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藤原啓治さんの残した言葉【野原ひろし】1964年10月5日~2020年4月12日

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「ひとりの女をず~~っと愛せるなんてカッコいいじゃねえか!!それをバカにするやつらなんか気にするな!!」 (野原ひろし) 「父ちゃんに言わせりゃあ、自分一人でデカくなった気でいる奴はデカくなる資格はねえな。」 (野原ひろし) 「俺、今、家族と楽しくワイワイ笑ったり、時にはケンカしたりしながらさ、このままずっと一緒に元気で暮らしたいと思ってる。それが今の俺の夢と言えば夢かな。俺さ、その夢のために今、毎日一生懸命働いてるんだ。結構楽しいよ。」 (野原ひろし) 「俺の人生はつまらなくなんかない!家族のいる幸せを、お前達に分けてやりたいぐらいさ!」 (野原ひろし) 「くらえ!! 営業マン生活5年目の靴の臭い!!」 (野原ひろし) 「何が計画通りだ!計画通りいかないから人生なんだ、よく覚えておきやがれ!」 (野原ひろし) 「つらい時には、笑っちゃえ!」 (野原ひろし) 「もう会社なんてどうだっていい。世界の危機もどうでもいい。どんなひどいことになっても家族が一緒にいさえすれば乗り越えられる!」 (野原ひろし) 「自分の子供にくたばれって言う親がどこにいる! 親は子供に生き抜けっていうもんだろうが! 」 (野原ひろし) 「仕事を頼めても、オヤジは頼めないからな」 (野原ひろし) 「夢と希望がたっくさんつまってるのさ!!」 (ひまわりがまだお腹の中にいるときに) (野原ひろし) 「しんのすけ!命が大切なんじゃない!お前が大切なんだ!」 (野原ひろし) 「数の子を買う金を稼ぐのに俺がどれだけ会社で働くのか知ってんのか!?えーっ!」 (野原ひろし) 「家族だから幸せなんじゃない!野原家だから幸せなんだ!俺とみさえとしんのすけとひまわり、この4人で幸せを作ってるんだ!」 (野原ひろし) 「一握りのエリートの後ろには何千何万という俺達のような人間がいるんだ!そして社会の歯車、使い捨て、操り人形などと言われながらも、自分の夢だったり家族や恋人の幸せだったり、みんなぞれぞれの守るべき大切なモノのために毎日歯を食いしばって必死に頑張っているのさ!」 (野原ひろし) 「しんのすけだって、いろんな人に守られて大きくなったんだぞ。父ちゃんもな。」 (野原ひろし) 「そうだ。子どもがオレたちの戦うエネルギー、だろ。」 (野原ひろし) 「名前っていうのは一生残るもんな

野沢那智さんの残した言葉【声優】1938年1月13日~2010年10月30日

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「技術と感性の両方が揃ってなければ、演技は出来ないんです。」 日本の男性声優、ナレーター、ラジオパーソナリティ、俳優、演出家、実業家。 東京府出身。オフィスPAC元代表。身長167cm、体重52kg。血液型はAB型。父は作家の陸直次郎、妻は女優の成瀬麗子、長男は俳優の野沢聡、姪はタレントの野沢直子、大姪は格闘家の真珠・野沢オークレアー。 本名は野沢 那智。 主に青年役を担当しているが、時に中年・老人役も演じる。声質からアニメやゲーム作品においては、『キングダムハーツ Re:チェインオブメモリーズ』(ヴィクセン)や『ルパン三世 ルパン暗殺指令』(ジョン・クローズ)のような悪役を演じるイメージが強いが、『チキチキマシン猛レース』(ナレーター〈実況〉)のような熱血漢、洋画吹替ではアラン・ドロンなどの二枚目役、また雰囲気を変えた三枚目もこなす。本人によれば「狂人が得意分野」とのことで、「キレるのはそう難しくないんです」と語ったこともある。『悟空の大冒険』で担当した三蔵法師がいわゆる「おかま」になったのはアドリブからである。 クリストファー・ウォーケンやデニス・ホッパーといった狂気がかった役の吹き替えが多いが、本人はジェラール・フィリップとトム・ハンクス全出演作を吹替えるという夢を持っていた。前者はナレーションを担当した『星の王子さま』で一部実現したが後者は一本も担当したことがなかった。笑いの要素が好きで演技にも感動させられると語っていた。

