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ジョルジュ・ダントンさんの残した最後の言葉【フランス革命の立役者】1759年10月26日~1794年4月5日

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「Show my head to the people,it is well worth seeing.」 (さあ、おれの首を民衆に見せるがいい!!それだけの値打ちはある!) (死刑執行人に投げた反抗的な言葉。) (最後の言葉) フランス革命で活躍した代表的な政治家で、パリ・コミューン助役、国民公会議員、司法大臣、公安委員会の首班など、要職を歴任した。歴史家ミシュレが革命を体現する人物として高く評価したため、人間味あふれる革命家として有名になった。

ジョー・ディマジオさんの残した最後の言葉【56 試合連続安打】1914年11月25日~1999年3月8日

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「I finally get to see Marilyn again.」 (やっとマリリンに会える。) (最後の言葉) MLBの元プロ野球選手。カリフォルニア州マーティネズ出身。ニックネームは「ヤンキー・クリッパー」「ジョルティン・ジョー」。右投右打。 56試合連続安打のMLB記録保持者。

マリー・アントワネットさんの残した最後の言葉【革命に飲み込まれた王妃】1755年11月2日~1793年10月16日

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「pardon me,sir.I did not do it on purpose.」 (許してください、わざとでは無いのです。) (ギロチンに向かう途中で執行人の足を踏んでしまった際に。) (最後の言葉) フランス国王ルイ16世の王妃。フランスの資本主義革命「フランス革命」で処刑された。マリア・テレジアの娘であり、ヨーロッパ史学では「美貌、純情な反面、軽率、わがまま」だったと考えられている。

H・G・ウェルズさんの残した言葉【SFの父】1866年9月21日~1946年8月13日

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「先頭を突き進み、灰になってかまわない。」 「その灰から、新たな炎が生まれるのだから。」 「人類の歴史とは、アイデアの歴史である。」 「本当に大事なのは、何を持っているかではなく何をしたかということ。」 「我々が戦争を終わりにしなければ戦争が我々を終わりにするだろう。」 「できるだけストレートに書く。目的地に向かってできるだけまっすぐ歩くのが一番なのと同じだ。」 「我々は未来を作ってきたが、真剣にその未来を考えていた人はまずいない。」 「人類史は学ばなければ破滅する状況に追い込まれている。」 「過去は始まりの始まりにすぎず、かつ衰退の兆しにすぎない。」 「公憤(公共の正義の立場からの怒り)は聖人の威光を笠に着た妬みである。」 「人は不完全な動物であり、闇の中ではまったく信用できない。」 「皮肉は不健康な人のユーモアである。」 「自分の作品に理論づけするアーティストはすでにアーティストではなく評論家だ。」 「きちんと自転車を運転することは恋愛に非常に似ている。それはほとんど信念の問題に近い。できると信じればできる。疑う人は一生できない。」 「我々の真の国籍は、人類である。」 イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズ、H.G.ウェルズ等の表記がある。

マルクス・トゥッリウス・キケロさんの残した最後の言葉【ローマ末期の政治家】紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日

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「兵士よ、お前がやっていることはまったく礼儀正しいことではないが、礼儀正しく私を殺してくれ。」 (最後の言葉) 共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者である。 ラテン語でギリシア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデメイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデメイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与えた。

セオドア・ルーズベルトさんの残した言葉【テディ】1858年10月27日~1919年1月6日

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「Get action. Seize the moment. Man was never intended to become an oyster.」 (行動を起こし、今をつかめ。人は貝になるために創られたのではない。) 「The only man who never makes mistakes is the man who never does anything.」 (ミスをしない人間は、何もしない人間だけだ。) 「Great thoughts speak only to the thoughtful mind, but great actions speak to all mankind.」 (すばらしい考えは思慮深い心にしか訴えない。しかし、すばらしい行動は人類すべての心に訴えかける。) 「It is hard to fail, but it is worse never to have tried to succeed.」 (失敗するのはつらいことだ。しかし、成功を求めて努力をしたことがないのは、もっと悪い。) 「Old age is like everything else. To make a success of it, you’ve got to start young.」 (老後も他のすべてと同じだ。成功させるには、若く始めなければいけない。) 「When you play, play hard; when you work, don’t play at all.」 (遊ぶときは一心に遊べ。働くときは一切遊んではいけない。) 「Keep your eyes on the stars, and your feet on the ground.」 (目を星に向け、足を地につけよ。) 「Believe you can and you’re halfway there.」 (自分ならできると信じれば、もう半分は終わったようなものだ。) 「Nobody cares how much you know, until they know how much you care.」 (あなたがどれだけ親身になってくれるかを知るまでは、あなたにどれだけ知識があろうと誰も気にかけな

ネイサン・ヘイルさんの残した最後の言葉【最初のスパイ】1755年6月6日~1776年9月22日

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「I only regret that I have but one life to lose for my country.」 (私はこの国のために失う命が一つしかないことが悔やしいだけだ。) (最後の言葉) アメリカ独立戦争のときに大陸軍のために働いた軍人である。アメリカでは最初のスパイと広く認められており、情報収集任務を買って出たが、イギリス軍に捕まった。

