安崎暁さんの残した言葉【小松製作所代表取締役】1937年3月3日~2018年5月26日

「ビジネスマンとしての気力・体力・知力のピークは45歳というのが私の持論です。きっかけは、米国企業との提携交渉でした。そのとき、痛感しました。向こうは、だいたい経営トップが一人で交渉に顔を出し、一人で孤独な決定を下す。しかも24時間、365日、頭を回転させている。体力はもちろん、何としても計画を達成しようという気力や会社の将来を構想する知力の点においても、ある程度若くなければ太刀打ちできない。自分を振り返ってみても、45歳くらいが一番脂がのっているのではないか。」


「本当は社長の器なのに、部長とか課長を長くやらせていたのでは、会社の損失です。もっと大きく伸びるチャンスがあるのに、会社がその芽を摘んでしまっているわけです。」


「ビジネスリーダー選抜育成制度の卒業生300人には、いつでもコマツの社長が務まるというのは言いすぎですが、何人かは本当に自分が社長になったつもりで仕事に取り組んでいます。将来は、きっとこの300人の中からコマツの社長が誕生するでしょう。巨大企業では実現が難しくても、我々くらいの規模のメーカーで45歳の社長が誕生すれば、日本の産業界にもプラスだと思います。」


「社長時代に人材育成が最も重要な仕事だと考え、30代、40代を対象とするビジネスリーダー選抜育成制度を始めました。卒業生はすでに300人ぐらいいます。優秀な若手・中堅をいろいろな部署から引き抜いて、勝手が違うほかの部署に投げ込み、そこで苦労し、経験を積んでもらう。できれば、失敗してもらう方がいい。間違いなく将来の糧になります。」


「戦後の日本の競争力を思い返してみると、技術力とチームワーク、そして若さがあったと思います。そういう意味では、人にもよるので一概には言えませんが、お年寄りが権力を握ったままいつまでもやっていくのは、考え直さないといけない。私自身もそんなに長くやるつもりはありません。」


「うちではCEO(最高経営責任者)は社長ですから、私(会長)は取締役会の議長だけ務めて、経営会議にも出ません。寂しい気持ちがまったくないと言ったら嘘になりますが、決断というものは、たとえ間違っていたとしても一人で下す方がいい。私も前任の片田(哲也)さんからそうさせてもらっていました。私の言うことを聞かない人が社長になってくれてよかったと本当に思っています。」


日本の実業家。小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。

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