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グレッグ・レイクさんの残した言葉【キング・クリムゾン】1947年11月10日~2016年12月7日

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「コードをただかき鳴らしてただ暴言をマイクに向かって絶叫するというのは、ぼくにはとてもアートとは思えないよ」 「パンクは音楽スタイルではなく、ファッション・ムーヴメントでしかない」 イギリス出身のボーカリスト、ベーシスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。 1965年に初めて組んだバンド、ユニット・フォーを皮切りにザ・タイム・チェックスなど多くのローカルバンドで徐々に有力ギタリストおよびボーカリストとして頭角を現し、1967年ザ・シェイムに助っ人参加しデビュー・シングルを残した(この時期バンドのローディに1週間ほどロバート・フリップがいた)。翌1968年にはユーライア・ヒープの前身バンド、ザ・ゴッズに年頭から夏まで参加しライブで活動。秋にはザ・シェイムの発展バンド、シャイ・リムスのデビュー・シングルにアンディ・マカロックと参加した。なお、このシングルB面でロバート・フリップもリードギターで客演している。その後、ロバート・フリップに誘われキング・クリムゾン結成に参加した。 1969年にデビューを飾ったプログレッシブ・ロック・グループ、キング・クリムゾンにおいてはデビュー・アルバムの『クリムゾン・キングの宮殿』でベースとボーカルを担当。セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』ではピーター・ジャイルズがベースを担当した為に、ベースではなくギターを弾いている。その後、1970年にエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成。同バンドの人気上昇とともに、グレッグ・レイク自身も世界的な知名度を獲得していった。 1980年にELPが解散した後、ソロや他のミュージシャンとの活動を行い、1983年には一時的にエイジアのメンバーとなってカール・パーマーと合流し、伝説的な武道館公演を行っている(この公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録されている)。 その後、しばらくソロ・アーティストとしての活動を行なっていたが、ELPを再結成させて、ワールド・ツアーを敢行。 2001年には、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。