内海桂子さんの残した言葉【漫才界の大御所】1922年9月12日~2020年8月22日

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「将来に不安?そんな暇があったら動きなさいよ。人は動けば金になる。」 「人って、自分が置かれた境遇を嘆いたり、泣きごとを言ったり、ふてくされたりするけど、そんな暇ないのよ。生きていくためには仕事して稼がないといけないし、仕事は人に教えられるものでもない。まわりの人の様子を見ながら憶えて、頭を働かせる。(一緒に働く)彼らを見てれば、次に何をしなきゃいけないかは、わかるもの。」 「どんなところでも、自分の意志であろうがなかろうが、そこに雇われたからには、役に立たないと居づらくなる。」 「泣きごとを言う暇があったら、まず動いてみる。そうすると、何か新しいことが起こるものよ。」 「小学3年の時に東京・神田にあるおソバ屋さんに奉公に出ました。以来80年、私は自分でお金を稼いできました。学問なし、師匠なし。世間様のこと、芸のこと、お金のこと、すべて見よう見まねで勉強してきました。人が失敗すれば、気をつける。人がうまくいけば、より良いものをと工夫する。私、怒られるのが大嫌いだったから、周りを見てきたんです。」 「今も浅草で都々逸などを披露しています。ゲストの方と漫才をやることもあります。同じネタでも全く違う雰囲気になるし、相手を思う心ひとつで、最高にも、最悪にもなる。それが芸も人生も、面白いところね。」 「相方の好江ちゃんとギクシャクしていたとき、マセキ芸能社の社長とリーガル万吉師匠が『時の氏神様』になってくれ、仲を取り持ってくれたんです。そこで『コンビ永続法』を教えてもらいました。その中に『相手の立場でまず動く』という言葉がありました。相手のことを見て配慮して、先回りして動いてあげる……。確かに、それぐらいでちょうどいいのよ。舞台ではお客様の様子を見て、相方を考える。あたしと相方とお客様。三角形で話すのが漫才。最近の子はお客様を無視して2人で話しているのは困るわね。」 「好江ちゃんとコンビを組んだとき最初は相当きつく当たりました。そのとき彼女は何もできなかったので、『ばか』とか『間抜け』とか言いました。でも、あたしゃ江戸っ子だから、そう言っても『こうだからダメなんだよ』とちゃんと理由も説明しましたよ。」 「これまで10人以上と漫才をしてきたけど、一番長かったのが好江ちゃん。彼女とコンビを組んだのは、終戦から5年たった1950

ジョージ・ゴードン・バイロンさんの残した言葉【バイロン卿】1788年1月22日~1824年4月19日

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「And, after all, what is a lie? ‘Tis but the truth in masquerade.」 (嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。) 「There is something pagan in me that I cannot shake off. In short, I deny nothing, but doubt everything.」 (私の中にはふるい落とすことのできない無宗教的なものがある。私は何も否定しないが、すべてを疑う。) 「I love not man the less, but Nature more.」 (私は人を愛する心が浅いのではない。自然を愛する心が深いのだ。) 「There’s music in the sighing of a reed; There’s music in the gushing of a rill; There’s music in all things, if men had ears;」 (草のそよぎにも、小川のせせらぎにも、耳を傾ければそこに音楽がある。) 「In her first passion, a woman loves her lover, in all the others all she loves is love.」 (女は初恋では恋人に恋するが、その後は恋に恋する。) 「Man’s love is of man’s life a thing apart, ‘Tis woman’s whole existence.」 (男の恋は、その人生とは別のもの。でも女にとっては、それがすべての生き甲斐。) 「Sorrow is knowledge, those that know the most must mourn the deepest, the tree of knowledge is not the tree of life.」 (知恵は悲しみである。最も多く知る者は、最も深く嘆かねばならない。知恵の樹は生命の樹ではない。) 「Opinions are made to be changed – or how is truth to be got at?」 (意見は変え

ジェーン・オースティンさんの残した最後の言葉【高慢と偏見】1775年12月16日~1817年7月18日

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「I want nothing but death.」 (死以外はいらない。) (最後の言葉) イギリスの小説家。イングランド南部ハンプシャー、スティーブントン生れ。 18世紀から19世紀イングランドにおける田舎の中流社会を舞台として、洞察力に裏打ちされた解釈で女性の私生活などを結婚を中心として皮肉と愛情を込めて描き、その作品は近代イギリス長編小説の頂点とみなされている。また英語における自由間接話法の発達に大きく貢献したことでも知られる。主要作品は、『分別と多感』『高慢と偏見』『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー・アビー』『説得』など。

フランクリン・ルーズベルトさんの残した言葉【第32代米大統領】1882年1月30日~1945年4月12日

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「私が自分だけのために働いているときには、自分だけしか私のために働かなかった。しかし、わたしが人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれたのだ。」 「保守的な人は完璧な2本の足を持っているが、前に歩く方法を決して知らない人のことである。」 「自分を過大評価するものを過小評価するな。」 「若者のために、未来を創れるとは限らない。だが、未来のために、若者を創ることはできる。」 「票は銃弾より強し。」 「我々は独りで平和に生きることなどできず、我々自身の福利ははるか遠くの国々の福利に左右されるのだ。」 「女房と財布はつとめて隠しておけ。あまりたびたび人に見せていると、ある日借りられる恐れがある。」 「3時間、真剣に考えて結論を出したら、3年間、真剣に考えても、結論は変らない。」 「運命に人は縛られるのではない。ただ自分の心に縛られているだけなのだ。」 「我々の恐れなければならないのは、恐れることそのものである。」 「恐れるべきものは何もない。私たちはただ恐れを恐れているだけだ。」 「明日の実現を制限するのはただ一つ、今日についての疑いだけである。」  「退却から前進に転じるのに必要な努力を麻痺させる、漠然として理屈に合わぬ筋の通らない恐怖感こそ、恐れなければならない。」 「20歳にして重きをなすのに意志、30歳にして機知、40歳にして判断。」 「ある方法を選んで試すことは常識である。もし失敗しても素直に認めて別の方法を試そう。しかし何にもまして、何かをすることが大事だ。」 「明日しなければならないこと。それを今日のうちに行いなさい。」 「行動を起こし、今をつかめ。人は貝になるために創られたのではない。」 「良く聴き、良く学べ。」 「幸せは、達成の喜びと創造的な努力の快感の中にある。」 「幸せは、金を溜め込むことにあるのではない。」 「月を取れ、取り損ねても、星に届く。」 「私は脚が悪いが、この肩を見てくれ。ジャック・デンプシーもうらやましがるだろうさ。」 「軽い荷物にしてほしいと願ってはいけない。強い背中にしてほしいと願わなくてはならない。」 「あなたは生命を愛しているか。ならば時間を浪費してはいけない。時間こそが

