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チャールズ・ダーウィンさんの残した最後の言葉【進化論】1809年2月12日~1882年4月19日

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「I am not the least afraid to die.」 (わたしは死ぬことを恐れてはいないよ。) (最後の言葉) イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。 すべての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。

ボブ・マーリーさんの残した最後の言葉【魂の反逆者】1945年2月6日~1981年5月11日

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「Money Can't buy life.」 (人生は金で買えない。) (最後の言葉) ジャマイカ出身のレゲエミュージシャン。レゲエの先駆者の一人とみなされており、レゲエ、スカ、ロックステディの要素を融合した曲作り、滑らかで独特な歌声と宗教的・社会的な作詞スタイルで知られる。 10年以上にわたるポピュラーカルチャーの世界的な人物としての活躍により、ジャマイカ音楽の世界的な認知度を高めることに貢献した。また、彼はラスタファリの象徴、ジャマイカの文化とアイデンティティの世界的なシンボルとみなされている。マリファナ合法化支持者であり、汎アフリカ主義。史上最も売れている音楽アーティストの1人としてランク付けされ、推定売上高は世界中で7,500万枚を超え、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えた。

ノエル・カワードさんの残した最後の言葉【劇作家】1899年12月16日~1973年3月26日

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「Goodnight,my darings,I'll see you tomorrow.」 (おやすみ、ダーリン。また明日。) (最後の言葉) イギリスの俳優・作家・脚本家・演出家。作詞・作曲、映画監督もしている。 1920年代のファッションに大きな影響を与えた。首にスカーフをまくことや、タートルネックセーターは1924年の舞台『ヴォルテックス』で彼が初めて身につけた。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に決まった時、まずカワードのところにファッションの相談に行ったという。

ジョージ・パットンさんの残した最後の言葉【アメリカの陸軍軍人】1885年11月11日~1945年12月21日

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「軍人の死に様ではないな。」 (自動車事故で死亡) (最後の言葉) アメリカの陸軍軍人。モットーは「大胆不敵であれ!」。 第二次世界大戦時にアフリカ戦線・欧州戦線で活躍したアメリカ陸軍の将軍。

トーマス・カーライルさんの残した最後の言葉【フランス革命史】1795年12月4日~1881年2月5日

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「So,this is death. Well!」 (これが死だ、よし!) (最後の言葉) 19世紀イギリスの歴史家・評論家。 スコットランドのダンフリーズ・アンド・ ガロウェイ、エクルフェカン出身。 代表作には、『英雄崇拝論』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。ドイツ文学を研究したことでも知られ、ゲーテとの往復書簡がある。

ジョージ・ハリスンさんの残した最後の言葉【ザ・ビートルズ】1943年2月25日~2001年11月29日

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「Love one another.」 (愛し合おう。) (最後の言葉) イギリスのミュージシャン。ザ・ビートルズのメンバーである。ビートルズ解散後もソロミュージシャンとして、長期間活躍した。また、エリック・クラプトンとの長きに渡る親交もよく知られている。 ビートルズのメンバーでは最も年下で、主にリードギターとコーラス、ヴォーカルを担当した。自作曲も20曲以上発表している。また、各種楽器の導入にも積極的であり、初期においてはエレクトリック12弦ギターを(後にアメリカのグループ、バーズのサウンドに影響を与えたといわれる)、中期にはインド楽器であるシタールを取り入れ、楽器の導入に留まらず、インド音楽とロックの融合を試みて、後のラーガ・ロックに大きな影響を与えた。また、後期には初期の型のシンセサイザーをいち早く導入している。 ビートルズ時代のジョージの作品の特徴として、メロディーラインにシンコペーションを多用した曲が多いことが挙げられる(「タックスマン」「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」「嘘つき女」「恋をするなら」など)。インド楽器の導入と同様、ジョンやポールとの違いを打ち出そうとする意識が強かったと思われる。 ビートルズのメンバーとしては、二枚看板で優秀なメロディーメーカーであるレノン=マッカートニーの陰に隠れ、当初は目立たない存在であったが、活動中期に至ってジョージ作の「恋をするなら」と「嘘つき女」がアルバム『ラバー・ソウル』に収録され、「タックスマン」がアルバム『リボルバー』のA面1曲目を飾るなど次第に頭角を現し、「アイ・ミー・マイン」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」などの楽曲を完成させる。しかし、当時ビートルズ内でジョージは不遇で、アルバム1作につき2曲しか収録されない(『リボルバー』のみ3曲)、自由にリードギターを弾かせてもらえないなどと不満を募らせる。この確執は「ゲット・バック・セッション」で顕在化し、メンバーの中でも彼は早くからソロ活動を志向するようになり、バンド解散の原因の一つともなった。ドキュメンタリー映画「レット・イット・ビー」にギターソロをめぐってポールと口論するシーンが収録されている。ゲットバック・セッションを「最悪だったよ。地獄にいるみたいだった。世界一熱

