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岸田劉生さんの残した言葉【孤高の画家】1891年6月23日~1929年12月20日

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「この世界を美しく見たいのは人類の意志である。」 「醒めよ、吾が冷き理性、醒めよ、吾が、強き意力、常に爾(なんじ)を欺(あざむ)きて、眠らせんとする、卑屈なる吾を鞭打て、吾は弱し、されど、吾は、吾自ら進まざる可らず。醒めよ!常に醒めよ!」 「自分の虚栄心は他人に対して、自分は偉い人間だぞと云いたがっている、それから、自分は世間的に名のひろまった、つまり有名な人間だぞと云いたがっている。」 「はぢめからやりなおほして、まっ向からわきめもふらずに突き進まなきゃ駄目だぞと思ふ。」 大正から昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。

梅原竜三郎さんの残した言葉【日本洋画界の重鎮】1888年3月9日~1986年1月16日

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「美しい光や色彩に感動すれば、何度でも同じ絵を描く。」 「生者は死者の為に煩わさるべからず。」 「葬式の類は一切無用のこと。 弔問、供物の類はすべて固辞すること。 生者は死者のためにわずらわさるべきにあらず。」 (遺言) 日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。1914年までは梅原 良三郎を名乗った。 ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。

梅原竜三郎さんの残した最後の言葉【日本洋画界の重鎮】1888年3月9日~1986年1月16日

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「アトリエに、描きかけの絵がある。見てきたまえ。」 (入院前に医師にむかって。そんな絵は、なかった。) (最後の言葉) 「心配ない、心配ない。」 (「胸が痛みますか」という医師の問に) (最後の言葉) 日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。1914年までは梅原 良三郎を名乗った。 ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。

フィンセント・ファン・ゴッホさんの残した最後の言葉【ひまわり】1853年3月30日~1890年7月29日

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「泣かないでくれ。僕はみんなが幸せになるようにと思って、こんなことをしたんだ。」 「僕はこんなふうに死んでいきたいと思ってたんだ。」 (麦畑で拳銃自殺を計り、駆けつけた弟テオへ) (最後の言葉) オランダの実在した人物。 ポスト印象派の画家。 主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代とサン=レミでの療養時代に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。 主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代とサン=レミでの療養時代に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。フォーヴィスムやドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。

ルノワールさんの残した最後の言葉【ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会】1841年2月25日~1919年12月3日

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「パレットをよこしなさい。この2羽の山しぎは」 「山しぎの位置を変えてくれ。早く、絵具を、パレットをよこしてくれ」 (最後の言葉) フランスの印象派の画家。後期から作風に変化が現れ始めたため、ポスト印象派の画家の一人として挙げられることもある。

ルノワールさんの残した言葉【ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会】1841年2月25日~1919年12月3日

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「絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ。」 「私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ。」 「作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね。」 「もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない。」 「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか。」 「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ。」 「痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る。」 「風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい。」 「芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる。」 「百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい。」 「画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ。」 「ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している。」 「人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない。」 フランスの印象派の画家。後期から作風に変化が現れ始めたため、ポスト印象派の画家の一人として挙げられることもある。

パブロ・ピカソさんの残した言葉【20世紀最大の芸術家】1881年10月25日~1973年4月8日

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「I do not seek, I find.」 (私は捜し求めない。見出すのだ。) 「He can who thinks he can, and he can’t who thinks he can’t. This is an inexorable, indisputable law.」 (できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である。) 「Every child is an artist. The problem is how to remain an artist once he grows up.」 (子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。) 「My mother said to me, ‘If you are a soldier, you will become a general. If you are a monk, you will become the Pope.’ Instead, I was a painter, and became Picasso.」 (昔、母は私にこう言った。お前が軍人になれば、将軍となるでしょう。修道士になれば、法王となるでしょう。そして私は画家となり、ピカソとなった。) 「Art is the lie that enables us to realize the truth.」 (芸術とは、われわれに真実を悟らせてくれる嘘である。) 「Everything you can imagine is real.」 (想像できることは、すべて現実なのだ。) 「Art washes away from the soul the dust of everyday life.」 (芸術は日々の生活のほこりを、魂から洗い流してくれる。) 「I am always doing that which I can not do, in order that I may learn how to do it.」 (私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ。) 「Some painters transform the sun into a yellow spot; others transform a yellow spo

