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ジョセフ・マーフィーさんの残した言葉【潜在意識の法則】1898年5月20日~1981年12月16日

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「楽天主義も悲観主義も一つの思考習慣によるものです。楽天家の人生が楽しく、悲観主義者の人生が暗いのは当然です。どちらもそれを望んだからです。」 「自信とは、自分の能力や技量で物事が達成できるかどうかの見通しのことです。そして見通しを立てるのは想像力です。自信のない人に共通しているのは想像力に乏しいことです。」 「自分を愛せない人を他人は決して愛しません。人から愛されたいと思うなら、まず自分自身を愛することから始めなさい。」 「幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。」 「現実の自分よりも理想の自分を愛しなさい。そして理想の自分で他人と接するべきです。これが他人から評価される秘訣です。」 「過去の過ちを悔い改めた人は、すでに生まれ変わっているのです。いつまでも責めることは、無実の人を責めることと一緒です。」 「あなたを悩ましたり、悪口をいう人にも、平静な心で注意を向けなさい。きっとあなたにとって得るところがあるはずです。良薬が口に苦いように、あなたに偉大なる存在が苦言を呈しているかもしれないからです。」 「失敗への恐怖は成功の足を引っぱる最大のものです。それは根拠のない恐怖にすぎません。そして失敗への恐怖感を抱く人は、じつをいえば失敗することを望んでいるのです。」 「種をまかなければ芽は出ません。同様に問題がいかに難しそうであっても、答えを求めなければ回答は得られません。」 「笑顔には、人の心を明るく、柔和で好意的にさせてくれる偉大な力があります。従って常に笑顔を心がける人の未来は、ポジティブに飛躍するようになるのです。」 「信頼とは信頼に値する材料があるからするというものではなく、まず先に信頼してしまうことなのです。信頼されると人はそれにこたえようとするものです。」 「他人の心で状況をながめてみなさい。そうすれば真実が見えてきます。」 「あなたの運命を決めるのは、あなたの心に張られた帆であって風ではありません。」 「あなたの成功や目標達成をじゃまする唯一のものとは、あなた自身の考えや心で思っていることです。」 「グチや悪口は不幸を呼ぶ呪文です。けっして口にしてはなりません。」 「おだやかな心は問題を解決します。怒りにふるえ、悲しみに打ちひしがれ、嫉...

サマセット・モームさんの残した言葉【月と六ペンス】1874年1月25日~1965年12月16日

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「The tragedy of love is indifference.」 (恋の悲劇は、無関心である。) 「To eat well in England, you should have a breakfast three times a day.」 (イギリスでよい食事をしようと思うなら、朝食を三度とればいい。) 「Love is what happens to men and women who don’t know each other.」 (愛とは、お互いに相手を知らない男女の間に発生するものである。) 「The important thing was to love rather than to be loved.」 (大事なことは、愛されることよりも愛することだった。) 「An unfortunate thing about this world is that the good habits are much easier to give up than the bad ones.」 (この世の不幸は、良い習慣をあきらめるほうが、悪い習慣をあきらめるよりも、ずっと簡単だということにある。) 「There’s always one who loves and one who lets himself be loved.」 (この世には、愛する人と愛される自分になろうとする人がいる。) 「People ask you for criticism, but they only want praise.」 (人は批評してくれというが、称賛を欲しているだけである。) 「The only way to live is to forget that you’re going to die.」 (生きるための唯一の方法は、自分がいつか死ぬことを忘れることだ。) 「We know our friends by their defects rather than by their merits.」 (我々は、その長所よりも欠点によって友を知るのだ。) 「Life isn’t long enough for love and art.」 (愛と芸術を求めるには人生は短すぎる。) 「The crown of literature is poetry.」...

ドロシー・ディックスさんの残した言葉【ジャーナリスト】1861年11月18日~1951年12月16日

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「We are never happy until we learn to laugh at ourselves.」 (自分のことを笑えるようになるまでは、決して幸せにはなれない。) 「Women whose eyes have been washed clear with tears get broad vision.」 (涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの。) 「There is no weapon in the feminine armory to which men are so vulnerable as they are to a smile.」 (女が持っている武器の中で、笑顔にまさるものはないわ。男は女の笑顔にすごく弱いのよ。) 「Nobody wants to kiss when they are hungry.」 (お腹がすいているときにキスがしたい女なんていないわ。) 「It is a queer thing, but imaginary troubles are harder to bear than actual ones.」 (奇妙なことだけど、現実の問題よりも想像上の心配事のほうが耐え難いのです。) 「I have learned to live each day as it comes, and not to borrow trouble by dreading tomorrow. It is the dark menace of the future that makes cowards of us.」 (わたしはその日その日をあるがままに生きようとしてきました。そして明日におびえず、無駄な心配をしないようにしてきたのです。わたしたちを臆病にさせるのは、将来への暗い見通しなのですから。) 「You never saw a very busy person who was unhappy.」 (すごく忙しそうにしている人で、不幸だった人は見たことがないわ。) 「I stood yesterday. I can stand today. And I will not permit myself to think about what migh...

