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マルコム・Xさんの残した最後の言葉【黒人公民権運動活動家】1925年5月19日~1965年2月21日

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「Let's cool it brothers ...」 (落ち着け、兄弟......) (スピーチを行っている最中、暴漢に散弾銃を撃ち込まれ、暗殺された。) (最後の言葉) アメリカの黒人公民権運動活動家。ネーション・オブ・イスラム のスポークスマン、ムスリム・モスク・インク およびアフリカ系アメリカ人統一機構 の創立者でもある。出生名はマルコム・リトル 。

マルコム・Xさんの残した言葉【黒人公民権運動活動家】1925年5月19日~1965年2月21日

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「You let that white man know, if this is a country of freedom, let it be a country of freedom; and if it’s not a country of freedom, change it.」 (白人に知らせよう、もしここが自由の国ならば、自由の国のようにせよと。自由の国でないなら、変えようではないかと。) 「It’s time for us to submerge our differences and realize that it is best for us to first see that we have the same problem, a common problem.」 (今こそ我々は、我々の違いに目をつむるときである。そして第一に、我々は同じ、共通の問題を持っていると着目することが、我々にとって最良であると認識するときなのだ。) 「Any time you know you’re within the law, within your legal rights, within your moral rights, in accord with justice, then die for what you believe in. But don’t die alone. Let your dying be reciprocal. This is what is meant by equality.」 (いかなる時もあなたは法律の中に、あなたの法的権利の中に、あなたの道徳的権利の中にいて、正義に従い、そして信じるところのために死ぬ。しかし、一人では死なないで欲しい。死のお返しをさせてくれ。これが平等の意味するところだ。) 「You’re not to be so blind with patriotism that you can’t face reality. Wrong is wrong, no matter who does it or says it.」 (盲目的な愛国心のせいで、現実を直視できないようになってはいけない。どんな人物がやろうとも、どんな人物が語ろうとも、間違ったものは間違っている。) 「The media’s the mo

糸川英夫さんの残した言葉【日本の宇宙開発・ロケット開発の父】1912年7月20日~1999年2月21日

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「頭の中に古い考えが頑張っていると、新しい情報が入ってくるのを拒否するから、せっかくの新しいメッセージも届かない。」 「『自分にできること』よりも、『世の中が求めていること』に挑戦しつづけたほうが、人生も楽しい。」 「目標に向かって一段ずつ階段を上っていく上で、いちばん肝心なことは、必ず、最初の一段を上るということである。 そしてまた次に一段上るということである。」 「人生で大切なのは、失敗の歴史である。」 「時代感覚をシャープにするにはどうしても頭の中から旧型商品の在庫一掃をする必要がある。」 日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。

坂東三津五郎(10代目) さんの残した最後の言葉【歌舞伎役者】1956年1月23日~2015年2月21日

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平成27年の元旦がやってまいりました。 新年明けましておめでとうございます! 今年はもしかすると生まれて一番嬉しいお正月かもしれません。 というのも子供の時からお正月は一年で一番慌ただしい日々だったからです。 歌舞伎は二日が初日。元旦は両親、妹二人とも着飾るので早くから着かえさせられ、まずはうちの家族とお弟子さんで八時半ころからお屠蘇のお祝い。 その後すぐ年始回りに出かけるという日でしたから、いつもの学校の時間よりも早く叩き起こされました。 長じてからもたった一日の休みの元旦に年始回り、年始受けという日々を50数年続けてきました。 そうした中での一昨年の発病。 その病気を経て小康を保っている今年は、「あ~、今年も新しい年を迎えられて良かったなぁ・・・」と、心の底から新年を迎える喜びが立ち上がってくるのです。 そして1月は私の誕生月。 23日の誕生日にはなんとか59歳を迎えられそうだという喜びも重なってまいります。 ひととせの朝をあつめて飾松 (2015年1月1日のメッセージ) 日本の俳優、歌舞伎役者。日本舞踊坂東流家元。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。俳名は一万尺。 前名の五代目 坂東 八十助でも知られる。本名は守田 寿。青山学院大学文学部中退。 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー契約俳優。 長女は女優の守田菜生、長男は二代目坂東巳之助。

