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浅利慶太さんの残した言葉【劇団四季の創設者】1933年3月16日~2018年7月13日

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「芝居の演技っていうのは、蓮の上の水玉のようなものだ。」 「役者は役を必死に生きていれば、役の仮面が透けて役者の顔が見えてくる。」 「役者っていうのは女優の斜め後ろに立て。」 「私がいないときも、いつも問いなさい。誰も答えてくれないときでも、問い続けなさい。自分で自分に問うのです。それを忘れてはいけません。それが貴女の優しさになるでしょう。」 「歌は確かにニュアンスがいる。99%の正確さと最後の一振り。」 「1000回やると飽きるんだったら役者なんか辞めろ。」 「才能とは努力のこと。努力の出来る人が才能がある人なんだ。」 「人生の深い感動が込められている作品以外はやりません。お客さまに人生の感動を味わって頂けるものをやれば、必ずある程度のところまでいけます。」 「教育とは相手との格闘だと思います。」 「怒るということと、怒鳴るというのは全然違うと思います。怒鳴るのは怒鳴る効用のためにそうするんです。いけないのは怒って怒鳴ることです。感情で怒鳴ってはいけません。」 日本の演出家、実業家である。劇団四季創設者の一人で、劇団の運営・管理に当たる「四季株式会社」の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめた。株式会社・劇団四季を、商業主義ミュージカル劇団としても企業としても成長させた。 東京都出身。永田町小学校、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退。

蜷川幸雄さんの残した言葉【演出家】1935年10月15日~2016年5月12日

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「(仕事の幅や人間の幅を広げる方法は)嫌いなことをやることだ。」 「自分が正しいと思ったら、なにがなんでも突き進め。」 「右と左の道があって、みんなが右に行って、たった一人でも左に行きたいと思ったら左に行ける人間になりなさい。」 「自分の力で状況を判断し、人とコミュニケーションをしたい欲求を持ち、勉強する人間になってほしい。」 「平均点をちゃんと出せるような子ってつまらないよね。いくらでも替えがきくんだよそういう俳優は。」 「何とかしてその人じゃなきゃダメっていう俳優を作りたい。」 「生意気だったんだけど、その生意気さに実力がともなわないから、おもしろがられた。」 「内面の問題の抱え方とか、勉強の仕方とか。日常生活のたくさんのことが舞台に表れてくるわけだから、それをちゃんとやれ。というような指導を演出家がやってくれない限り、俳優は育たないと思っているわけです。」 「人と違うことをやることで、なんとか自分の存在証明をしたかったんでしょうね。人と違う、すごいものを作りたいっていう思いだけはありました。」 「自分たちが直接やったわけではないけども、やはりシンパシーを持って時代と共に走ったことについての心情的な責任をとらなきゃいけないなっていうことがあるんです。」 「商業演劇へ行ったら、あまりのひどさに驚いたんです。脇役の俳優たちの横暴さ、自覚のなさに。なんだ、演劇全体が腐ってる、と思いましたね。」 「今、上演中の『海辺のカフカ』でも、『それは想像力の問題なんだ。夢で荷担した人は、その夢に責任をとらなきゃいけない』という台詞があるんですけど、まさしくそういうことを、自分たちの集団でやりたかった。」 日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。

久世光彦さんの残した言葉【演出家】1935年4月19日~2006年3月2日

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「うまくやろうと思うな。その先に広い世界はない。」 日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。 歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月、小谷 夏、林 紫乃など。なお、兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。

和田勉さんの残した言葉【演出家】1930年6月3日~2011年1月14日

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「テレビはアップだ。」 日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。本名は名の読みが「つとむ」。 三重県松阪市出身。ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室と業務提携していた。 妻は衣装デザイナーのワダ・エミ。