ビリー・グラハムさんの残した言葉【キリスト教の福音伝道師】1918年11月7日~2018年2月21日
「私は聖書を最後の1ページまで読んだことがある。そこで(ヨハネの黙示録の最後で)万事がうまく行くことになる」
「神は十字架上でその愛を証明した。キリストが釘付けられ、血潮を流して死なれたとき、神は世に向かって『あなたを愛している』と言っておられたのだ」
「両親に無礼な子どもは、誰にも真の敬意を払わない」
「神は私たちに2つの手を与えてくださった。片方は受け取るためであり、もう片方は与えるためである」
「勇気は伝染するものだ。1人の勇敢な人が立ち上がれば、他の人たちも胸を張るものだ」
「たとえ財産を失ったとしても、何も失ったことにはならない。健康を失うと、重要なものを失ったことになる。品性を失うと、すべてを失ったことになる」
「信仰者たちよ、天を見上げなさい。雄々しくありなさい。天使たちは思う以上に近くにいるものだ」
「愛する人の死に対して自分がどれほど覚悟できていると思っていても、その死は依然として衝撃であり、心に深い痛みをもたらすものだ」
「それぞれの人生は失敗から学ぶことや待ち望むこと、また成長することや忍耐すること、そしてめげないことで成り立っている」
「子どもや孫に渡すことのできる最高の遺産は、金銭的な蓄えや物質的なものではない。むしろ品性と信仰という遺産である」
「クリスチャンになるということは、瞬間的な回心で終わるものではない。一日一日の積み重ねである。人はそれによって、いよいよキリストの姿に近づいてゆくのだ」
「私の家は天にある。私はこの世を旅しているだけなのだ」
「間もなく人生が終わろうとしていることは分かっている。そのことを神に感謝しているし、この世で神が与えてくださったすべてに感謝している。しかし、私が楽しみにしているのは天国なのだ」
「もしこれまでの人生をやり直さなければならないとしたら、私は党派政治への関与の類いを避けるだろう。伝道者が召されていることはただ1つ。それは福音を語ることである。極めて政治的な事柄や党派政治に関わることは、伝道者の影響力を弱め、メッセージの質を下げることになる」
「私が家庭を空けていた日々は、永久に戻ってこない。巡回旅行の大半は必要だったが、一部は違った」
「苦しみは人間生活の一部であるが故に、誰にでも起こるものである。重要なのは、いかに応答するかである。怒りと苦々しさの中で神に背を向けるか、信頼と確信の中で神に近づくかである」
「天のしるしはなかった。上からの声もなかった。しかし私の霊の内で、自分が宣教の働きに召されていることは分かっていた。そして、私の答えが『YES』であることも分かっていた」
現代アメリカの最も著名なキリスト教の福音伝道師、牧師、神学校教師、福音派キリスト者。アメリカの伝道師と呼ばれる。1950年に「ビリー・グラハム福音伝道協会」を設立した。20世紀中ごろのリバイバル運動聖霊運動の主力となった一人である。今まで生きた誰よりも多く世界中の人々に福音を語ったといわれる。
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