坂東三津五郎(10代目) さんの残した言葉【歌舞伎役者】1956年1月23日~2015年2月21日

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「私の生きる場所はここだと実感した。」 「これまで代役を仰せつかることはあっても、この五十年病気・怪我での入院もなく休まず舞台に打ちこめたのは丈夫な体のお陰だと思っておりました。ところが例年の健康診断を七月に受けましたところ、膵臓に腫瘍が見つかりました。早期発見出来たことは膵臓の病気としては大変幸運なことだそうです。この病気の更なる検査、完治に向けての治療のためしばらく三津五郎にお時間を頂戴したく存じます。」 「自分が一生懸命に勉強したときに限り、誰かが力を貸してくれてるなと思うときがあるんですよ。」 「先人たちが学んだことを守り、お客様と共感しながら舞台を創る。この両輪でいく歌舞伎を目指している。」 日本の俳優、歌舞伎役者。日本舞踊坂東流家元。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。俳名は一万尺。 前名の五代目 坂東 八十助でも知られる。本名は守田 寿。青山学院大学文学部中退。 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー契約俳優。 長女は女優の守田菜生、長男は二代目坂東巳之助。

ビリー・グラハムさんの残した言葉【キリスト教の福音伝道師】1918年11月7日~2018年2月21日

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「私は聖書を最後の1ページまで読んだことがある。そこで(ヨハネの黙示録の最後で)万事がうまく行くことになる」 「神は十字架上でその愛を証明した。キリストが釘付けられ、血潮を流して死なれたとき、神は世に向かって『あなたを愛している』と言っておられたのだ」 「両親に無礼な子どもは、誰にも真の敬意を払わない」 「神は私たちに2つの手を与えてくださった。片方は受け取るためであり、もう片方は与えるためである」 「勇気は伝染するものだ。1人の勇敢な人が立ち上がれば、他の人たちも胸を張るものだ」 「たとえ財産を失ったとしても、何も失ったことにはならない。健康を失うと、重要なものを失ったことになる。品性を失うと、すべてを失ったことになる」 「信仰者たちよ、天を見上げなさい。雄々しくありなさい。天使たちは思う以上に近くにいるものだ」 「愛する人の死に対して自分がどれほど覚悟できていると思っていても、その死は依然として衝撃であり、心に深い痛みをもたらすものだ」 「それぞれの人生は失敗から学ぶことや待ち望むこと、また成長することや忍耐すること、そしてめげないことで成り立っている」 「子どもや孫に渡すことのできる最高の遺産は、金銭的な蓄えや物質的なものではない。むしろ品性と信仰という遺産である」 「クリスチャンになるということは、瞬間的な回心で終わるものではない。一日一日の積み重ねである。人はそれによって、いよいよキリストの姿に近づいてゆくのだ」 「私の家は天にある。私はこの世を旅しているだけなのだ」 「間もなく人生が終わろうとしていることは分かっている。そのことを神に感謝しているし、この世で神が与えてくださったすべてに感謝している。しかし、私が楽しみにしているのは天国なのだ」 「もしこれまでの人生をやり直さなければならないとしたら、私は党派政治への関与の類いを避けるだろう。伝道者が召されていることはただ1つ。それは福音を語ることである。極めて政治的な事柄や党派政治に関わることは、伝道者の影響力を弱め、メッセージの質を下げることになる」 「私が家庭を空けていた日々は、永久に戻ってこない。巡回旅行の大半は必要だったが、一部は違った」 「苦しみは人間生活の一部であるが故に、誰にでも起こるものである。重要なのは、いかに応答するかである。怒りと苦々しさの中で神に背を向