松来未祐さんの残した言葉【声優】1977年9月14日~2015年10月27日

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「今は、こんな状況ですが、今年も胸を張って言えます。私は、私に生まれて幸せです。本当にありがとう。」 日本の女性声優、歌手、ラジオパーソナリティ。本名・旧芸名、松木 美愛子。 広島県呉市出身。81プロデュースに所属していた。 2002年、『七人のナナ』で初のアニメレギュラーを獲得。同年6月、アクセントから81プロデュースへ移籍する。同年10月より始まったラジオ番組『(有)櫻井工房』は『(有)チェリーベル』へ続き長期番組となった。 2003年から2004年にかけては『D.C. 〜ダ・カーポ〜』『ダイバージェンス・イヴ』シリーズでアニメレギュラーを獲得し、2004年1月の『超変身コス∞プレイヤー』で初の主演を務める。この年、ラジオ番組『RADIOデコピンないと』で共演した金田朋子と声優ユニット「SD☆Children」を組み、CDリリースや各種イベントなどの活動を行った。その他にも多数のアニメに出演すると共に、最多で週4本のラジオ番組を持っていた。また、『さよなら絶望先生』シリーズ(藤吉晴美役)や『ひだまりスケッチ』シリーズ(吉野屋先生役)など、新房昭之が監督を務めるシャフト制作作品の常連声優の1人となっていた。

肝付兼太さんの残した言葉【スネ夫】1935年11月15日~2016年10月20日

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「ジャイアン、ジャイアンのくせになぜ先に逝っちゃうんだよ。」 (たてかべ和也さん(ジャイアン役)の葬儀での弔辞) 日本の声優、俳優、演出家。本名は肝付 兼正。81プロデュース所属。劇団21世紀FOX初代主宰。身長:170cm、体重:53kg。 国産のアニメが登場してからは『0戦はやと』、『ビッグX』、『エイトマン』等に端役で出演するようになるが、1965年の30歳直前にマネージャーが藤子作品のキャスティングを担当することもあり、TBS版の『オバケのQ太郎』のゴジラ役でアニメのレギュラーを獲得。当初は「スタジオの外だと面白いのに、中だとつまらない」とマネージャーから言われていた。そんな折、第4話収録時に開き直ってアドリブを入れまくったところ、見学に来ていた藤子不二雄が手を叩いて喜び気に入られた。これ以降、藤子不二雄作品には原作者指名で役を貰い、必ずと言っていいほど出演するようになった。藤子作品で出演していない作品は『チンプイ』、『モジャ公』など。『ジャングル黒べえ』では初主役となる黒べえを演じ、テレビ朝日版の『ドラえもん』では骨川スネ夫の声を1979年の放送開始以来26年間に亘って担当。

辻谷耕史さんの残した言葉【機動戦士ガンダムF91】1962年4月26日~2018年10月17日

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「無理に声を作って演じようとすると、必ずひずみがくるんです。」 「キャラと自分の中にある共通点を探して演じています。例えば悪役を演じるなら、嫉妬心や他人を憎いと思う心、怒りなどですね。人間のなかにはたくさんの感情がありますよね。そのなかから、役に通じた部分を持ち出して演じるんです。」 日本の男性俳優、声優、音響監督、ナレーター。本名読みは“つじたに やすふみ”。東京都小平市出身。身長171cm、血液型はAB型。妻は同じく声優の渡辺久美子。 1991年映画『機動戦士ガンダムF91』の主人公・シーブック・アノー以来、多くの分野で主要な役柄を演じるようになる。舞台の仕事もする。 1993年に、『無責任艦長タイラー』で、主人公のジャスティ・ウエキ・タイラーを演じた事が声優としての最初の転機となる。その頃に所属していた劇団が解散する事になり、舞台俳優の仕事をしながら声の仕事をするというスタンスを取っていたが、将来に悩み結婚し子供もいたので役者稼業を辞めて、普通の会社に就職しようか考えていたところ、演じていたタイラーがアニメキャラのファン投票人気ランキングで1位となったので辞めるわけにもいかなくなり、10年は舞台の仕事は中断して声優の仕事に専念しようと決意。シグマ・セブンに所属する。