安藤昇さんの残した言葉【俳優】1926年5月24日~2015年12月16日

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「『男の品位』とは、言行の一致にして一念に殉じることを言う。つまり、『やる』と約束したことは命を取られてもやり抜く。『やらない』と言い切ったら、万金を積まれても微動だにしない。そして、事に臨んで弱音を吐かず、失敗したら無念の一語を呑みこんで潔く責任を取る。 これが『男の品位』だ。…… 価値観の多様化などともっともらしいことを世間では言うが、そうではない。『男の品位』は時代を超えて不変なのだ。」 「果報は寝たふりをして待て」 「ヤクザは辞めたが 男を辞めた覚えはない」 「相手に敵意がないことを示すのが礼儀。」 日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡東大久保天神下出身。 愚連隊となった当初は新宿で勢力を拡大しようとしていたが、敗戦直後の新宿は古豪と新興勢力がひしめきあう激戦区であったため、やがて渋谷へ転進。当時の渋谷は、渋谷駅を世田谷方面からのターミナル駅として利用する学生が集まる、いわば「子供の町」であった。そのためか、1950年代半ばまでは警察も飲食店での揉め事に関知しない「無警察地帯」であったとされ、そこに目をつけたものと思われる。 トレードマークとして知られる左頬の傷は、1949年春の夕暮れどき台湾人の蔡という人物に銀座・並木通りとみゆき通りの交差点付近で言い掛かりを付けられ、喧嘩になりかかった際に「待ってくれ!上着を脱ぐから」と云うので律儀に待っていたところ、咄嗟に上着に隠してあった短刀で切り付けられた時のものである。 映画『網走番外地 吹雪の斗争』に出演した際、監督・石井輝男に無断で撮影現場を離れて帰ったことがある。石井は含むところもなく、安藤とこれ以降の映画でも仕事をしている。 俳優として出演していたのは専ら映画だったが、1970年にはテレビ時代劇『新・三匹の侍』にも主演している。監督を務めた五社英雄とは互いに義兄弟と認めた間柄であり、五社自ら自分の映画への出演を安藤に打診していたが、1974年、東映配給の映画『暴力街』において安藤は江川紘一役で主役を務めた。 唐十郎監督映画『仁侠外伝 玄界灘』撮影中に本物の拳銃を使い、監督とともに小田原署に逮捕される。安藤によればこれは宣伝のためで、捕まることが前提であったという。撮影現場には新聞記者も呼んでいた。 安藤は俳優として人気も実力もあったが、あま...

早坂暁さんの残した最後の言葉【小説家】 1929年8月11日~2017年12月16日

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『あなたたちに伝えたいこと』 (地元の中学生たちへの最後のメッセージ) あなたたちは、自分がどのようにして生まれてきたと思いますか?もちろん、お父さんとお母さんがいないと生まれてきません。 いや、うちはお母さんだけだよ、お父さんだけなんだ、という人もいるかもしれません。 でもあなたたちがお母さんのおなかに宿ったときは、一人ではなかったはずです。 お父さん、お母さんにはその両親がいて、それはあなたたちのおじいさんやおばあさんだけど、そのまたおじいさん、おばあさん…。 その数は五代前までさかのぼると、単純計算で約六十人、十代前だと何と約二千人になります。 その一人でも欠けたら、今あなたたちはここに存在していません。 つまり、あなたたちが生まれたのには、大きな大きな意味があるのです。 あなたたちは、誰もがすべて、かけがえのないひとりひとりなのです。 そして、あなたたちは、自分の名前について聞いたことがありますか? 自分の名前にどういう意味があるのか、どういう気持で名付けられたのかを知るのは、とても大切なことです。もし、まだ知らない人がいたら、今日帰っておうちで聞いてみて下さい。 ちなみに僕の名前は、四国遍路をしていたお坊さんに付けて貰いました。 僕は、生まれたときにとても体が弱く、お医者さんから十才までは生きられないだろうと言われました。 お医者さんからも見放され、もうお大師さまにおすがりするしかないと考えた母親は、何とか助けたいと、小さな僕を乳母車に乗せて四国遍路に出ました。 大人でも大変なお遍路です。今のように車も電話もありません。もちろんコンビニもありません。そんな時代に乳母車を押して四国を歩き通すのはさぞかし大変だったと思います。 途中、いろんな人に助けて貰いました。山の上の札所に行くときは、知らないおじさんがおぶってくれ、海辺ではお接待で漁師の女の人のお乳を貰ったりもしたそうです。 母親だけではとうてい四国を回れなかったでしょう。いろんな人に助けて貰いながら八十八カ所を回ることができたのです。 そのおかげでしょうか、僕は八十八歳になった今も元気です。 人は人と結びあい、触れ合わなくては生きていけない生き物です。たった一人では生きていけません。人が一番学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合う...

