故人が残した名言集【12月5日】
雲井昭善さんの残した言葉【仏教学者】1915年12月24日~2017年12月5日
「生があるときには死がある。死があるときには生があるわけですから。何時も死というものは、生の向こうに対照的にあるんじゃなしに、『常に生を考える時には、死を考えていく』」
日本の僧侶、仏教学者。大谷大学名誉教授。インド学・仏教学専攻。 大阪府和泉市出身。1941年大谷大学文学部仏教学科卒。1961年「佛教と社会的基盤の研究」で東京大学文学博士。1956年大谷大学助教授、61年教授、86年定年、名誉教授、佛教大学教授。75-81年日本学術会議会員。<
コリン・ウィルソンさんの残した言葉【アウトサイダー】1931年6月26日~2013年12月5日
「責任と規律なしに自由が存在するという考えは問題を生む」
「私たちが認識している現実には、数千の偏見が混じっている。」
「人生についての全ての議論は、半分の尺度にしかならない。」
「スイッチがどこにあるのかさえ わかっていれば、ライトをつけるのは簡単なのです。」
「想像は、現実を逃れるためではなく創造するために使われるべきだ。」
「人生における失敗の半分は、『考えて行動すべき』ときに感情で動き、『感情で動くべき』ときに考えてしまうことからおこる。」
イギリスの小説家、評論家。
1956年、24歳の時、様々な文学人・文化人について「実存主義的な危機」という観点から論じた評論『アウトサイダー』を発表。
これが大きな反響を呼び、作家としての地位を確立。これは当時取り組んでいた小説『暗黒のまつり』の執筆を中断して一気に書き上げたものである。この期間中、ウィルソンは定職に就かず、昼間は大英博物館で執筆、夜は野宿という生活を送っていた。
その後はその博覧強記な才能によって、殺人、オカルト、心理学などを独自の思想から論じてきており、自身ではこれを「新実存主義」と呼んでいる。
この他、SF小説や警察小説なども執筆している。
ネルソン・マンデラさんの残した言葉【反アパルトヘイト運動】1918年7月18日~2013年12月5日
「Appearances matter — and remember to smile.」
(外見は大切 – 笑顔を忘れぬよう。)「after climbing a great hill, one only finds that there are many more hills to climb.」
(大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。)「Part of being optimistic is keeping one’s head pointed toward the sun, one’s feet moving forward.」
(楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。)「The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.」
(生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。)「The brave man is not he who does not feel afraid, but he who conquers that fear.」
(勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。)「It always seems impossible until it’s done.」
(達成するまでそれは不可能に見える。)南アフリカ共和国の政治家、弁護士である。 南アフリカ共産党中央委員、アフリカ民族会議議長、下院議員、大統領を歴任。若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。
27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。
翌1991年にアフリカ民族会議の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。
1994年、南アフリカ初の全人種が参加した普通選挙を経て大統領に就任。
民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施した。
1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。
賞歴としてネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、レーニン平和賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。
南アフリカ共和国での愛称はマディバ、タタ(父)。マディバとは彼の先祖が誰かを象徴する氏族名であり、部族社会の影響が残る南アフリカでは単なる愛称ではなく、尊称に近いものである。ミドルネームのホリシャシャはコーサ語で「トラブルメーカー」の意味。
中村勘三郎さんの残した言葉【十八代目】1955年5月30日~2012年12月5日
「人生の成功とは、死ぬときに悔いが残らないこと」
「人間の本質は変わらない。でも時代は変わる。だから、立ち止まるわけにはいかないと思います」
「ただ自分の居場所にじっとしてはダメなんですよ。外へ外へと出て行って巡り会って育てていかないと。机の前に座って情報を集めるだけではそこに熱がない」
「体験できないことでも勉強して自分のものにすればいい。僕は、知ったかぶりがいちばん良くないと思っています」
「型をしっかり覚えた後に、初めて『型破り』になれる。型が無いままやるのは、ただの型無し」
歌舞伎役者、俳優。本名は波野 哲明。屋号は中村屋。定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。舞踊名に藤間 勘暢、猿若 勘三郎がある。
子役時代から46年間名乗った前名である五代目 中村 勘九郎としても知られた。愛称は本名からきた「のりちゃん」。 所属事務所はファーンウッド。
歌舞伎役者としては江戸の世話物から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作など、幅広いジャンルの役柄に挑み続けたことで知られた。
コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げ、渡辺えりや野田秀樹、串田和美などといった現代劇の劇作家、演出家らと組んで、古典歌舞伎の新解釈版や新作歌舞伎の上演に取り組んだり、地方巡業や海外公演も精力的に行うなど、その演劇活動は常に進取的であった。
ジム・ローンさんの残した言葉【億万長者製造法】1930年9月17日~2009年12月5日
「If you don’t design your own life plan, chances are you’ll fall into someone else’s plan. And guess what they have planned for you? Not much.」
(もしあなたが自分の人生の計画を作らなければ、恐らくあなたは誰か他の人の計画に組み込まれてしまうだろう。彼らはあなたのために何を計画しくれているだろうか?ほとんど何もしてくれない。)「Time is more valuable than money. You can get more money, but you cannot get more time.」
(時間はお金より貴重なもの。お金はいくらでも得ることができるが、時間だけは(与えられた以上に)得ることはできない。)「At the end of each day, you should play back the tapes of your performance. The results should either applaud you or prod you.」
(一日が終わるたびに、自分のその日1日のパフォーマンスを振り返ろう。その結果は、自分に拍手を送れるものか、励ましとなるものじゃなくてはね。)「When you work, work. When you play, play. Don't mix the two.」
(働くときは働け。遊ぶときは遊べ。ただし、そのふたつをごちゃ混ぜにしてはいけない。)「未来に向き合うにはふたつの方法がある。ひとつは心配、もうひとつは期待だ。」
「リーダーとは読書家である。」
「私は何十回も『Think And Grow Rich(思考は現実化する)』を読んでいる。君は1回しか読んでいない。そして私はお金持ちで、君は貧しい。何か気づきませんか?」
「自分の体を労わりなさい。体こそがあなたの暮らさなければならない唯一の場所だから。」
「財産を生み出すのは知能の問題ではなく、ひらめきの問題である。」
「学校教育は生計を立てるのに役立ち、自己啓発は財産を築くのに役立つ。」
「生きる姿勢は、この世で私たちが自由に変えることのできる数少ないものの一つです。」
「未来に向き合うには二つの方法がある。ひとつは心配、もうひとつは期待だ。」
「誰もあなたの代わりに腕立て伏せをすることはできない。」
「やる気が出るまで待っていてはいけない。まず行動を起こすことだ。」
「自分にこう問いかけてみるといい。「私はいまの2倍、3倍、4倍、5倍の収入に値する人間だろうか?」成功とは、自分がそれにふさわしい人間になることで引き寄せるものだ。まず、自分を磨くことが重要だ。自分の態度、人格、性質、評判といったものをね。」
「自尊心をおおいに高めていくためには、何か小さなことをはじめるだけでいい。一度にすべてのことを改革する必要はない。新しい規律を持ち、いますぐ守り始めて欲しい。いまから1年後、あなたはこれまでの平凡な人間とは似ても似つかない人物になっているだろう。自分に関するあらゆる部分を変えることが可能だ。」
「人生には無尽蔵に時間が供給されているわけではないんだ。90年の間に、90回の春を迎えることが出来る。ある人がこんなふうに言ったとしよう『あと20年もある』そんな人にはこういってやらなければならない。『違うよ、君にはあと20回しかチャンスがないんだ。』」
「どんな分野でも、大成功を収めている人をじっくりと眺めてみたら、きっと『あの人があんなに上手く行っているのも不思議ではないな。あの人のやっていることすべてを見てごらんよ』とつぶやくことになると思うよ。」
「いつもやっていることをやっていれば、いつも手に入れるものしか手に入らない。」
「こどもに欠けているのは、素質ではなく、教師だ。」
「学習は富の第一歩。学習は健康の第一歩。模索は精神性の第一歩。模索と学習から奇跡的な神業が生まれる。」
「人生は何が起きたかではなく、起こったことにどう対処したかによって決定されるのである。」
「強くとも横柄ではなく、優しくとも軟弱ではなく、大胆でも威張り散らすことはなく、思慮深くとも優柔不断ではなく、謙虚であっても臆病ではなく、誇り高くとも傲慢ではなく、ユーモアがあっても愚劣ではない。これが、指導者の条件だ。」
「今いるところが嫌なら動けばいい。木ではないのだから動けるはずだ。」
「遠くまで行き過ぎる危険を冒さなければ、どれだけ遠くまで行けるかを知ることはできない。」
「幸福は偶然でもなく、願うものでもない。幸福とは自ら築くものだ。」
「目標にかき立てられたら、どんなに大きなことができるか想像もつかない。目標を信じたら、どんなに大きなことができるか想像もつかない。目標に向かって行動したら、どんなに素晴らしいことが起こるか想像もつかない。理由がまず、先。答えはその後だ。」
「集中力とはなにか。私がこれまで耳にした最高の定義は、『そこがどこであれ、その場に専念せよ!』だ。」
「私たちはみな2つの苦痛のひとつで苦しまなければならない。訓練の痛みか後悔の痛みである。その違いは訓練の重みは数オンスであるのに、後悔の重みは数トンもあることだ。」
「大地は言う。『食べるものがないと訴えるなら種をまけ』英知と強い意思を実行に移す術を学べ。春の種蒔き、秋の物乞い、どちらかを択一せよ。」
「行動する少数派はただ傍観する多数派の羨望の的である。休息は必要なものだが目的にしてはいけない。休息はエネルギーの補給に必要な分だけとればいい。」
「人生は必要より行動に応える。米にしても『必要だから収穫がある』のではなく、『種をまいたから収穫がある』のだ。『収穫が必要』なら、まず種をまかなければならない。」
「成功とは、普通のことを、並外れて上手くやることである。」
