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植村直己さんの残した最後の言葉【登山家】1941年2月12日~1984年2月13日

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「何がなんでもマッキンリーに登るぞ」 (最後の日記) 日本の登山家、冒険家。兵庫県出身。1984年に国民栄誉賞を受賞。

植村直己さんの残した言葉【登山家】1941年2月12日~1984年2月13日

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「始まるのを待ってはいけない。 自分で何かやるからこそ 何かが起こるのだ。」 「そうだ、ヨーロッパ・アルプスへ行こう。そして、日本にない氷河をこの目でみよう。」 「英語ができないフランス語が出来ないなどと言っていたら、一生外国など行けないのだ。男は、一度は体を張って冒険をやるべきだ。」 「僕はとても臆病なんですよ。高所恐怖症なんで、高いところでは足が震えます。」 「いくら私が冒険が好きだからといっても、経験と技術もなくて、また生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも、勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ。それがどんなに素晴らしい挑戦であったにしても、生命を犠牲にしては意味がない。」 「私は先へ進まなければならない。憂鬱でも気が重くても、それが私の運命のようなものなのだから、勇気をふるい起こして、先へ進まなければならない。」 「私は、その日はどうするか決心もつかずにホテルに帰った。こうして、目のあたりにアマゾンの恐ろしさを知らされると、逆に私の決心はいよいよ固まっていくのであった。」 「何が何でもマッキンリー登るぞ。」 「全力投球で自分のやりたい事をやることは楽しいことである。」 「私は初志を貫徹しようと決心した。山に登るときと同じように全精力を傾けてことを成せば、たとえ厳しい河といえども、下れないことはないと思った。私はそう決心するともう完全にアマゾンの虜になってしまった。決心のつかないころは、恐怖がつきまとったがいったん決心がつくと私の心はおちついてきた。」 「これまでの私の山を舞台にした自然との苦闘と違い、アマゾンへの挑戦には、恐ろしい中にも別なスリルの味わいがあった。つね日ごろ宗教心などひとかけらもない私がとにかく真剣に神に祈ったのだから不思議なものだ。しかし自分の力で切りぬけられるときには、祈るよりは立ち向かうべきことを学んだ。」 「いや、オレはなんとしてでもやらねばならないのだ。単独登攀はいつの場合にも危険なのはわかっている。それを承知の上でやっているのだから、自分で危険に直面もせず、他人にいわれただけで中止するとはまったくいい訳にもならない。」 「カメラより山頂の石をみんなに見せた方がいい。」 「君たちに僕の考えを話そう。僕らが子供の時、目に映る世界は新鮮で全てが新しかった。医者でも登山家でもやろうと思えば何でも