早坂暁さんの残した言葉【小説家】 1929年8月11日~2017年12月16日

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「夢です。夢がなくては、人は大きくならん。米や魚は体を大きくするだけだよ。」 日本の小説家、脚本家。本名、富田 祥資。 愛媛県温泉郡北条町生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 新聞社編集長を経て、いけばな評論家として活躍。日本テレビで制作・放送された『ノンフィクション劇場』には、放送作家として全作品に関わる。 その後テレビドラマや映画の脚本、小説を手がけ、常に庶民の目線で独自の作風を築く。ドキュメンタリーや舞台戯曲、演出も手がけ、その総数は1000本以上ともいわれる。 代表作は『天下御免』『夢千代日記』『花へんろ』『ダウンタウン・ヒーローズ』『華日記・昭和生け花戦国史』『戦艦大和日記』など。必殺シリーズでは脚本をはじめ、オープニングナレーションも多数手掛けている。なかでも『必殺からくり人』の脚本は史実と虚・世相を織り交ぜながらの巧みなストーリとなっており、既存の必殺シリーズとは一線を画した内容で評価が高い。 生家が遍路みちに面した大きな商家で、幼少より遍路に接してきたこと、また、遍路に置き去りにされ、生家が引き取って「妹」として育った少女が、広島で原爆に遭い死亡したと思われることなどから、遍路や原爆に関する作品や論評、活動も多く、生家をモデルにした『花へんろ』、胎内被爆者が主人公の『夢千代日記』につながっている。

故人が残した名言集【12月16日】

早坂暁さんの残した言葉【小説家】 1929年8月11日~2017年12月16日 「夢です。夢がなくては、人は大きくならん。米や魚は体を大きくするだけだよ。」 『あなたたちに伝えたいこと』 (地元の中学生たちへの最後のメッセージ) あなたたちは、自分がどのようにして生まれてきたと思いますか?もちろん、お父さんとお母さんがいないと生まれてきません。 いや、うちはお母さんだけだよ、お父さんだけなんだ、という人もいるかもしれません。 でもあなたたちがお母さんのおなかに宿ったときは、一人ではなかったはずです。 お父さん、お母さんにはその両親がいて、それはあなたたちのおじいさんやおばあさんだけど、そのまたおじいさん、おばあさん…。 その数は五代前までさかのぼると、単純計算で約六十人、十代前だと何と約二千人になります。 その一人でも欠けたら、今あなたたちはここに存在していません。 つまり、あなたたちが生まれたのには、大きな大きな意味があるのです。 あなたたちは、誰もがすべて、かけがえのないひとりひとりなのです。 そして、あなたたちは、自分の名前について聞いたことがありますか? 自分の名前にどういう意味があるのか、どういう気持で名付けられたのかを知るのは、とても大切なことです。もし、まだ知らない人がいたら、今日帰っておうちで聞いてみて下さい。 ちなみに僕の名前は、四国遍路をしていたお坊さんに付けて貰いました。 僕は、生まれたときにとても体が弱く、お医者さんから十才までは生きられないだろうと言われました。 お医者さんからも見放され、もうお大師さまにおすがりするしかないと考えた母親は、何とか助けたいと、小さな僕を乳母車に乗せて四国遍路に出ました。 大人でも大変なお遍路です。今のように車も電話もありません。もちろんコンビニもありません。そんな時代に乳母車を押して四国を歩き通すのはさぞかし大変だったと思います。 途中、いろんな人に助けて貰いました。山の上の札所に行くときは、知らないおじさんがおぶってくれ、海辺ではお接待で漁師の女の人のお乳を貰ったりもしたそうです。 母親だけではとうてい四国を回れなかったでしょう。いろんな人に助けて貰いながら八十八カ所を回ることができたのです。 そのおかげでしょうか、僕は八十八歳になった今も元気です。 人は人と結びあい、触れ合わなくては生きていけない生...