺えりや野田秀樹、串田和美などといった現代劇の劇作家、演出家らと組んで、古典歌舞伎の新解釈版や新作歌舞伎の上演に取り組んだり、地方巡業や海外公演も精力的に行うなど、その演劇活動は常に進取的であった。 また現代劇にも積極的に出演し、特に長姉・波乃久里子や藤山直美・柄本明らと組んで出演した『浅草パラダイス』は長期にわたる人気演目となった。2006年には同じ顔合わせで『ヨイショ!の神様』にも出演している。 父は十七代目中村勘三郎、父方の祖父は三代目中村歌六、母方の祖父は六代目尾上菊五郎で、長男は六代目中村勘九郎、次男は二代目中村七之助。母方の伯父に七代目尾上梅幸と二代目尾上九朗右衛門、叔父には六代目清元延寿太夫・二代目大川橋蔵がいる。妻・好江は七代目中村芝翫の次女で、日本舞踊中村流の二代目中村梅彌は義姉、九代目中村福助、八代目中村芝翫は義弟にあたる。また、次姉・千代枝の夫は二代目澤村藤十郎で義兄にあたる。七代目尾上菊五郎と七代目清元延寿太夫と丹羽貞仁は母方の従兄弟で、部屋子に生前「三人目の倅」と可愛がっていたという二代目中村鶴松がいる。

ネルソン・マンデラさんの残した言葉【反アパルトヘイト運動】1918年7月18日~2013年12月5日

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「Appearances matter — and remember to smile.」 (外見は大切 – 笑顔を忘れぬよう。) 「after climbing a great hill, one only finds that there are many more hills to climb.」 (大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。) 「Part of being optimistic is keeping one’s head pointed toward the sun, one’s feet moving forward.」 (楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。) 「The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.」 (生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。) 「The brave man is not he who does not feel afraid, but he who conquers that fear.」 (勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。) 「It always seems impossible until it’s done.」 (達成するまでそれは不可能に見える。) 南アフリカ共和国の政治家、弁護士である。 南アフリカ共産党中央委員、アフリカ民族会議議長、下院議員、大統領を歴任。若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種が参加した普通選挙を経て大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。 賞歴としてネルー賞、ユネス

コリン・ウィルソンさんの残した言葉【アウトサイダー】1931年6月26日~2013年12月5日

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「責任と規律なしに自由が存在するという考えは問題を生む」 「私たちが認識している現実には、数千の偏見が混じっている。」 「人生についての全ての議論は、半分の尺度にしかならない。」 「スイッチがどこにあるのかさえ わかっていれば、ライトをつけるのは簡単なのです。」 「想像は、現実を逃れるためではなく創造するために使われるべきだ。」 「人生における失敗の半分は、『考えて行動すべき』ときに感情で動き、『感情で動くべき』ときに考えてしまうことからおこる。」 イギリスの小説家、評論家。 1956年、24歳の時、様々な文学人・文化人について「実存主義的な危機」という観点から論じた評論『アウトサイダー』を発表。これが大きな反響を呼び、作家としての地位を確立。これは当時取り組んでいた小説『暗黒のまつり』の執筆を中断して一気に書き上げたものである。この期間中、ウィルソンは定職に就かず、昼間は大英博物館で執筆、夜は野宿という生活を送っていた。 その後はその博覧強記な才能によって、殺人、オカルト、心理学などを独自の思想から論じてきており、自身ではこれを「新実存主義」と呼んでいる。この他、SF小説や警察小説なども執筆している。

雲井昭善さんの残した言葉【仏教学者】1915年12月24日~2017年12月5日

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「生があるときには死がある。死があるときには生があるわけですから。何時も死というものは、生の向こうに対照的にあるんじゃなしに、『常に生を考える時には、死を考えていく』」 日本の僧侶、仏教学者。大谷大学名誉教授。インド学・仏教学専攻。 大阪府和泉市出身。1941年大谷大学文学部仏教学科卒。1961年「佛教と社会的基盤の研究」で東京大学文学博士。1956年大谷大学助教授、61年教授、86年定年、名誉教授、佛教大学教授。75-81年日本学術会議会員。

故人が残した名言集【12月5日】

雲井昭善さんの残した言葉【仏教学者】1915年12月24日~2017年12月5日 「生があるときには死がある。死があるときには生があるわけですから。何時も死というものは、生の向こうに対照的にあるんじゃなしに、『常に生を考える時には、死を考えていく』」 日本の僧侶、仏教学者。大谷大学名誉教授。インド学・仏教学専攻。 大阪府和泉市出身。1941年大谷大学文学部仏教学科卒。1961年「佛教と社会的基盤の研究」で東京大学文学博士。1956年大谷大学助教授、61年教授、86年定年、名誉教授、佛教大学教授。75-81年日本学術会議会員。< コリン・ウィルソンさんの残した言葉【アウトサイダー】1931年6月26日~2013年12月5日 「責任と規律なしに自由が存在するという考えは問題を生む」 「私たちが認識している現実には、数千の偏見が混じっている。」 「人生についての全ての議論は、半分の尺度にしかならない。」 「スイッチがどこにあるのかさえ わかっていれば、ライトをつけるのは簡単なのです。」 「想像は、現実を逃れるためではなく創造するために使われるべきだ。」 「人生における失敗の半分は、『考えて行動すべき』ときに感情で動き、『感情で動くべき』ときに考えてしまうことからおこる。」 イギリスの小説家、評論家。 1956年、24歳の時、様々な文学人・文化人について「実存主義的な危機」という観点から論じた評論『アウトサイダー』を発表。 これが大きな反響を呼び、作家としての地位を確立。これは当時取り組んでいた小説『暗黒のまつり』の執筆を中断して一気に書き上げたものである。この期間中、ウィルソンは定職に就かず、昼間は大英博物館で執筆、夜は野宿という生活を送っていた。 その後はその博覧強記な才能によって、殺人、オカルト、心理学などを独自の思想から論じてきており、自身ではこれを「新実存主義」と呼んでいる。 この他、SF小説や警察小説なども執筆している。 ネルソン・マンデラさんの残した言葉【反アパルトヘイト運動】1918年7月18日~2013年12月5日 「Appearances matter — and remember to smile.」 (外見は大切 – 笑顔を忘れぬよう。) 「after climbing a great hill, on