ココ・シャネルさんの残した最後の言葉【20世紀を代表する女性デザイナー】1883年8月19日~1971年1月10日

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「You see,this is how you die.」 (ほら、これが死に様というものよ。) (最後の言葉) フランスのファッションデザイナー、企業家。彼女が創設したシャネルブランドは世界有数のファッションブランドとして現在も営業している。 20世紀初頭からファッションデザイナーとして活躍し、一時的な活動停止を経て、その死に至るまで世界の代表的なファッションデザイナーであり続けた。

H・G・ウェルズさんの残した最後の言葉【SFの父】1866年9月21日~1946年8月13日

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「Go away. I'm all right.」 (行ってくれ、もういいよ) (最後の言葉) イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズ、H.G.ウェルズ等の表記がある。

エドガー・アラン・ポーさんの残した言葉【世界初の推理小説家】1809年1月19日~1849年10月7日

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「ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。」 「とかれることを望まない。秘密だってあるさ。」 「All that we see or seem is but a dream within a dream.」 (我々が見、あるいは見ていると思う全てのものが、夢の又夢であるに過ぎない。) 「愛しき骸のかたわらに夜ごと この身を横たえる我が命、我が花嫁の眠る海辺の霊園に美しき人の墓穴に。」 「昼間夢見る人は、夜だけしか夢見ない人には見えない多くのことを知っている。」 「強情は人間の心に宿る本源的な衝動の一つである。」 「昼に夢を見る者は、夜にしか夢を見ない者が見逃す、多くのことに気づいている。」 「卑怯に見えるか、卑怯であるのが必要な時に、それができないのは、本当に勇気のあるものではない。」 「一瞬の憎しみによって数年分の愛情を忘れるものなのだ」 アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。 マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。

セオドア・ルーズベルトさんの残した最後の言葉【テディ】1858年10月27日~1919年1月6日

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「ライトをつけてくれ」 (最後の言葉) アメリカ合衆国の軍人、政治家で、第25代副大統領および第26代大統領である。姓はローズベルト、ローズヴェルトとも表記される。第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは五従弟に当たり、またフランクリンの妻エレノアは姪にあたる。

エリザベス1世さんの残した言葉【処女王】1533年9月7日~1603年3月24日

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「国民の愛情とともに国を統治できたことが、私の王冠の名誉である」 「私は国家と結婚している。」 イングランドとアイルランドの女王。テューダー朝第5代にして最後の君主。 国王ヘンリー8世の次女。メアリー1世は異母姉。エドワード6世は異母弟。通称にザ・ヴァージン・クイーン、グロリアーナ、グッド・クイーン・ベス。

オー・ヘンリーさんの残した言葉【最後の一葉】1862年9月11日~1910年6月5日

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「人間にとって大切なのは、この世に何年生きているかということではない。この世でどれだけの価値のあることをするかである。」 「どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。 男が初めて酒を飲むとき。 女が最後に酒を飲むとき。」 「ニューヨークにはただでなにかを呉れる人間はひとりもいません。彼らの場合、好奇心と慈善心が背中合わせになっているんです。」 「人が自らの芸術を愛するとき、どんな尽力も辛いなどとは思わないものだ。」 「人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている。」 「短編を書く秘訣のすべてをお教えしよう。こうだ。ルールその1は、自分自身が楽しめるような物語を書け、ということ。ルールその2は、ない。」 「私は正直者ですと自分でいう者は、決して正直者ではない。 私は何も知りませんという者は良く知っているし、私は何でも知っているという者はほら吹きである。 何も言わない人間は賢明な人か、利己主義かのどちらかである。」 「If men knew how women pass the time when they are alone, they’d never marry.」 (女性が一人でいるときにすることを知れば男性は決して結婚しないだろう。) 「Life is made up of sobs, sniffles, and smiles, with sniffles predominating.」 (人生というものはすすり泣き、泣きじゃくり、そしてほほえみで出来上がっている。なかでも泣きじゃくりが優勢である。) 「Write what you like; there is no other rule.」 (好きなことを書きなさい。それ以外の法則はありません。) アメリカの小説家。主に掌編小説、短編小説を得意とし、約280の短編作品を残した。市民の哀歓を描き出した短編が多く英米ではイギリスの小説家サキと並んで短編の名手と呼ばれる。映画化されたものも少なくない。

ホレーショ・ネルソンさんの残した言葉【トラファルガー海戦で英国を勝利に導いた提督】1758年9月29日~1805年10月21日

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「絶望的な状況に追い込まれたときは一か八かの作戦が必要になる。」 「敵と向かい合っている時、船長に間違いは許されない。」 「時間がすべてです。5分もあれば勝利と敗北はひっくり返ります。」 「私の命令で仲間が危機に陥ったとしたら誰も私の命令など聞かなくなるでしょう。」 「相手が間違ったときに、すぐに口をはさむようなことを紳士はしてはいけない。」 「戦うべきかどうか、迷うときというのは本当は戦いたくないのである。」 「他人の意見に従うよりも自分の判断に従ったほうが、たいていの場合、正しい。」 「各員がその義務を尽くすことを期待する。」 「私の人生における成功のすべては、どんな場合でも必ず15分前に到着したおかげである。」 「試みのないところに、成功のあったためしは、決してない。」 「『もしも』という言葉は許されない。我々はきっと勝つ。必ず勝つ。まちがいなく成功する。」 アメリカ独立戦争・ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。ナイルの海戦でフランス艦隊を壊滅させる武功を挙げた。 さらにトラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊に対して戦史上稀に見る大勝利を収めてナポレオンによる制海権獲得・イギリス本土侵攻を阻止したが、自身は同海戦で戦死した。イギリス最大の英雄とされる。