石塚運昇さんの残した言葉【オーキド博士】1951年5月16日~2018年8月13日

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「あ〜なんだっけ?」 日本の男性声優、俳優、ナレーター、演出家。青二プロダクション所属。福井県勝山市出身。既婚者。血液型はA型。 主に朗読指導を行う「石塚運昇 リーディングカンパニー」主催。参加者によるリーディング劇も行っており、舞台俳優・声優の経験を元に演出、演技指導を手がける。

川上とも子さんの残した言葉【声優】1970年4月25日~2011年6月9日

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「色々な作品から、色々なことを感じて、いっぱい心を動かして、素敵な人になってください。」 「演じたキャラが納得してくれるように、『私の演技はどう?あなたの人生はこれで合ってる?』って対話しながら演じるようにしています。」 日本の女性声優。本名:川上 倫子。愛称はとも蔵。 東京都出身。声優デビュー時からぷろだくしょんバオバブに所属。桐朋学園大学短期大学部芸術学科演劇専攻、および同専攻科演劇専攻を卒業。

水谷優子さんの残した最後の言葉【まる子のお姉ちゃん】1964年11月4日~2016年5月17日

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「仕事に行きたい。」 (最後の言葉) 日本の声優、女優、ナレーター、歌手。生前は青二プロダクションに所属。以前は劇団青年座、ぷろだくしょんバオバブに所属していた。夫はアニメーション演出家の西久保瑞穂。愛知県海部郡出身。大阪府立島本高等学校卒業。愛称はケロリン。

西本裕行さんの残した言葉【スナフキン】1927年1月3日~2015年4月19日

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「僕は自分の目で見たものしか信じない。けど、この目で見たものはどんなに馬鹿げたものでも信じるよ。」 (スナフキン) 「おだやかな人生なんてあるわけがない。」 (スナフキン) 「何か試してみようって時には、どうしたって危険が伴うんだ。」 (スナフキン) 「長い旅行に必要なのは、大きなカバンじゃなく、 口ずさめる一つの歌さ。」 (スナフキン) 「その奥さん、親戚は多いし知り合いも沢山いたんだ。でもね、言うまでもなく『知り合いが沢山居たって友達が一人も居ない』って事は有り得るんだよ。」 (スナフキン) 「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね。」 (スナフキン) 「飢えを知っていればこそ、ぼくは二度とそうなりたくないと努力するだけだよ。」 (スナフキン) 「だめだよ。僕は孤独になりたいんだ。来年の春、また会おう。」 (スナフキン) 「あんまり誰かを崇拝することは、自分の自由を失うことなんだ。」 (スナフキン) 「自由が幸せだとは限らない。」 (スナフキン) 日本の男性俳優、声優。本名は同じ。東京都出身。身長172cm、体重68kg。福田恆存の義理の弟にあたる。文学座を経て、劇団昴に所属していた。

山田康雄さんの残した遺書【声優】1932年9月10日~1995年3月19日

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アリガトウ。 ハヤイ ハナシガ イショ 素敵な人生だったよ。 紀美子がいて、夏織がいて、浩康がいて、ポケがいて ・・・・・・やっぱり紀美子がいて・・・・・・ ありがとう 山田康雄 (遺書) 日本の俳優、声優、司会者、ナレーターである。愛称は「ヤスベエ」。テアトル・エコーに所属していた。 東京府東京市大森区南雪谷出身。身長167cm、体重56kg。血液型はA型。星座はおとめ座。早稲田大学文学部英文科中退。長男は山田浩康。

永井一郎さんの残した言葉【声優】1931年5月10日~2014年1月27日

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「声優は子どものエネルギーに負けたら捨てられる。まだまだ子どもの心をつかんでいる自信はあります。死ぬまで波平を続けますよ。」 日本の俳優、声優、ナレーターである。 大阪府池田市出身。血液型はA型。身長159cm、靴のサイズ23.5cm。所属事務所は劇団三期会・東京俳優生活協同組合・同人舎プロダクション・東京アーチストプロを経て、最後は青二プロダクションに所属していた。