大杉漣さんの残した最後の言葉【俳優】1951年9月27日~2018年2月21日

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「僕ら勝手に芝居してるんで、松居さんの好きなように撮ってくださいね」 (死の前日、松居監督へ) (最後の言葉) 日本の俳優、タレント。本名は大杉 孝。徳島県小松島市出身。明治大学中退。身長178cm、体重72kg。血液型はB型。ザッコ所属。長男は写真家の大杉隼平。異名は「300の顔を持つ男」。

大杉漣さんの残した言葉【俳優】1951年9月27日~2018年2月21日

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「僕はね、常に10年後を楽しみにしてるんですよ。もちろん、10年後のことなんて、誰にも分からない。だからこそ、今をどうするかってことが問われている気がしてね。理屈じゃなく、とにかく動きながら考える。いつも、シンプルでいたいんです。」 「今まで自分の中で『これでよし』なんていう確信めいた答えがあったかどうか、分かりません。本当に一生懸命、1本1本の作品とちゃんと向き合うことしかなかったと思います。」 「皆さん、下積みとおっしゃる。自分でそう思ったことは正直、一度もないんです。役者の仕事は生涯、下積みだと思うので。」 「『面白いことは、手間をかけて自分で探さないと』と思う。」 「僕はこれまでの自分の歩んだ時間を苦労だったと、感じたことはありません。苦労という言葉にあてはまらない時間です。だって僕が選んだ道ですから。」 「僕に何かを教えてくれたのは、『誰か』というより、『現場』だった気がします。」 「食わず嫌いをせず、触れることによって、見えてくることも。」 日本の俳優、タレント。本名は大杉 孝。徳島県小松島市出身。明治大学中退。身長178cm、体重72kg。血液型はB型。ザッコ所属。長男は写真家の大杉隼平。異名は「300の顔を持つ男」。

故人が残した名言集【2月21日】

大杉漣さんの残した言葉【俳優】1951年9月27日~2018年2月21日 「僕はね、常に10年後を楽しみにしてるんですよ。もちろん、10年後のことなんて、誰にも分からない。だからこそ、今をどうするかってことが問われている気がしてね。理屈じゃなく、とにかく動きながら考える。いつも、シンプルでいたいんです。」 「今まで自分の中で『これでよし』なんていう確信めいた答えがあったかどうか、分かりません。本当に一生懸命、1本1本の作品とちゃんと向き合うことしかなかったと思います。」 「皆さん、下積みとおっしゃる。自分でそう思ったことは正直、一度もないんです。役者の仕事は生涯、下積みだと思うので。」 「『面白いことは、手間をかけて自分で探さないと』と思う。」  「僕はこれまでの自分の歩んだ時間を苦労だったと、感じたことはありません。苦労という言葉にあてはまらない時間です。だって僕が選んだ道ですから。」 「僕に何かを教えてくれたのは、『誰か』というより、『現場』だった気がします。」 「食わず嫌いをせず、触れることによって、見えてくることも。」 「僕ら勝手に芝居してるんで、松居さんの好きなように撮ってくださいね」 (死の前日、松居監督へ) (最後の言葉) 日本の俳優、タレント。本名は大杉 孝。徳島県小松島市出身。明治大学中退。身長178cm、体重72kg。血液型はB型。ザッコ所属。長男は写真家の大杉隼平。異名は「300の顔を持つ男」。 ビリー・グラハムさんの残した言葉【キリスト教の福音伝道師】1918年11月7日~2018年2月21日 「私は聖書を最後の1ページまで読んだことがある。そこで(ヨハネの黙示録の最後で)万事がうまく行くことになる」 「神は十字架上でその愛を証明した。キリストが釘付けられ、血潮を流して死なれたとき、神は世に向かって『あなたを愛している』と言っておられたのだ」 「両親に無礼な子どもは、誰にも真の敬意を払わない」 「神は私たちに2つの手を与えてくださった。片方は受け取るためであり、もう片方は与えるためである」 「勇気は伝染するものだ。1人の勇敢な人が立ち上がれば、他の人たちも胸を張るものだ」 「たとえ財産を失ったとしても、何も失ったことにはならない。健康を失うと、重要なものを失ったことになる。品性を失うと、すべてを失ったこ