アンディ・ウォーホルさんの残した言葉【ポップ・アートの巨匠】1928年8月6日~1987年2月22日

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「I’ve never met a person I couldn’t call a beauty.」 (美しくない人なんて、僕は出会ったことがない。) 「I don’t see anything wrong with being alone, it feels great to me.」 (孤立することが悪いなんてちっとも思わない。僕にとっては最高の気分さ。) 「I’m afraid that if you look at a thing long enough, it loses all of its meaning.」 (物事を見すぎることで、それが持つ意味がまったく見えなくなることを僕は怖れる。) 「Think rich, look poor.」 (考えは豊かに、見た目は貧しく。) 「They always say that time changes things, but you actually have to change them yourself.」 (時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。) 「In the future everyone will be world-famous for 15 minutes.」 (誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。) 「Isn’t life a series of images that change as they repeat themselves?」 (人生って、繰り返し見る度に変化していく映像のようなものだ。そうだろう?) 「Don’t pay any attention to what they write about you. Just measure it in inches.」 (自分について何か書かれていても、その内容は気にしちゃいけない。大事なのは、どのくらいのスペースが割かれているかだ。) 「それはあまりたいした問題じゃない。私はいつもこの「それはたいした問題じゃない」という哲学を持ってきた。」 「I like boring things.」 (退屈なことが好きなんだ。) 「If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface

フィンセント・ファン・ゴッホさんの残した言葉【ひまわり】1853年3月30日~1890年7月29日

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「Do not quench your inspiration and your imagination; do not become the slave of your model.」 (あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな。) 「Great things are not done by impulse, but by a series of small things brought together.」 (偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。) 「Your life would be very empty if you had nothing to regret.」 (何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。) 「I am always doing what I can’t do yet, in order to learn how to do it.」 (私はいつも、まだ自分ができないことをする。そのやり方を学ぶために。) 「I put my heart and my soul into my work, and have lost my mind in the process.」 (私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う。) 「The more I think about it, the more I realize there is nothing more artistic than to love others.」 (考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく。) 「I envy the Japanese the extreme clarity in whatever they do.」 (日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい。) 「There is no blue without yellow and without orange.」 (もし、黄色と橙色がなければ、青色もない。) 「Love is something eternal; the aspect may change, but not the essence.」 (愛は永久不滅

マルク・シャガールさんの残した言葉【愛の画家】1887年7月7日~1985年3月28日

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「Life has only one color. Like the palette of art, the color gives us the meaning of life and art; that’s love.」 (人生には単一の色がある。芸術のパレットと同じ様に、その色は人生と芸術の意味を与えてくれる。それは愛という色だ。) 「絵を描きあげたとき、私は最終テストとして、神の制作物、石や、花、小枝、あるいは私の手を絵の上にかざす。もし、絵画が人の作りえぬものに寄り添うならば、その絵画は本物である。もし、衝突するならば、それは失敗作である。」 「私を幻想的と呼ばないでほしい。反対に私はレアリストなのだ。私は大地を愛している。」 「As for colors, similar ones are friends and opposite ones are lovers.」 (色は、近い色同士が友人で、反対の色同士が恋人。) 「Only God helps me, and I shed my tears of truth in front of my picture. In my picture,my wrinkles and countenance remains and there, my forever-flowing soul will stay.」 (ただ神のみが手をかして、私は自分の絵の前で、真実の涙を流すのだ。私の絵に、私の皺、私の蒼白の顔色が残り、そこに、永遠に流動する私の魂が止まるだろう。) 「自分自身を完全に打ち込ませなければならない。仮に99パーセントしかのめりこめないのであれば、情熱が足りないか、才能が足りないかのいずれかだ。」 「Love is my only interest, so I’m concerned just with the things surrounding love.」 (愛だけが私の興味を引くものだから、愛を取り巻くものとしか私はかかわりを持たない。) 「Time is a river without shores.」 (時間は岸のない川である。) 「ただ自分の論理と理性を持つ真摯な心だけが自由なのだ。文学が不条理であろうとも、最も純粋であると人々に言われる段階にまで達したのは、魂それ自身によっ