細川ガラシャさんの残した言葉【明智光秀の娘】1563年~1600年8月25日

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「罪のない職人にあのようにむごい成敗をなさるあなたは鬼です。鬼の女房は蛇に限りましょう。」 (ある時、夫の忠興が粗相をした職人を一方的に成敗した。それを見ていたガラシャは顔色を変えずに食事を静かに続けた。それに呆れた忠興が言った「俺があれほどのことをしたのに、あまえはまるで蛇のように冷静だ。考えられない。」するとガラシャはこのように答えた。) 「露をなど あだなるものと思ひけん わが身も草に置かぬばかりを」 戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。諱は「たま」または玉子。法名は秀林院。キリスト教徒。 子に、於長、忠隆、興秋、忠利、多羅などがいる。

ジョージ・ゴードン・バイロンさんの残した最後の言葉【バイロン卿】1788年1月22日~1824年4月19日

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「Now I shall go to sleep. Goodnight.」 (さあ、眠ることにしよう。お休み。) (最後の言葉) イングランドの詩人。バイロン卿として知られ、単に「バイロン卿」というとこの第6代男爵を指すことが殆どである。

山本周五郎さんの残した言葉【小説家】1903年6月22日~1967年2月14日

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「人の偉大さはなにを為したかではなく、なにかを為そうとするところにある。」 「苦しみつつ働け、苦しみつつなほ働け、安住を求めるな。この世は巡礼である。」 「人間がこれだけはと思いきったことに十年しがみついていると、大体ものになるものだ。」 「満足やよろこびのなかよりも、貧困や病苦や失意や絶望のなかに、より強く感じることができる。」 「大切なのは『生きている』ことであり、『どう生きるか』なのである」 「人間が一つの仕事にうちこみ、そのために生涯を燃焼しつくす姿。--私はそれを書きたかった。」 「人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります。どんなに苦しい悲惨な状態も、そのまま永久に続くということはありません。現在は現在、きりぬけてみれば楽しい昔語りになるでしょう。まあ焦らずに悠くり構えるんですね。こんな暮らしの中にもまた味のあるものですよ。」 「人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになる。」 「男は階段を駆け降りるようなことはしてはいけない。」 「人間、本当に生きようと思って、実際にその生きることに情熱を感じて仕事をしていれば、金というものは付随的についてくるものです。」 「人生は無限の教訓に満ちあふれている。しかしどの一つとってみても、万人にあてはまるものはない。それを教訓にするかどうかは、君自身の選択にかかっている。」 「この世で経験することは、なに一つ空しいものはない。歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる。」 「この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。短い一生なんだ、自分の生きたいように生きるほうがいい。」 「一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも、一歩、一歩を慥(たし)かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。」 「勤労の裏づけのない富は、人間を誤る。」 「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もうひとつの人生を経験することができる、という点にある。」 「目的を定めて事を起こすとき大切なこと

フランクリン・ルーズベルトさんの残した最後の言葉【第32代米大統領】1882年1月30日~1945年4月12日

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「すごく頭が痛い。」 (最後の言葉) アメリカ合衆国の政治家。姓はローズベルト、ローズヴェルトとも表記。 民主党出身の第32代アメリカ合衆国大統領。 世界恐慌、第二次世界大戦時のアメリカ大統領であり、20世紀前半の国際政治における中心人物の1人。彼の政権下でのニューディール政策と第二次世界大戦への参戦による戦時経済はアメリカ合衆国の経済を世界恐慌のどん底から回復させたと評価される。しかし実際はニューディール政策は失敗しているとも成功しているとも言い難い状態になっており、参戦による経済回復を狙った。

一休宗純さんの残した言葉【一休さん】1394年2月1日~1481年12月12日

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「夫れ人間あり様 万事とどまる事なし もとより生のはじめを知らざれば 死の終をわきまへず。」 「有露地より無露地へかえる一休み 風吹けば吹け 雨降らば降れ。」 「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む。」 「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの。」 「借り置きし 五つのものを 四つ返し 本来空(くう)に 今ぞもとづく。」 「もし私の性欲を昇華して雅やかな歌にかえられるなら、その価値ははかり知れぬほどの黄金に匹敵するはず。」 「美人の陰部は水仙の香りがする。楚々とした腰に口づけしよう。もっと抱きしめて愛したい。」 「経文に気をとらわれてこだわりすぎると、有害なものになる。私も経にとらわれてしまって、犬や猫にも及ばない。犬でさえ仏殿に向かって、何の迷いもなく小便を引っ掛けるのに。」 「日々なすべき正しいことは、弓を引いて『心中の賊』を射落とすこと。今の世は仏と魔物が混ざり合っている。」 「世の中に我れぞ悟ると自慢して 名利求むる人の多さよ。」 「私は元々道に迷う凡夫であって、愚かな迷いが深いので迷っていることすら気づかない。しかし、悟りに至らなくても、もし道を求める心さえあるならば、自然に成仏することだろう。」 「わざわいというものは、元々福の裏返しにすぎず、福と禍は一筋の縄に過ぎないと信じる。」 「釈迦は、生まれつき偉い人のように思いがちだが、元々我々と同じような人間であった。しかし釈迦は6年間苦しみながら修行をし仏となった。そこが我々と違うのだ。」 「むさぼりと怒り・恨みの煩悩の根本は、言ってもしょうがないことを言って嘆くことにある。」 「私が詩づくりに励むのは自分への執着が強く、自分を偉そうに見せようとする煩悩があるからだ。注意しなければいけない。」 「世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬを待つばかりなり。」 「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ。」 「今日は大燈国師の命日の前日で本堂ではたくさんの坊主たちが、禅商売用の香を焚き、経を読んでいる。その声がうるさく邪魔になってしょうがない。私はちょうど美人との情事を終えたあとで、こっちの方が私には大事だと話し

エドガー・アラン・ポーさんの残した最後の言葉【世界初の推理小説家】1809年1月19日~1849年10月7日

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「Lord help my poor soul.」 (主よ、あわれなわが魂を救いたまえ。) (最後の言葉) アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。 マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。

