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坂東三津五郎(10代目) さんの残した最後の言葉【歌舞伎役者】1956年1月23日~2015年2月21日

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平成27年の元旦がやってまいりました。 新年明けましておめでとうございます! 今年はもしかすると生まれて一番嬉しいお正月かもしれません。 というのも子供の時からお正月は一年で一番慌ただしい日々だったからです。 歌舞伎は二日が初日。元旦は両親、妹二人とも着飾るので早くから着かえさせられ、まずはうちの家族とお弟子さんで八時半ころからお屠蘇のお祝い。 その後すぐ年始回りに出かけるという日でしたから、いつもの学校の時間よりも早く叩き起こされました。 長じてからもたった一日の休みの元旦に年始回り、年始受けという日々を50数年続けてきました。 そうした中での一昨年の発病。 その病気を経て小康を保っている今年は、「あ~、今年も新しい年を迎えられて良かったなぁ・・・」と、心の底から新年を迎える喜びが立ち上がってくるのです。 そして1月は私の誕生月。 23日の誕生日にはなんとか59歳を迎えられそうだという喜びも重なってまいります。 ひととせの朝をあつめて飾松 (2015年1月1日のメッセージ) 日本の俳優、歌舞伎役者。日本舞踊坂東流家元。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。俳名は一万尺。 前名の五代目 坂東 八十助でも知られる。本名は守田 寿。青山学院大学文学部中退。 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー契約俳優。 長女は女優の守田菜生、長男は二代目坂東巳之助。

坂東三津五郎(10代目) さんの残した言葉【歌舞伎役者】1956年1月23日~2015年2月21日

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「私の生きる場所はここだと実感した。」 「これまで代役を仰せつかることはあっても、この五十年病気・怪我での入院もなく休まず舞台に打ちこめたのは丈夫な体のお陰だと思っておりました。ところが例年の健康診断を七月に受けましたところ、膵臓に腫瘍が見つかりました。早期発見出来たことは膵臓の病気としては大変幸運なことだそうです。この病気の更なる検査、完治に向けての治療のためしばらく三津五郎にお時間を頂戴したく存じます。」 「自分が一生懸命に勉強したときに限り、誰かが力を貸してくれてるなと思うときがあるんですよ。」 「先人たちが学んだことを守り、お客様と共感しながら舞台を創る。この両輪でいく歌舞伎を目指している。」 日本の俳優、歌舞伎役者。日本舞踊坂東流家元。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。俳名は一万尺。 前名の五代目 坂東 八十助でも知られる。本名は守田 寿。青山学院大学文学部中退。 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー契約俳優。 長女は女優の守田菜生、長男は二代目坂東巳之助。