平山郁夫さんの残した言葉【画家】1930年6月15日~2009年12月2日

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「何事も好調な時にニコニコしているのは当たり前。うまくいっていない時こそ、笑顔で乗り切れるかどうかにその人の真価が問われる。」 「いまのスポーツ選手は体格がいいのに昔ほど強くないのは、野放しにせずはじめから手とり足とり理屈で形を覚えさせるからでしょう。理屈には限界があって、その能力でしか力が出せないんです。絵でもそうです。知識で描くと個性的な主張がなくなります。」 「才能とは持続することである。」 日本画家、教育者。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務めた。文化勲章受章者。称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民。 子に古代生物学者の平山廉。妻は平山美知子。実弟は平山助成元海上自衛官 海将補、現平山郁夫美術館館長。 日本とアジア諸国との友好活動や東北アジア・中央アジアでの文化財保護活動はアジア諸国、特に中国政府から評価が高く、日中友好協会会長も務め、「文化交流貢献賞」が贈られている。またマニラ市のラモン・マグサイサイ賞財団よりマグサイサイ賞を贈られている。 一方、「文化大革命や都市開発により中国人自身の手によって破壊された中国の歴史的建造物を『戦時中に日本軍が破壊した』として日本人から寄付金を募って中国の文化財の復元事業に当てた」として批判も受けている。「梁思成は日本の古都の大恩人」という根拠薄弱な説に基づいて寄付金を募り、梁思成の銅像建立事業を主導した事も批判の対象となっている。また国立大学である東京藝術大学の学長という公職にありながら、出版社、百貨店、放送局などとタイアップした自作の展示即売会で多額の利益を上げている点などを批判されることもある。 東京藝術大学学長を辞任した1995年には岩橋英遠の「赤とんぼ」という作品からの盗作疑惑が持ち上がっている。

フェルナンド・ジョルトさんの残した言葉【画家】1949年4月7日~2018年8月10日

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「I LOVE AND FEEL THE COLOURS, BECAUSE THEY SHOW ME THE LIFE WITHIN THE LIGHT」 (私は色を愛し、感じる、彼らは私に光の中で人生を見せてくれる) エルサルバドルの画家。原色を用いた抽象画を手掛け、神・自然・人の調和をモチーフとした作品を多く発表した。ラ・パルマに「セミジャ・デ・ディオス」を設立した。小物や生活用品に絵を施した民芸品を作るコミュニティを築き、その作成手法を一般庶民へ広めるなどの文化活動を行っている。

いわさきちひろ さんの残した言葉【画家】1918年12月15日~1974年8月8日

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「大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分の方から、人を愛していける人間に、なることなんだと思います。」 「人間はあさはかなもので、身にふりかかってこなければ、なかなかその悲しみはわからない。若い、苦しみに満ちた人たちよ。若いうちに苦しいことがたくさんあったということは同じような苦しみに堪えている人々にどんなにか胸せまる愛情がもてることだろう。」 「本当に強いやさしい心の人間になる条件はその人が、経験した苦しみの数が多いほどふえていく。」 「世界中の子供みんなに平和としあわせを。」 「戦場にいかなくても戦火のなかで子供たちがどうしているのか、どうなってしまうのかよくわかるのです。」 「平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます。」 子供の水彩画に代表される日本の画家・絵本作家である。福井県武生市生まれ。左利き。 常に「子どもの幸せと平和」をテーマとした。 初期作品には、岩崎ちひろ、岩崎千尋、イワサキチヒロ名義で発表されたものが存在する。夫は日本共産党元国会議員松本善明。孫は絵本作家の松本春野。