松尾芭蕉さんの残した言葉【奥の細道】1644年~1694年11月28日

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「物言へば 唇寒し 秋の風」 (口を開けば調子にのり、人の悪口を言ったり余計なことを口走り、他人から恨まれたり、叱られたりと、後悔することになる。口は災いのもとなのだから黙っているのがいい。) 「月日は百代の過客にして 行きかう年も また旅人なり」 (月日は永遠に旅をする旅人のようなものである。去ったと思えばまたやってくる旅人のようである。) 「おろかなる者は 思ふ事おほし」 (愚かな人間は、心配したり思い悩むことが多い。) 「古池や 蛙飛び込む 水の音」 「不易流行。」 「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求むべし。」 「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え。」 「山は静かにして性をうあしなひ、水はうごいて性を癒す。」 「問(とい)に答へざるはよろしからず。」 「他の短を挙げて、己が長を顕(あらわ)すことなかれ。人を譏(そし)りておのれに誇るは甚(はなは)だいやし。」 「耳をもて俳諧を聞くべからず、目をもて俳諧を見るべし。」 「好みて酒を飲むべからず、饗応に(きょうおう)より固辞しがたくとも微醺(びくん)にして止(や)むべし、乱に及ばずの禁あり。」 「風雅の流行は、天地とともにうつりて、只つきぬを尊ぶべき也。」 「倭歌(やまとうた)の風流、代々にあらたまり、俳諧年々に変じ、月々に新也。」 江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房。俳号としては初め宗房を、次いで桃青、芭蕉と改めた。北村季吟門下。

エリザベス1世さんの残した最後の言葉【処女王】1533年9月7日~1603年3月24日

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「All my possessions for a moment of time.」 (私が得た全ての富も束の間のこと) (最後の言葉) イングランドとアイルランドの女王。テューダー朝第5代にして最後の君主。 国王ヘンリー8世の次女。メアリー1世は異母姉。エドワード6世は異母弟。通称にザ・ヴァージン・クイーン、グロリアーナ、グッド・クイーン・ベス。

大石内蔵助さんの残した言葉【忠臣蔵】1659年4月24日~1703年3月20日

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「助申すまじくこと。ただし、女には苦しからず。」 「抑えること無用、もっとも相手によるべし。」 「したむべからず。」 「盃、下に置くべからず。」 「喧嘩、口論固く無用。」 「勝利之全所を専に。」 「大石一家は大腰抜けばかりで、僅かに我ら父と子と大石瀬左衛門が残るのみ。面目ない。」 「そなたを見るのもこれ限り。かねがね申し聞けおいた事、忘れてはなりませぬぞ。」 「この内蔵助の望みはただひとつ。怨敵・吉良上野介の首でござる。本懐を遂げる日まで、この内蔵助を信じ、おのおの方の命をお預け願いたい。」 「狙うは怨敵、吉良上野介ただ一人。」 「当時の願いはもっともだったが、領内の山には木が少なかった。このまま許可しては、薪の値段が暴騰し、つまりは製塩もできなくなる。わしは願いを受けて、早速に木を植えた。10年たってそれは大きくなった。もう大丈夫だから。」 江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄15年、赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入り、吉良義央ほか二十余名を斬殺した。大石らは自ら出頭し、公儀の裁きに処分を委ねた。翌16年、幕府の処断により四十六士は切腹となった。 良雄は諱で、通称は内蔵助。一般にはこの大石 内蔵助の名で広く知られる。

オー・ヘンリーさんの残した最後の言葉【最後の一葉】1862年9月11日~1910年6月5日

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「Turn up the lights, I don't want to go home in the dark.」 (明かりをつけてくれ。暗い家に帰るのは嫌だもの。) (最後の言葉) アメリカの小説家。主に掌編小説、短編小説を得意とし、約280の短編作品を残した。市民の哀歓を描き出した短編が多く英米ではイギリスの小説家サキと並んで短編の名手と呼ばれる。映画化されたものも少なくない。

トーマス・エジソンさんの残した最後の言葉【発明王】1847年2月11日~1931年10月18日

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「It is very beautiful over there.」 (向こうはとてもきれいだよ。) (最後の言葉) アメリカ合衆国の発明家、起業家。スポンサーのJPモルガン、秘書のサミュエル・インサル、そしてメロン財閥と、アメリカの電力系統を寡占した。 傑出した発明家として知られ、生涯におよそ1,300もの発明と技術革新を行った人物である。たとえば蓄音器、白熱電球、活動写真である。エジソンはJ・Pモルガンから巨額の出資・援助をしてもらい、エジソン・ゼネラル・エレクトリック、現・ゼネラル・エレクトリック=GEを設立した。GEは電球などの家電だけでなく、発電から送電までを含む電力系統の事業化に成功した。エジソンは合計14の会社を設立している。助手には一人だけ日本人(岡部芳郎)がいた。

良寛さんの残した言葉【天上大風】1758年11月2日~1831年2月18日

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「ぬばたまの、夜はすがらにくそまり明かし、あからひく、昼はかわやに、走りあえなく」 「子供の純真な心こそが誠の仏の心。」 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 「この宮の木(こ)したに子供等と遊ぶ夕日は暮れずともよし」 「風きよし月はさやけしいざともに踊り明かさむ老いのなごりに」 「歌もよまむ手毬もつかむ野にもいでむ心ひとつを定めかねつも」 「花、無心にして蝶を招き 蝶、無心にして花を尋ねる 花、開くとき蝶来たり 蝶、来るとき花開く 知らずして帝則に従う」 「仙桂和尚は真の道者 貌(ぼう)は古にして 言は朴(ぼく)なるの客 三十年 国仙(こくせん)の会(え)に在りて 参禅せず読経せず宗門の一句すらいわず 菜園を作って大衆に供す 当事我之を見れども見えず 之に遭(あ)い之に遭えども遭わず ああ今之にならわんとするも得可からず 仙桂和尚は真の道者。」 「あまりしゃべりすぎないこと。」 「言葉はよく吟味してしゃべりすぎてはいけない。」 「我が生(しょう) 何処(いずこ)より来たる 去って 何処にか行く。」 「静かにひとりで暮らすこと。」 「相手に対して嫌な感情をもって人を叱ってはいけない。」 「なにものが 苦しきことと 問うならば 人をへだつる心と答えよ。」 「何ごとにも怒らず、つらいことも我慢すること。」 「他人がいる前で人を叱ってはいけない。」 「死ぬ月日さえも丁度良い。」 「人さまに迷惑をかけたり、恥ずかしいことは慎むこと。」 「知らないことを知っているふうに言うのはよくない。」 「自惚れることも 卑下することもない 上もなければ下もない。」 「食べ物は大事に少しだけいただくこと。」 「神や仏のことを軽々しく口にしてはいけない。」 「地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度良い。」 「自分の心をきちんと制御すること。」 「心の中で怒りながら人に理屈を説いてはいけない。」 「歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない お前にとって丁度良い。」 「あれこれと人に講釈するのはやめなさい。」 「その人が気にしていることを言ってはなら