「すぐれたアイディアはそう滅多に沸いてくるものではない。切迫感がないと欲求はその価値を失う。」
「目標を達成したいならまず研究・模索をしなければならない。」
「やる気だけでは物事は達成できない。愚か者にやる気を起こさせても所詮はやる気のでた愚か者になっただけである。」
「自分が何を求めているか分かっていれば、そしてそれを心から切望するなら獲得する方法は自ずと見出されるであろう。」
「自己発奮に勝る動機づけはない。『誰が来て私を奮い立たせてくれないかな』と言う人がいる。しかし誰も現れなかったら?人生にはもう少しまともなプランを立てるべきである。」
「人間にはどうしてもなくてはならないものを必ず獲得するという、驚くべき才能がある。しかし『なくてはならないもの』と『欲しいもの』とでは、事情が違ってしまう。」
「その日の計画を終える前に、その日を始めてはいけない。」
「最高に価値あるものとは、どんな人間になったかなんだ。」
「家族のために、何者も突き崩すことのできない、経済的な壁を築きなさい。」
「自分自身の計画で空白を埋めなければ、他の誰かの計画に組み込まれるしかないんだよ。」
「安易さは怠惰をもたらし、怠惰は人を今から1年後、あるいは5年後に、不幸な目的地へと連れていくんだよ。」
「まずは簡単なことから、始めることだよ。」
「成功とは、自分がそれに相応しい人間になることで、引き寄せるものなんだ。」
「目的への準備は、既に成功の一部である。」
「運命を一夜で変えることはできないが、あなたが進む方向を変えることは一夜でできる。」
アメリカの起業家で講演家であり、自己啓発の分野では非常に有名な作家でもあります。サプリメント会社のセールスマンとして活躍したのちに、アメリカ国内の一流企業のコンサルタントとしても活動し、31歳で億万長者となりました。その後、世界各地でセミナーや講演を行ないながら、自らの体験を人々に教える活動をスタートさせ、世界一のメンターとも称されています。
加藤周一さんの残した言葉【評論家】1919年9月19日~2008年12月5日
「目的は必ずしも手段を正当化しない。目的が手段として犯罪を要求するとき、その他の有効な手段を発見できなければ、目的そのものを再検討するほかに、抜本的な解決を見出すことはできない」
「文化は無からの創造ではなく、伝統からの創造である。過去を失うものは、未来をも失うだろう」
日本の評論家。医学博士。 上智大学教授、イェール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長などを歴任。
哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。
妻は評論家・翻訳家の矢島翠。岩村清一海軍中将は大叔父。
モーツァルトさんの残した言葉【神童】1756年1月27日~1791年12月5日
「The shorter way to do many things is to do only one thing at a time.」
(多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけをすることだ。)「I pay no attention whatever to anybody’s praise or blame. I simply follow my own feelings.」
(他人の賞賛や非難など一切気にしない。自分自身の感性に従うのみだ。)「Neither a lofty degree of intelligence nor imagination nor both together go to the making of genius. Love, love, love, that is the soul of genius.」
(高尚な知性や想像力、あるいはその両方があっても天才の形成に至りはしない。愛、愛、愛。それこそが天才の神髄である。)「Our riches, being in our brains.」
(私達の財産、それは私達の頭の中にある。)「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす。」
「金持ちは友情というものをまったく知らない。とくに生まれたときからの金持ちは。」
「望みを持とう。でも望みは多すぎてはいけない。」
「夢を見るから、人生は輝く。」
「Music is my life and my life is music. Anyone who does not understand this is not worthy of god.」
(音楽は自らの人生であり、人生は音楽である。このことを理解できない人は、神に値しない。)「ともあれ、われわれはここからまだ何かを学び取ることが出来る!」
「To talk well and eloquently is a very great art, but that an equally great one is to know the right moment to stop.」
(良く喋り、能弁であることは、偉大な技術であるが、喋るのを止める適切な時を知ることも、同様に偉大な技術である。)「旅をしない音楽家は不幸だ。」
「Music should never be painful to the ear but should flatter and charm it, and thereby always remain music.」
(音楽は決して耳ざわりであってはならない。むしろ耳を満足させ楽しみを与える、つまり常に『音楽』でなくてはならない。)「音楽においてもっとも不可欠でもっとも難しく、主要な事柄はテンポだ。」
「わずかの違いを大切に。」
「結婚したらいろいろ分かってきますよ。いままでは半分謎だったことが。」
「もう最期の時が告げているのを感じます。・・・自分の運命は変えられません。何ごとも摂理の欲するとおりになりましょう。」
「わたしは貴族ではないが、貴族にもまさる高貴な心をもっている。人間を高めるのは、身分ではなく、心だ。」
オーストリアの音楽家。ハイドン、ベートーヴェンと並んで古典派音楽、ウィーン古典派を代表する一人である。
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