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土方歳三さんの残した辞世の句【新撰組副長】1835年5月31日~1869年6月20日

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「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照(てる)かと」 (辞世の句) 「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」 (辞世の句) 「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」 (辞世の句) 幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷共和国 陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。

土方歳三さんの残した言葉【新撰組副長】1835年5月31日~1869年6月20日

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「一日過ぎると、その一日を忘れるようにしている。過去はもう私にとって何の意味もない。」 「将来われ武人となりて、名を天下に揚げん。」 「知れば迷ひ 知らねば迷はぬ 恋の道。」 「我この柵にありて、退く者を斬る!」 「梅の花 壱輪咲いても梅は梅。」 「男の一生は、美しさをつくるためのものだ。俺はそう信じている。」 「昨日の夕陽が、きょうも見られるという具合に、人の世はできないものらしい。」 「未来だけは、いやにはっきりとした姿で、私の眼の前にある。」 「よいか、人を斬る剣は所詮は度胸である。剣技はつまるところ、面の斬撃と、突き以外にない。習い覚えた区々たる剣技の末梢を忘れることだ。」 「皆、自分の道をゆこう。」 (新撰組の解散の時の言葉) 「勝てるか勝てないか、やってみなければわからないよ。おらァもう、勝敗は考えない。ただ命のある限り戦う。どうやらおれのおもしろい生涯が、やっと幕をあけたようだ。」 「喧嘩ってのは、おっぱじめるとき、すでに我が命ァない、と思うことだ。死んだと思いこむことだ。そうすれば勝つ。」 「目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。」 「あんた(近藤勇)は総師だ。生身の人間だと思っては困る。奢らず、乱れず、天下の武士の鑑であってもらいたい。」 幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷共和国 陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。

土方歳三さんの残した最後の言葉【新撰組副長】1835年5月31日~1869年6月20日

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「世に生き飽きた者だけ、ついて来い。」 (最期の突撃の時の言葉) 幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷共和国 陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。