山下清さんの残した言葉【裸の大将】1922年3月10日~1971年7月12日

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「踏むな、育てよ、水そそげ。」 「おにぎりが貰えるまで歩くから、貰えないってことはないんだな。」 (おにぎりが貰えなかったらどうするのかを問われ) 「ぼくは、ぼーとしているのが、やっぱり一番いいな。」 「上手に逃げよう。」 「敵のタマに当たって死ぬのが、一番おっかない。」 「自分がいい所へ行こう。行こうと思うと、少しもいい所へ行かれない。いい所へ行こうとしなければ、しぜんにいい所へぶつかる。いい所へ行こうとするから、いい所へぶつからないんだろう。」 「自然に行くのがいいんだな。」 「死んだことのない人が、死んだ人のことがわかるかな。」 「人間、死んだら何も出来なくなるもんな、やっぱり。」 「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな。」 日本の画家。日本中を放浪していたことで知られている。

山下清さんの残した最後の言葉【裸の大将】1922年3月10日~1971年7月12日

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「今年の花火大会はどこへ行こうかな」 (最後の言葉) 日本の画家。日本中を放浪していたことで知られている。

東山魁夷さんの残した言葉【静かな巨匠】1908年7月8日~1999年5月6日

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「私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである」 日本の画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山 新吉。

エムナマエさんの残した言葉【全盲のイラストレーター】1948年9月1日~2019年3月6日

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「成功するには、続けること、残ることが肝心」 「失明するとき、僕は自分にとってできることと、できないことの見極めをしたんだ。じゃあ今からどんなプロセスをたどれば、次のステップ、第二の人生に移行できるかなと考えた。」 日本の画家、児童文学作家。

堀文子さんの残した言葉【日本画家】1918年7月2日~2019年2月5日

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「本当にやりたかったことは忘れずに諦めないでいれば、何十年と月日が過ぎても、不思議とチャンスはやってくるんです。いくつになっても、誰にでも、あきらめなければそのチャンスはきます。」 「『反省なんてしたらダメなんです。反省したら前のところに留まってそこから上には行けないのです。』反省は、失敗したことを叱るお説教みたいなものですから、これから進む前に戻れということになるわけでしょう。」 「私は人に迷惑をかけますから、ひとりを選ぶんです。私には習慣性がないんです。同じことの繰り返しが嫌いなんです。人を見るときも本能で、好きか嫌いかで、損得ではきめません。地位や名誉、肩書きなんてうつろいやすいもので、それにふりまわされないようにすることです。」 「私も機嫌よく死にたい。生き生きと死にたいということは、たくさんの先輩から学びました。そういう方がこの世からどんどん消えていきます。老残のかけらも見えぬ、阿部なを先生の迫力の原動力が知りたかった。『死ぬまでに体の悪い所は直しておかないと。』何というすごい生き方だ。」 「現状を維持していれば無事平穏ですが、新鮮な感動からは見捨てられるだけです。私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています。」 「嘘をついたり、ごまかしたり、飾ったりしていると、自分の体のなかに自然があることがわからなくなってしまう。細胞もおかしくなるに違いない。嘘をつくと嘘の電流が体のなかに流れるんだと思います。」 「身体が衰えてきますと、誰でもが何もできない諦めの老人と思うでしょう。(けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます)いままで『知っている』と思っていたことが、本当は『知らなかった』と。それが、だんだんわかってくるのです。」 「群れをなさないで生きることは、現代社会ではあり得ないことです。何をするにしても誰かと一緒にしなければならない。それを私はしないよう道を選んで、私のような職人にはよかったと思います。」 「人間誰でもいろいろな意味で、悩んだり、悔しかったり、ひどい目に遭ったり、生きるということは毎日が大騒ぎじゃないですか。そんなときに、お説教されるのは嫌ですが、何か自分の気持ちに相応しい言葉と出合ったりするのは嬉しいものです。」 「みんなひとりが寂しいといいますが、人といれば本当に寂しくないのかしら?人は