葛飾北斎さんの残した言葉【富嶽三十六景】1760年10月31日~1849年5月10日

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「思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。」 「このままで良いのか。現状に満足してはならない。」 「掃除をする暇があるなら、絵を描きたい。」 「枠にとらわれた絵を描きたくない。」 「俺はもう誰からも学ぶことはない。俺の先生は自然だ。」 江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。 代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。

ベンジャミン・フランクリンさんの残した最後の言葉【アメリカ合衆国建国の父】1706年1月17日~1790年4月17日

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「A dying man can do nothing easy.」 (死ぬのも楽じゃないね。) (最後の言葉) アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。また、凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたことでも知られている。 現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている他、ハーフダラー銀貨にも1963年まで彼の肖像が使われていた。 勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。

ホレーショ・ネルソンさんの残した最後の言葉【トラファルガー海戦で英国を勝利に導いた提督】1758年9月29日~1805年10月21日

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「Thank God, I have done my duty.」 (神に感謝する。我が義務を果たした。) (最後の言葉) アメリカ独立戦争・ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。ナイルの海戦でフランス艦隊を壊滅させる武功を挙げた。 さらにトラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊に対して戦史上稀に見る大勝利を収めてナポレオンによる制海権獲得・イギリス本土侵攻を阻止したが、自身は同海戦で戦死した。イギリス最大の英雄とされる。

やなせたかし さんの残した最後の言葉【アンパンマンの産みの親】1919年2月6日~2013年10月13日

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「ゼロの世界へ 消えていくでござる。」 (最後の言葉) 日本の漫画家、絵本作家、詩人。 有限会社やなせスタジオ社長。 『アンパンマン』の生みの親として知られる。 社団法人日本漫画家協会代表理事理事長、社団法人日本漫画家協会代表理事会長を歴任。

マルコム・Xさんの残した最後の言葉【黒人公民権運動活動家】1925年5月19日~1965年2月21日

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「Let's cool it brothers ...」 (落ち着け、兄弟......) (スピーチを行っている最中、暴漢に散弾銃を撃ち込まれ、暗殺された。) (最後の言葉) アメリカの黒人公民権運動活動家。ネーション・オブ・イスラム のスポークスマン、ムスリム・モスク・インク およびアフリカ系アメリカ人統一機構 の創立者でもある。出生名はマルコム・リトル 。

ウィリアム・シェイクスピアさんの残した言葉【ロミオとジュリエット】1564年4月26日(洗礼日)~1616年4月23日

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「To be, or not to be: that is the question.」 (生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。) 「You gods, will give us. Some faults to make us men.」 (神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。) 「There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.」 (物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。) 「There is a tide in the affairs of men. Which, taken at the flood, leads on to fortune; Omitted, all the voyage of their life. Is bound in shallows and in miseries.」 (人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その期をのがすと、一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう。) 「Love like a shadow flies when substance love pursues; Pursuing that that flies, and flying what pursues.」 (恋はまことに影法師、いくら追っても逃げて行く、こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げて行く。) 「A fool thinks himself to be wise, but a wise man knows himself to be a fool.」 (愚者は己が賢いと考えるが、賢者は己が愚かなことを知っている。) 「Expectation is the root of all heartache.」 (期待はあらゆる苦悩のもと。) 「The worst is not, So long as we can say, ‘This is the worst.’」 (「これが最悪だ」などと言えるうちは、まだ最悪ではない。) 「Women are as roses, whose fairflower being

渡哲也さんの残した言葉【西部警察】1941年12月28日~2020年8月10日

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「耐えることが人生。」 「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ。」 (共演していた苅谷氏の夫人が入院し、お金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷氏を呼び止めて、お金の入った封筒をさしだした時の言葉) 「お前、松竹梅はシャレできくけどな、お前になんでテツって呼ばれなくちゃいけねんだ。」 (番組で事前に「テツ」と言われたら本気で怒ってみせてほしいと頼まれた際に拒んでいたが、激怒した際の言葉) 「よくいえば人がいいといえるんでしょうけど、優柔不断、非常にダメ男ですよ。」 「いつも自分らしく生きたいと思っている。飾るのはいやだ。それで人との和が保てたら、最高だと思う。俺が最も大切にしているのは、人と人との関係だ。」 「ばあさんが過保護にしてるから、僕は厳しく育てようと思っています。しかし、男もガキができるとおしまいですよ。冒険できなくなるしね。」 (子育てについて) 「何を考えていたかって、みんなに聞かれますけど、僕はのん気ですからねぇ。人に迷惑をかけたことは辛かったですけど、僕自身はのんびりしてましたよ。」 (闘病生活について) 「今の日本映画のプロデューサーは、どんな映画を作って公開するかは二の次三の次。向こう1年間、映画館の空いたスケジュールを埋める事しか考えていない。明らかに、完成度の低いシナリオのままクランクインしている。」 「アクションと怪我は紙一重、やるっきゃありません。」 「アクション映画をやりたい、自分のキャラクターを活かしてくれるのは東映を置いて他にない。」 「当時だから実現できた。静岡駅前に、石原さん(石原裕次郎)がヘリコプターで降り立ってきた...本当なんですよ。(緊急時以外、市街地へ着陸)もう、許可が下りることは無いでしょう。」 (テレビシリーズ「西部警察」「大都会」の演出について) 「若い方々と一緒にお芝居をして、感じ合い、吸収し合えるものがあるといいなと思っています。」 「石原さん(石原裕次郎)が泣きながら語りかけてくるんですね。『弟のように思っていた。』というようなことを。当時を思うと、わたしも年齢的にちょうどいい頃で、各映画会社からいろいろな映画の誘いがあったんですね。ただこの西部警察があったこ

