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豊田泰光さんの残した言葉【プロ野球選手】1935年2月12日~2016年8月14日

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「五輪を通してしか価値を見いだしていないのはスポーツ文化の貧しさです」 「チームの置かれた状況や、そのピッチャーの将来を考えたとき、140(球)でも150でも投げるべき場面が必ずあると思うんです。そういう『ここ一番の勝負どころ』は、一生に何べんも来るわけじゃない。だから、指揮官はそのとき『今日はお前一人でがんばれ』と言わなきゃいけません。」 「無難な判断に流れる傾向は、職場の中だけでなく、組織全体に広がっているような気がします。この不況下で大企業は次々とスポーツから撤退していきました。聖域なきリストラの観点からすると正しいのかもしれない。でも、同じリストラが必要になった企業でも、日産自動車は野球部を潰しませんでした。ゴーン社長が試合を応援する社員の姿に感激し、存続を決めたからです。日本人の経営者より外国人の方が、我々の胸にぐっとくる心意気を持ち合わせているということになるのでしょうか。」 「当時(三原脩監督時代)の西鉄はレギュラー陣が協力で、二軍の選手が入り込める余地はほとんどありませんでした。しかし、若い選手も腐ることなく練習していました。絶妙な人の使い方で、それほど組織を活性化させたことが三原さんの隠れた功績だったと思います。」 「私が仕えた指揮官では、やはり三原(脩)さんはすごい人でした。三原マジックと称された戦術はもちろん、人心掌握術も一流だったんです。私が一番感心したのは、二軍から上がってきた選手をすぐに公式戦で使う点です。私と一緒にプレーした選手に三宅(孝夫)というのがいるんですが、ある年、土壇場のチャンスで凡退して二軍行きを志願したんです。そしたら、次に戻ってきたとき、三原さんはこの男をまったく同じ場面で、いきなり代打に起用した。結果はダメでしたけど、本人は納得し、ベンチの我々はそれ以上に感動しました。」 「いまどき部下を誘って飲みに繰り出す上司は、『時代遅れのオヤジ』と言われるのかもしれませんが、とにかく日ごろの付き合いを密にして情報を頭に入れておかないと、本当の勝負どころは見極められません。」 「最近、人に賭ける心意気みたいなものを感じる機会が減りました。働く方も、働かせる方もどこかマニュアル的で、ある一線を踏み越えようとしませんよね。そうなった原因の多くは、人間関係の希薄化にあると思います。思い切って部下に仕事を託すといっても、その部