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山本周五郎さんの残した言葉【小説家】1903年6月22日~1967年2月14日

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「人の偉大さはなにを為したかではなく、なにかを為そうとするところにある。」 「苦しみつつ働け、苦しみつつなほ働け、安住を求めるな。この世は巡礼である。」 「人間がこれだけはと思いきったことに十年しがみついていると、大体ものになるものだ。」 「満足やよろこびのなかよりも、貧困や病苦や失意や絶望のなかに、より強く感じることができる。」 「大切なのは『生きている』ことであり、『どう生きるか』なのである」 「人間が一つの仕事にうちこみ、そのために生涯を燃焼しつくす姿。--私はそれを書きたかった。」 「人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります。どんなに苦しい悲惨な状態も、そのまま永久に続くということはありません。現在は現在、きりぬけてみれば楽しい昔語りになるでしょう。まあ焦らずに悠くり構えるんですね。こんな暮らしの中にもまた味のあるものですよ。」 「人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになる。」 「男は階段を駆け降りるようなことはしてはいけない。」 「人間、本当に生きようと思って、実際にその生きることに情熱を感じて仕事をしていれば、金というものは付随的についてくるものです。」 「人生は無限の教訓に満ちあふれている。しかしどの一つとってみても、万人にあてはまるものはない。それを教訓にするかどうかは、君自身の選択にかかっている。」 「この世で経験することは、なに一つ空しいものはない。歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる。」 「この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。短い一生なんだ、自分の生きたいように生きるほうがいい。」 「一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも、一歩、一歩を慥(たし)かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。」 「勤労の裏づけのない富は、人間を誤る。」 「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もうひとつの人生を経験することができる、という点にある。」 「目的を定めて事を起こすとき大切なこと

山本周五郎さんの残した最後の言葉【小説家】1903年6月22日~1967年2月14日

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「人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、気のつかないことがいろいろある。」 (最後の言葉) 日本の小説家。本名、清水 三十六。 人間の心理描写に卓越する反面、人嫌いで人付き合いを極端に制限し、仕事場への訪問客にもめったに面会せず、座談はうまいのに講演は断り、園遊会には出席せず、文学賞と名のつくものはことごとく辞退した。