二宮尊徳さんの残した言葉【二宮金次郎】1787年9月4日~1856年11月17日

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「積小為大」 (大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。大事を成さんと欲して小事を怠り、その成り難きを憂いて、成り易きを務めざる者は、小人の常なり。それ小を積めば大となる。) 「万町の田を耕すもその技は一鋤ずつの功による。」 「人道は一日怠れば、たちまちすたれる。」 「誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。術策は役に立たない。」 「心の田畑さえ開墾ができれば、世間の荒地を開くこと難しからず。」 「水を自分のほうに引き寄せようとすると向こうへ逃げてしまうけれども、相手にあげようと押しやれば自分のほうに戻ってくる。だから、人に譲らなければいけない。」 「あらゆる荒廃は心の荒蕪(こうぶ)から起こる。」 「善悪と言っても、天が決めたものではなく結局、人間にとって便利かどうかだけの話である。」 「すべての商売は、売りて喜び、買いて喜ぶようにすべし。売りて喜び、買いて喜ばざるは道にあらず。貸借の道も、また貸して喜び、借りて喜ばざるは道にあらず。」 「貧富の違いは、分度を守るか失うかによる。」 「貧となり富となる。偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり。人皆貨財は、富者の処に集まると思へども然らず。節約なる処と勉強する所に集まるなり。」 「道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は、寝言である。」 「キュウリを植えれば、キュウリと別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」 「人々には、それぞれ長所もあり、短所があるのは仕方がない。相手の長じているところを友として、劣っているところは友としてはいけない。人の短所を捨て、長所を友とするのだ。」 「生まれたからには学び続けなさい、そして学んだら必ず実行をしなさい。それが出来ない者は、生まれていないのと同じことです。そして、学ぶとは『道を知る』ということです。道を知り、その道を行動に移しなさい。」 「政事は豆腐の箱の如しである、箱が歪めば豆腐も歪む。」 「凡人は小欲なり。聖人は大欲なり。」 江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。自筆文書では金治郎と署名している例が多いが、一般には「金次郎」と表記されることが多い。また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、「そんとく」という読みで定着している。 経世済民を目指して報徳思想を唱

山岡鉄舟さんの残した言葉【一刀正伝無刀流の開祖】1836年6月10日~1888年7月19日

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鉄舟「修身二十則」 (鉄舟が満13歳の時に自身に課した人生訓) 嘘を言うべからず候 君の御恩は忘るべからず候 父母の御恩は忘るべからず候 師の御恩は忘るべからず候 人の御恩は忘るべからず候 神仏ならびに長者を粗末にすべからず候 幼者をあなどるべからず候 己れに心よからざることは、他人に求むべからず候 腹を立つるは、道にあらず候 何事も不幸を喜ぶべからず候 力の及ぶ限りは、善き方につくすべく候 他をかえりみずして、自分のよきことばかりすべからず候 食するたびに、稼穡(かしょく→種まきと収穫、農業)の艱難を思うべし、すべて草木土石にても、粗末にすべからず候 ことさらに着物を飾り、あるいはうわべをつくろう者は、心に濁りあるものと心得べく候 礼儀を乱るべからず候 何時何人に接するも、客人に接するように心得うべく候 己の知らざることは、何人にても習うべく候 名利のために、学問技芸すべからず候 人にはすべて能不能あり、いちがいに人をすて、あるいは笑うべからず候 己れの善行を誇り顔に人に知らしむべからず、すべて我が心に恥ざるに務むべく候 「一国を治めるものは、まず手近く自身からしなければならない。親子兄弟一族の治めがついて、さしつかえがないというに至ったならば、この秘法はたちまちに万機に応じることができる。」 「無刀とは、心の外に、刀が無いこと。敵と相対するとき、刀に拠ることなく、心を以って心を打つ、これを無刀という。」 「武士は義のためには、たとえ貧に処するも厭わず、不義のためには、富貴であっても好むところではない。」 「自然は教師なり、自然を眺めて学び、自然に即して考える。」 「剣法を学ぶ所以は、ひとえに心胆練磨。もって、天地と同根一体の理を果たして、釈然たる境に、到達せんとするにあるのみ。」 「およそ大凡人たるものは、誠忠が肝要である。ゆえに時変に接しては死を見ること帰するがごとき確固たる心胆を動かさぬように鍛練が第一である。」 「人のこの世の中に処するには、必ず大道を履行しなければならない。」 「道は千載不滅だよ。いかなる大敵でも、道には勝てぬ。」 「宇宙と自分は、そもそも一体であり、当然の帰結として、人々は平等である。天地同根、万物一体の道理を悟ることで、生死

永峰肇さんの残した辞世の句【神風特別攻撃隊】1925年4月1日~1944年10月25日

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「南溟に たとえこの身が 果つるとも いくとせ後の 春を想へば」 (たとえ南方の大海にこの身が果てたとしても 何年もの後の春を想えば) (辞世の句) 大日本帝国海軍軍人。 貧しい農家の長男として学費をかけず勉強し、地元では優秀な子として知られていた。1944年(昭和19年)神風攻撃隊敷島隊四番機として出撃、散華。19歳の若さでなくなった。

