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ミゲル・デ・セルバンテスさんの残した言葉【ドン・キホーテ】1547年9月29日~1616年4月22日

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「The most difficult character in comedy is that of the fool, and he must be no simpleton that plays that part.」 (喜劇で一番難しい役は愚か者の役であり、その役を演ずる役者は馬鹿ではない。) 「The pen is the tongue of the soul.」 (ペンは魂の舌である。) 「He who loses wealth loses much; he who loses a friend loses more; but he that loses his courage loses all.」 (富を失う者は多くを失い、友人を失う者はさらに多くを失う。しかし、勇気を失う者はすべてを失うことになる。) 「Tell me what company you keep, and I’ll tell you what you are.」 (君の友人を教えなさい。そうすれば、君がどういう人間か言ってみせよう。) 「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。」 「True valor lies between cowardice and rashness.」 (真の勇気というものは、臆病と無鉄砲との中間にある。) 「機知の切れ味を鈍らせまいと思うなら、あまり機知を鋭くしてはいけない。」 「幸運はそれが失われるまで知られない。」 「Every man is the son of his own works.」 (人間とは、己の行った仕事の子供である。) 「流れに逆らおうとしたところで無駄なことだ。流れに身をまかせれば、どんなに弱い人でも岸に流れ着く。」 「人生は一枚の銀貨のようなものだ。それをどう使おうと勝手だが、使えるのはたった一度きりである。」 「While there’s life there’s hope.」 (生命のあるかぎり、希望はあるものだ。) 「愛の原則においては、早々と失望することが、通常、回復薬として描かれる。」 「嫉妬のない愛はあるかもしれぬ。だが恐れのともなわぬ愛はない。」 「運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておい

ポール牧さんの残した言葉【指パッチン】1941年8月2日~2005年4月22日

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「ドーランの 下に涙の 喜劇人」 日本のコメディアン、タレント、俳優、元僧侶。北海道天塩郡天塩町出身。実家は曹洞宗寺院。北海道天塩高等学校卒業。血液型はAB型。 本名は榛澤一道。僧名は熈林一道。 関武志とともにコント・ラッキー7を結成し人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。

船戸与一さんの残した言葉【小説家】1944年2月8日~2015年4月22日

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「『やりたいことをせよ、好きなことを仕事にしろ』と主体的な生き方を強制される。これは、今の若い世代の不幸だと思う。やりたいことがわからない人に、好きなことをしろというのは非常に酷。だから言いたいのは、そうじゃない生き方もあっていい、ということです。主体的に生きてもいいけれど、何も考えずに世間が命じるままに生きてもいい。向いている仕事なんて、実はない。そんなもの、自分ではわからないんです。私だって今でも向いてないと思ってるんだから。それよりも目の前のことに誠実になることです。そこから始めたらいいんです。」 「本気のものは人を惹きつける。これは小説に限らずだと思う。」 「もし若いときに旅をしなかったら、くたばる前にどんな思い出話をするのか。もっと人生を楽しむことを考えたほうがいい。」 「今の若い人は、大学生でも老後の心配をしているという。これは本当にかわいそうだし、不幸なことだと思う。将来に確たるものなんか何もないことはみんなわかっているはずでしょう。心配してもしょうがないのに、どうして老後の心配などするのか。とにかく安全に、安心に、と考えてしまうことのほうが、むしろ心配です。」 日本の小説家。本名:原田 建司。 小学館、祥伝社などの出版社勤務を経てフリーになり、執筆活動を始める。1979年『非合法員』(講談社)で冒険小説家としてデビュー。 他に豊浦 志朗の筆名で『叛アメリカ史』などのルポルタージュ、外浦 吾朗の筆名で『ゴルゴ13』、『メロス』の劇画原作も著している。

故人が残した名言集【4月22日】

船戸与一さんの残した言葉【小説家】1944年2月8日~2015年4月22日 「『やりたいことをせよ、好きなことを仕事にしろ』と主体的な生き方を強制される。これは、今の若い世代の不幸だと思う。やりたいことがわからない人に、好きなことをしろというのは非常に酷。だから言いたいのは、そうじゃない生き方もあっていい、ということです。主体的に生きてもいいけれど、何も考えずに世間が命じるままに生きてもいい。向いている仕事なんて、実はない。そんなもの、自分ではわからないんです。私だって今でも向いてないと思ってるんだから。それよりも目の前のことに誠実になることです。そこから始めたらいいんです。」 「本気のものは人を惹きつける。これは小説に限らずだと思う。」 「もし若いときに旅をしなかったら、くたばる前にどんな思い出話をするのか。もっと人生を楽しむことを考えたほうがいい。」 「今の若い人は、大学生でも老後の心配をしているという。これは本当にかわいそうだし、不幸なことだと思う。将来に確たるものなんか何もないことはみんなわかっているはずでしょう。心配してもしょうがないのに、どうして老後の心配などするのか。とにかく安全に、安心に、と考えてしまうことのほうが、むしろ心配です。」 日本の小説家。本名:原田 建司。 小学館、祥伝社などの出版社勤務を経てフリーになり、執筆活動を始める。1979年『非合法員』(講談社)で冒険小説家としてデビュー。 他に豊浦 志朗の筆名で『叛アメリカ史』などのルポルタージュ、外浦 吾朗の筆名で『ゴルゴ13』、『メロス』の劇画原作も著している。 ポール牧さんの残した言葉【指パッチン】1941年8月2日~2005年4月22日 「ドーランの 下に涙の 喜劇人」 日本のコメディアン、タレント、俳優、元僧侶。北海道天塩郡天塩町出身。実家は曹洞宗寺院。北海道天塩高等学校卒業。血液型はAB型。 本名は榛澤一道。僧名は熈林一道。 関武志とともにコント・ラッキー7を結成し人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。 ミゲル・デ・セルバンテスさんの残した言葉【ドン・キホーテ】1547年9月29日~1616年4月22日 「The most difficult character in comedy is that of the fool, an