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赤瀬川隼さんの残した言葉【小説家】1931年11月5日~2015年1月26日

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「いよいよ北京オリンピックです。日本チームは・・・、優勝するんじゃないでしょうか。根拠はありません(笑)。 ダルビッシュ有選手の快投に期待して、テレビ観戦することにしましょう。」 「1984年のロサンゼルスオリンピックで、公開競技として野球が行われると聞いた時は、実はいささか冷やかに見ていたのです。しかし、いざ始まってみるとオリンピック好き、野球好きの血が騒いで、どの試合もついつい見入ってしまいました。その結果、オリンピックならではの面白さに気づいたというわけです。」 「私のオリンピックイメージの原点に、水泳の古橋廣之進選手の圧倒的な強さや、東京オリンピックでの陸上競技棒高跳び決勝でのアメリカのハンセン選手とドイツのラインハルト選手による9時間7分にも及んだ死闘などがあったからだと思います。古橋選手はオリンピックでは残念ながら活躍できなかったものの、とにかく当時の日本人にとって強烈な存在でした。」 「個人的には、オリンピックは陸上競技や水泳、レスリングなどのように、シンプルに『速さ』や『強さ』を競うもので、野球のように複雑なルールを持ち、さまざまな用具を必要とする人工的な球技はなじまないと思っていました。」 「キューバに素朴な強さがある一方で、日本には、リナレス選手も参考にしたという、コツコツと点を取る細かい野球があります。キューバやアメリカの選手が見せるリストを利かせた投げ方は、日本ではあまり見かけません。 このように民族による野球の違いを発見できるのが、オリンピックの野球の面白いところ。大リーグやプロ野球ではあまり感じることができないものです。」 日本の小説家。三重県生まれ。大分第一高等学校卒業。旧制中学の同級生に、磯崎新がいた。 住友銀行、外国語教育機関書店などに勤務した後、1983年に『球は転々宇宙間』で吉川英治文学新人賞を受賞しデビュー。『白球残映』にて第113回直木賞受賞。63歳8ヶ月での受賞は歴代4番目に高齢である。