細川ガラシャさんの残した辞世の句【明智光秀の娘】1563年~1600年8月25日

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「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」 (花も人も散りどきを心得てこそ美しい。) (辞世の句) 戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。諱は「たま」または玉子。法名は秀林院。キリスト教徒。 子に、於長、忠隆、興秋、忠利、多羅などがいる。

岸田劉生さんの残した言葉【孤高の画家】1891年6月23日~1929年12月20日

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「この世界を美しく見たいのは人類の意志である。」 「醒めよ、吾が冷き理性、醒めよ、吾が、強き意力、常に爾(なんじ)を欺(あざむ)きて、眠らせんとする、卑屈なる吾を鞭打て、吾は弱し、されど、吾は、吾自ら進まざる可らず。醒めよ!常に醒めよ!」 「自分の虚栄心は他人に対して、自分は偉い人間だぞと云いたがっている、それから、自分は世間的に名のひろまった、つまり有名な人間だぞと云いたがっている。」 「はぢめからやりなおほして、まっ向からわきめもふらずに突き進まなきゃ駄目だぞと思ふ。」 大正から昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。

山本周五郎さんの残した最後の言葉【小説家】1903年6月22日~1967年2月14日

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「人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、気のつかないことがいろいろある。」 (最後の言葉) 日本の小説家。本名、清水 三十六。 人間の心理描写に卓越する反面、人嫌いで人付き合いを極端に制限し、仕事場への訪問客にもめったに面会せず、座談はうまいのに講演は断り、園遊会には出席せず、文学賞と名のつくものはことごとく辞退した。

ジェームス・ディーンさんの残した最後の言葉【伝説の映画スター】1931年2月8日~1955年9月30日

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「まだまだ自分の何分の一も知っちゃいない。だから生きることにせっかちなのさ。」 (事故死一週間前に友人に言った言葉。) (最後の言葉) アメリカの俳優。身長170cm。ジミー・ディーンとも呼ばれる。代表作は「エデンの東」 ロサンゼルスの退役軍人病院に勤める歯科技工士の父ウィントン・ディーンと母ミルドレッド・ウィルソンのもとにインディアナ州マリオンで生まれる。しかし、父母は行きずりの恋から始まった婚前妊娠だったことから、父のウィントンは息子のジェームズの誕生を喜ばなかったという。反対に、父親に無視される事となったジェームズにミルドレッドは深い愛情を注いだという。ジェームズが9歳の時ミルドレッドが卵巣がんで亡くなると、ウィントンはフェアマウントで農場を営む姉夫婦に彼を預け、そこで育てられた。 高校時代から演劇に興味をもち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇科で学んだ。舞台やコマーシャルなどに出ていたが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために中退、ニューヨークに移った。そこで1950年代の『Kraft Television Theater』、『Danger』や『General Electric Theater』のようなテレビ番組の何編かに出演した。この頃よりジェームズはアンドレ・ジッドの『背徳者』に心酔してハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになる。 『底抜け艦隊』等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年に『エデンの東』のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて認められた。彼はこの役でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。 『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ・550/1500RSでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時15分にショラム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、交差点を転回していたフォードに衝突した。ウッタリックは車外に投げ出されて骨折、フォードの運転手も軽傷で済んだが、ジェームズは首の骨を含む複雑骨折、

芥川比呂志さんの残した最後の言葉【劇団四季の名付け親】1920年3月20日~1981年10月25日

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「おまえはおれに遠慮してコーヒーを飲まないようだけど、飲んでいいんだよ。」 (コーヒーの大好きな彼であったが、肺結核と診断されて以来、30年間、健康のため1回も口にしなかった。奥さんも夫の前では、決してコーヒーを飲まなかったという。) (最後の言葉) 日本の俳優、演出家。 東京府東京市滝野川区田端出身。作家・芥川龍之介の長男。母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。

南方熊楠さんの残した言葉【博物学の巨星】1867年5月18日~1941年12月29日

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「世界に、不要のものなし。」 「肩書きがなくては、己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない。」 「宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は、心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化して、おのれの心の楽しみとす。これを智と称することかと思う。」 「相手が高名な学者じゃからちゅうて、間違っちょるもんを正しいと心にもない世辞を並び立てるような未開人はイギリスにはいても日本にはおらん!誤りを正すほどの気兼ねもない卑屈な奴など生きておっても何の益もない!」 「権威に媚び明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従する者など日本には居ない。」 「こんなことで一度だけの命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい。」 「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕だ。」 日本の博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。

一休宗純さんの残した辞世の句【一休さん】1394年2月1日~1481年12月12日

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「濛々淡々として六十年 末期の糞をさらして梵天に捧ぐ 借用申す昨日昨日 返済申す今日今日 借りおきし五つのもの(地水火風空)を 四つ(地水火風)返し 本来空に、いまぞもとづく」 (ぼんやりと、また、こだわらずに生きた60年だが、昨日借りたらものを、今日返すように人生はあっという間である。借りたものを返して、今、空へ帰る。) (辞世の句) 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。

一休宗純さんの残した最後の言葉【一休さん】1394年2月1日~1481年12月12日

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「死にとうない。」 (といって、座ったまま眠るように亡くなった。) (最後の言葉) 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。

松尾芭蕉さんの残した辞世の句【奥の細道】1644年~1694年11月28日

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「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」 (辞世の句) 江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房。俳号としては初め宗房を、次いで桃青、芭蕉と改めた。北村季吟門下。

松尾芭蕉さんの残した最後の言葉【奥の細道】1644年~1694年11月28日

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「一生旅で過ごし、かねては草を敷き土を枕にして死ぬ自分と覚悟していたのに、こんな立派なしとねの上で、大勢の人々に付き添われて死ぬとは冥加に尽きる。」 (最後の言葉) 「何事も上手下手はあるものだな。」 (障子に蝿がとまっているのを弟子が取ろうとしているのを見て) (最後の言葉) 江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房。俳号としては初め宗房を、次いで桃青、芭蕉と改めた。北村季吟門下。