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ジョン・レノンさんの残した最後の言葉【ザ・ビートルズ】1940年10月9日~1980年12月8日

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「死ぬならヨーコより先に死にたい」 (最後の言葉) 「死ぬまではこの仕事を続けたい」 (最後の言葉) イギリス出身のシンガーソングライター・ギタリスト。ビートルズにおいてヴォーカル・ギターなどを担当しレノン=マッカートニー名義で作詞作曲をした。ビートルズ解散後はソロとして主に小野洋子と活動した。 ビートルズを立ち上げたリーダーであるほか、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、多くの楽曲を製作しメイン・ヴォーカルを務めた。1970年のビートルズ解散後はアメリカをおもな活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家の小野洋子とともに平和運動家としても活動した。1975年から約5年間音楽活動を休止したあと1980年に活動を再開するも、同年12月8日(月)23時ごろにニューヨークの自宅アパート「ダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性に射殺された。

ジョン・レノンさんの残した言葉【ザ・ビートルズ】1940年10月9日~1980年12月8日

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「NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.」 (「ヌートピア」は国土を持たず、国境を持たず、旅券もなく、ただ住民がいる。) 「And so this is Xmas for black and for white, for yellow and red, let’s stop all the fight.」 (黒人そして白人のための、アジア人そしてアメリカ先住民のためのクリスマスなんだ。すべての戦いをやめようじゃないか。) 「I think our society is run by insane people for insane objectives.」 (僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。) 「We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.」 (僕らは政治に関心がないわけじゃないんだ。ただ政治家が無関心にさせているのさ。) 「To put it loosely, the reason why kids are crazy is because nobody can face the responsibility of bringing them up.」 (大ざっぱな言い方をすると、子供たちがクレージーな理由は、子供を育てるという責任に、誰も立ち向かうことができないからだよ。) 「If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.」 (もし、すべての人がもう一台テレビを欲しがるかわりに、平和を要求したら、そのとき平和は実現するだろう。) 「Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.」 (目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じるんだ。) 「Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecu

ジョン・ハーシェル・グレンさんの残した言葉【真のアメリカンヒーロー】1921年7月18日~2016年12月8日

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「年とった者も、若い者と同じように夢を持つことができる。それに向かって励め。」 「これはたまたまこのようになったのだろうか。 …私には、そのようには信じられない。」 (1962年に初めて地球を見てつぶやいた言葉) アメリカの元海兵隊戦闘機パイロット、宇宙飛行士、政治家。1962年にアメリカ人として初の軌道周回飛行を行った。 1958年より開始された宇宙飛行士の選抜を受け、1959年に宇宙飛行士に選抜された。アメリカ初の7人の宇宙飛行士の一員(マーキュリー・セブン)となり、NASAのマーキュリー計画に従事。1962年のマーキュリー6号(フレンドシップ7)により、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士となる。これは映画『ライトスタッフ』のモデルになっている。日本では、文藝春秋昭和37年5月号に、『宇宙最悪の旅』と題した回想記が発表された。海兵隊大佐で退役。

