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斎藤茂吉さんの残した言葉【歌人】1882年5月14日~1953年2月25日

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「あきらめることは弱い人間がやることでもなければ、いままでの努力が水の泡になることでもない。」 「僕は老残の身をいたはりつつ、せい一ぱいの為事をして、この世を去りませう。」 「清く正しきものは常に勝ちます。」 「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが歌の上の写生で、写生は決して単なる記述などではない。」 「己の行く道は間違ってはいない。むろん苦険道であるから時々へたばる時がある。けれども己は歩兵のように歩む。」 「なにかを光らせるには、光るまで磨くだけでいい。」 日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。