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安崎暁さんの残した最後の言葉【小松製作所代表取締役】1937年3月3日~2018年5月26日

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秋冷の候 皆様ご清祥のこととお慶び申し上げます 私こと安崎暁は10月上旬、体調不良となり入院検査の結果全く予期せざることに胆嚢ガンが見つかり、しかも胆道・肝臓・肺にも転移していて手術は不能との診断を受けました。 私は残された時間をQuality of Life優先にしたく、多少の延命効果はあるでしょうが、副作用にみまわれる可能性のある放射線や抗ガン剤による治療は受けないことにいたしました 1961年コマツに入社し、1985年取締役となり、1995年には社長に就任、会長を経て2005年取締役を退任いたしました。その間40余年、皆様方には公私ともに大変お世話になり、誠に有難うございました。また、引退後も余生を共に楽しく過ごさせて下さいました多くの方々にも大変感謝いたしております。 つきましては、私がまだ元気なうちに皆様方に感謝の気持ちをお伝えしたく左記の通り感謝の会を開催することにいたしました。ご都合のつく方々にご参加いただきお会いできましたら私の最大の喜びでございます。 最後の言葉(日経の個人広告) 日本の実業家。小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。

安崎暁さんの残した言葉【小松製作所代表取締役】1937年3月3日~2018年5月26日

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「ビジネスマンとしての気力・体力・知力のピークは45歳というのが私の持論です。きっかけは、米国企業との提携交渉でした。そのとき、痛感しました。向こうは、だいたい経営トップが一人で交渉に顔を出し、一人で孤独な決定を下す。しかも24時間、365日、頭を回転させている。体力はもちろん、何としても計画を達成しようという気力や会社の将来を構想する知力の点においても、ある程度若くなければ太刀打ちできない。自分を振り返ってみても、45歳くらいが一番脂がのっているのではないか。」 「本当は社長の器なのに、部長とか課長を長くやらせていたのでは、会社の損失です。もっと大きく伸びるチャンスがあるのに、会社がその芽を摘んでしまっているわけです。」 「ビジネスリーダー選抜育成制度の卒業生300人には、いつでもコマツの社長が務まるというのは言いすぎですが、何人かは本当に自分が社長になったつもりで仕事に取り組んでいます。将来は、きっとこの300人の中からコマツの社長が誕生するでしょう。巨大企業では実現が難しくても、我々くらいの規模のメーカーで45歳の社長が誕生すれば、日本の産業界にもプラスだと思います。」 「社長時代に人材育成が最も重要な仕事だと考え、30代、40代を対象とするビジネスリーダー選抜育成制度を始めました。卒業生はすでに300人ぐらいいます。優秀な若手・中堅をいろいろな部署から引き抜いて、勝手が違うほかの部署に投げ込み、そこで苦労し、経験を積んでもらう。できれば、失敗してもらう方がいい。間違いなく将来の糧になります。」 「戦後の日本の競争力を思い返してみると、技術力とチームワーク、そして若さがあったと思います。そういう意味では、人にもよるので一概には言えませんが、お年寄りが権力を握ったままいつまでもやっていくのは、考え直さないといけない。私自身もそんなに長くやるつもりはありません。」 「うちではCEO(最高経営責任者)は社長ですから、私(会長)は取締役会の議長だけ務めて、経営会議にも出ません。寂しい気持ちがまったくないと言ったら嘘になりますが、決断というものは、たとえ間違っていたとしても一人で下す方がいい。私も前任の片田(哲也)さんからそうさせてもらっていました。私の言うことを聞かない人が社長になってくれてよかったと本当に思っています。」 日本の実業家。小松製作所代表取締...