西田厚聰さんの残した言葉【東芝】1943年12月29日~2017年12月8日

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「生活のレベルが上がり、ライフスタイルもワークスタイルも大きく変わった現代において、日本人やアメリカ人に、以前のようなハングリー精神を持てと言っても、もはや通用しない。三か月程度の短期間ならばガムシャラにできるかもしれない。でも何年にもわたってやってくれといっても無理なんです。」 「力をすべて出しきらず、来期に残したからといって、来期にその力を使うチャンスがあるかどうかわかりません。だから社内には、最後までギブアップせず、とにかく今期のことを頑張ってほしいと言っています。東芝にはそれだけの潜在力がある。それを引き出すのが私の仕事です。」 「開発技術者なら、良い仕事を出したときの達成感、充実感は長く続くと思います。しかし営業マンは毎月毎月の予算を達成しなければいけないので、達成したと思ったら翌日から次の高いバーが待っています。いわば瞬間の達成感に満足する人でなければいけません。」 「営業は余力を残さずやってくれ、と僕は言っています。だから、その期にあげられる売上は、すべて売り上げていると思いますが、仮にもう一息、プラスアルファが欲しいという事態になったときには、上積みすることができます。そういう実力を持っていなくてはいけないと思います。それは日ごろのお客様との付き合いや信頼関係がモノをいいます。」 「商品開発に営業の人たちが最初から関わることで、顧客の声が商品に反映します。」 「コモディティーの定義は様々ですが、『競合相手が必ずいる』と定義してみると東芝製品の90%以上がコモディティーに分類されます。火力発電所でさえも該当します。つまり、グローバル市場での競争で勝つためには、大半を占めるコモディティーに対応した経営が必要になります。」 「高度成長期、日本企業の間では、『シェアか利益か』『品質かコストか』といった議論がありました。日本市場全体が成長しているときにはこうした二者択一でも通用したのでしょう。現在の市場環境では、この相反する両要素をバランスよく追求していかなければ、生き残りは難しいのです。」 「イノベーションを誰もが起こせるようにするには、新しい発想が浮かぶように、従業員の余裕も必要でしょう。朝から晩まで目先の仕事に追われ、さらに残業、休日出勤では、イノベーションの発想自体生まれません。」 「東芝の成長を支えているのは、組織の成長、組織力です。

野村沙知代さんの残した最後の言葉【サッチー】1932年3月26日~2017年12月8日

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「大丈夫よ」 (自宅で倒れた際に「大丈夫か」との夫・克也さんの問いかけに) (最後の言葉) 日本のタレント。元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。 愛称は「サッチー」。これは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から「サッチー」と名付けられたという。

野村沙知代さんの残した言葉【サッチー】1932年3月26日~2017年12月8日

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「休みは男の敵なり」 「男は、死ぬまで働け」 「持ちつ持たれず、構わず構われず」 (夫婦円満の秘訣) 「言葉を知らないなら、本を読みなさい!」 「なんとかなるわよ」 (夫・克也さんが南海ホークスを女性問題で、クビになった際に) 日本のタレント。元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。 愛称は「サッチー」。これは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から「サッチー」と名付けられたという。

故人が残した名言集【12月8日】

野村沙知代さんの残した言葉【サッチー】1932年3月26日~2017年12月8日 「休みは男の敵なり」 「男は、死ぬまで働け」 「持ちつ持たれず、構わず構われず」 (夫婦円満の秘訣) 「言葉を知らないなら、本を読みなさい!」 「なんとかなるわよ」 (夫・克也さんが南海ホークスを女性問題で、クビになった際に) 「大丈夫よ」 (自宅で倒れた際に「大丈夫か」との夫・克也さんの問いかけに) (最後の言葉) 日本のタレント。元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。 愛称は「サッチー」。これは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から「サッチー」と名付けられたという。 西田厚聰さんの残した言葉【東芝】1943年12月29日~2017年12月8日 「生活のレベルが上がり、ライフスタイルもワークスタイルも大きく変わった現代において、日本人やアメリカ人に、以前のようなハングリー精神を持てと言っても、もはや通用しない。三か月程度の短期間ならばガムシャラにできるかもしれない。でも何年にもわたってやってくれといっても無理なんです。」 「力をすべて出しきらず、来期に残したからといって、来期にその力を使うチャンスがあるかどうかわかりません。だから社内には、最後までギブアップせず、とにかく今期のことを頑張ってほしいと言っています。東芝にはそれだけの潜在力がある。それを引き出すのが私の仕事です。」 「開発技術者なら、良い仕事を出したときの達成感、充実感は長く続くと思います。しかし営業マンは毎月毎月の予算を達成しなければいけないので、達成したと思ったら翌日から次の高いバーが待っています。いわば瞬間の達成感に満足する人でなければいけません。」 「営業は余力を残さずやってくれ、と僕は言っています。だから、その期にあげられる売上は、すべて売り上げていると思いますが、仮にもう一息、プラスアルファが欲しいという事態になったときには、上積みすることができます。そういう実力を持っていなくてはいけないと思います。それは日ごろのお客様との付き合いや信頼関係がモノをいいます。」 「商品開発に営業の人たちが最初から関わることで、顧客の声が商品に反映します。」 「コモディティーの定義は様々ですが、『競合相手が必ずいる』と定義してみると東芝製品の