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山田康雄さんの残した遺書【声優】1932年9月10日~1995年3月19日

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アリガトウ。 ハヤイ ハナシガ イショ 素敵な人生だったよ。 紀美子がいて、夏織がいて、浩康がいて、ポケがいて ・・・・・・やっぱり紀美子がいて・・・・・・ ありがとう 山田康雄 (遺書) 日本の俳優、声優、司会者、ナレーターである。愛称は「ヤスベエ」。テアトル・エコーに所属していた。 東京府東京市大森区南雪谷出身。身長167cm、体重56kg。血液型はA型。星座はおとめ座。早稲田大学文学部英文科中退。長男は山田浩康。

安西水丸さんの残した言葉【イラストレーター】1942年7月22日~2014年3月19日

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「正確に描くよりも、自分の見えたままに描く。それが他人には別物に見えたとしても堂々としていい。自分の気持ちをあらわすこと、自分のイメージを表すこと、何より楽しんで描くこと。」 「何かしらの才能が、人にはかならずある。」 「やりたいことはとにかくやる。そのほうが、人生は楽しい。」 「人生は短い。好きなこと、やりたいことがあるなら、やってみるべきです。」 日本のイラストレーター、漫画家、エッセイスト、作家、絵本作家。

桂米朝(3代目)さんの残した言葉【落語家】1925年11月6日~2015年3月19日

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「芸能人という言葉が私はどうもいやで、あえて芸人と言い続けて来ています。職業に貴賎はないと言いますが、私は、もし貴賎をつけるとすれば、芸人は絶対に威張れない職業であると思っています。それは物を生産する職業ではないからです」 「芸は人なり。やっぱり大事なんは人間性や」 「その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上」 「ええか、やっぱり最後は人間やで、人柄や。どんなに上手くなっても、どれだけ売れても、人間性やで。そやさかい、人間を磨いていかなあかんのや」 「芸人はどんなに偉くなっても、つまりは遊民なのです。世の中の余裕、お余りにで生きているのです。」 「大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、1日1日が無事に過ぎて、何とか子や孫が無事に育って、自分は年寄りになって、やがて死んでいく。それでいいというような、芸です。」 「この世界、20年演っても受けるとは限らない。もしかしたら、21年目に売れるかもしれないし、一生、売れないかも知れない。ただ、嫌な人間にだけはなるな。」 旧関東州大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。

夏樹静子さんの残した言葉【推理作家】1938年12月21日~2016年3月19日

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「困難な状況になっても、一気に解決しようとするのではなく、負けないように負けないようにと、粘り強い気持ちをもって、一歩一歩前進すること。」 「人間は、償いのすべがないとわかってから、償いをしたかったなんていい出すものじゃないですか。」 「たった一度の人生を生きているのは、あなた一人じゃないのよ。」 日本の小説家、推理作家。旧姓名の五十嵐 静子名義による作品もある。 日本の女性推理作家の草分けであり、繊細な心理描写と巧みなトリックによる『蒸発』『Wの悲劇』などの秀作により「ミステリーの女王」と称された。夫は新出光会長の出光芳秀。小説家の五十嵐均は実兄。

故人が残した名言集【3月19日】

夏樹静子さんの残した言葉【推理作家】1938年12月21日~2016年3月19日 「困難な状況になっても、一気に解決しようとするのではなく、負けないように負けないようにと、粘り強い気持ちをもって、一歩一歩前進すること。」 「人間は、償いのすべがないとわかってから、償いをしたかったなんていい出すものじゃないですか。」 「たった一度の人生を生きているのは、あなた一人じゃないのよ。」 日本の小説家、推理作家。旧姓名の五十嵐 静子名義による作品もある。 日本の女性推理作家の草分けであり、繊細な心理描写と巧みなトリックによる『蒸発』『Wの悲劇』などの秀作により「ミステリーの女王」と称された。夫は新出光会長の出光芳秀。小説家の五十嵐均は実兄。 桂米朝(3代目)さんの残した言葉【落語家】1925年11月6日~2015年3月19日 「芸能人という言葉が私はどうもいやで、あえて芸人と言い続けて来ています。職業に貴賎はないと言いますが、私は、もし貴賎をつけるとすれば、芸人は絶対に威張れない職業であると思っています。それは物を生産する職業ではないからです」 「芸は人なり。やっぱり大事なんは人間性や」 「その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上」 「ええか、やっぱり最後は人間やで、人柄や。どんなに上手くなっても、どれだけ売れても、人間性やで。そやさかい、人間を磨いていかなあかんのや」 「芸人はどんなに偉くなっても、つまりは遊民なのです。世の中の余裕、お余りにで生きているのです。」 「大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、1日1日が無事に過ぎて、何とか子や孫が無事に育って、自分は年寄りになって、やがて死んでいく。それでいいというような、芸です。」 「この世界、20年演っても受けるとは限らない。もしかしたら、21年目に売れるかもしれないし、一生、売れないかも知れない。ただ、嫌な人間にだけはなるな。」 旧関東州大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。 安西水丸さんの残した言葉【イラストレー