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森繁久弥さんの残した言葉【俳優】1913年5月4日~2009年11月10日

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「結局、失敗を恐れず、忍耐に忍耐を重ね、どん底からはい上がってくるなかで、人間は鍛えられてくる」 「成功の半分は、忍耐である」 「演技も人生も、几帳面にやらず、すこしボケるのがコツ」 「そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。大概笑ってごまかせることだ」 「人情ほど、金のかからぬ、しかも心あたたまる行為はない」 日本の俳優、声優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。身長168cm。血液型はB型。 昭和の芸能界を代表する国民的俳優の一人であり、映画・テレビ・舞台・ラジオ・歌手・エッセイストなど幅広い分野で活躍した。早稲田大学を中退後、NHKアナウンサーとなって満州国へ赴任。帰国後、舞台やラジオ番組の出演で次第に喜劇俳優として注目され、映画『三等重役』『社長シリーズ』『駅前シリーズ』で人気を博した。人よりワンテンポ早い軽快な演技に特色があり、自然な演技の中で喜劇性を光らせることができるユニークな存在として、後進の俳優たちにも大きな影響を与えた。また、『夫婦善哉』『警察日記』等の作品での演技が高く評価され、シリアスな役柄もこなした。映画出演総数は約250本を超える。舞台ではミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』で主演し、上演回数900回・観客動員約165万人の記録を打ちたてた。『知床旅情』の作詞・作曲者でもあり、歌手として紅白歌合戦に7年連続で出場している。語りのうまさには「森繁節」と言われるほど定評があり、ラジオ番組『日曜名作座』への出演のほか、朗読作も多い。先に亡くなっていく俳優たちへの弔辞を読む姿でも知られる。慈善活動にも尽力し、自身の寄付活動を伴淳三郎らとともにあゆみの箱として法人化している。著書に自伝『森繁自伝』、エッセイ『品格と色気と哀愁と』など多数。 1991年に大衆芸能分野で初の文化勲章を受章。ほかの栄典・称号に紫綬褒章、文化功労者、名誉都民、国民栄誉賞、従三位など。