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河西昌枝さんの残した言葉【東洋の魔女】1933年7月14日~2013年10月3日

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「わたしたちは、『できない』ということは禁句であった。できないことをやるのが練習だったからである。 そして、これらの過程で手足もからだも鍛えられた。」 「命がけで世界一を目指したのは、長い人生の中でたった4年間だったような気がします。」 「日本中の声援が忘れられません。みなさんがほんと、ひとつになって、『がんばれよ』『勝ってほしい』と応援して下さった。プレッシャーでもなんでもなく、こんなに応援してくださっているのだから金メダルをとるしかないと思っていました。」 日本の元女子バレーボール選手。 河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼主将として優勝に大いに貢献した。ポジションはセッターで、長身を生かして前衛ではセンタープレーヤーも務めた。 1965年1月に日紡を退社、同年5月30日に当時の総理大臣である佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。 選手のファンであった女優の淡島千景がオーナーとなって設立したバレーボールのクラブチーム「フジクラブ」にも参加、同クラブの中心選手として活躍した(フジクラブは国民体育大会バレーボール競技一般女子の部において、1965年、1966年と二連覇した。1968年頃までには活動を終えたという)。またその後は、ママさんバレー教室の講師も務め、普及に尽力した。 2003年3月に日本バレーボール協会の女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長(チームマネージャー)を務めた。 2008年にバレーボール殿堂入りを果たした。