ジョルジュ・ダントンさんの残した最後の言葉【フランス革命の立役者】1759年10月26日~1794年4月5日

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「Show my head to the people,it is well worth seeing.」 (さあ、おれの首を民衆に見せるがいい!!それだけの値打ちはある!) (死刑執行人に投げた反抗的な言葉。) (最後の言葉) フランス革命で活躍した代表的な政治家で、パリ・コミューン助役、国民公会議員、司法大臣、公安委員会の首班など、要職を歴任した。歴史家ミシュレが革命を体現する人物として高く評価したため、人間味あふれる革命家として有名になった。

ジョー・ディマジオさんの残した最後の言葉【56 試合連続安打】1914年11月25日~1999年3月8日

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「I finally get to see Marilyn again.」 (やっとマリリンに会える。) (最後の言葉) MLBの元プロ野球選手。カリフォルニア州マーティネズ出身。ニックネームは「ヤンキー・クリッパー」「ジョルティン・ジョー」。右投右打。 56試合連続安打のMLB記録保持者。

マリー・アントワネットさんの残した最後の言葉【革命に飲み込まれた王妃】1755年11月2日~1793年10月16日

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「pardon me,sir.I did not do it on purpose.」 (許してください、わざとでは無いのです。) (ギロチンに向かう途中で執行人の足を踏んでしまった際に。) (最後の言葉) フランス国王ルイ16世の王妃。フランスの資本主義革命「フランス革命」で処刑された。マリア・テレジアの娘であり、ヨーロッパ史学では「美貌、純情な反面、軽率、わがまま」だったと考えられている。

マルクス・トゥッリウス・キケロさんの残した最後の言葉【ローマ末期の政治家】紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日

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「兵士よ、お前がやっていることはまったく礼儀正しいことではないが、礼儀正しく私を殺してくれ。」 (最後の言葉) 共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者である。 ラテン語でギリシア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデメイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデメイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与えた。

ネイサン・ヘイルさんの残した最後の言葉【最初のスパイ】1755年6月6日~1776年9月22日

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「I only regret that I have but one life to lose for my country.」 (私はこの国のために失う命が一つしかないことが悔やしいだけだ。) (最後の言葉) アメリカ独立戦争のときに大陸軍のために働いた軍人である。アメリカでは最初のスパイと広く認められており、情報収集任務を買って出たが、イギリス軍に捕まった。

ジェーン・オースティンさんの残した最後の言葉【高慢と偏見】1775年12月16日~1817年7月18日

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「I want nothing but death.」 (死以外はいらない。) (最後の言葉) イギリスの小説家。イングランド南部ハンプシャー、スティーブントン生れ。 18世紀から19世紀イングランドにおける田舎の中流社会を舞台として、洞察力に裏打ちされた解釈で女性の私生活などを結婚を中心として皮肉と愛情を込めて描き、その作品は近代イギリス長編小説の頂点とみなされている。また英語における自由間接話法の発達に大きく貢献したことでも知られる。主要作品は、『分別と多感』『高慢と偏見』『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー・アビー』『説得』など。

ココ・シャネルさんの残した最後の言葉【20世紀を代表する女性デザイナー】1883年8月19日~1971年1月10日

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「You see,this is how you die.」 (ほら、これが死に様というものよ。) (最後の言葉) フランスのファッションデザイナー、企業家。彼女が創設したシャネルブランドは世界有数のファッションブランドとして現在も営業している。 20世紀初頭からファッションデザイナーとして活躍し、一時的な活動停止を経て、その死に至るまで世界の代表的なファッションデザイナーであり続けた。

H・G・ウェルズさんの残した最後の言葉【SFの父】1866年9月21日~1946年8月13日

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「Go away. I'm all right.」 (行ってくれ、もういいよ) (最後の言葉) イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズ、H.G.ウェルズ等の表記がある。

セオドア・ルーズベルトさんの残した最後の言葉【テディ】1858年10月27日~1919年1月6日

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「ライトをつけてくれ」 (最後の言葉) アメリカ合衆国の軍人、政治家で、第25代副大統領および第26代大統領である。姓はローズベルト、ローズヴェルトとも表記される。第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは五従弟に当たり、またフランクリンの妻エレノアは姪にあたる。

ジョージ・ゴードン・バイロンさんの残した最後の言葉【バイロン卿】1788年1月22日~1824年4月19日

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「Now I shall go to sleep. Goodnight.」 (さあ、眠ることにしよう。お休み。) (最後の言葉) イングランドの詩人。バイロン卿として知られ、単に「バイロン卿」というとこの第6代男爵を指すことが殆どである。

フランクリン・ルーズベルトさんの残した最後の言葉【第32代米大統領】1882年1月30日~1945年4月12日

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「すごく頭が痛い。」 (最後の言葉) アメリカ合衆国の政治家。姓はローズベルト、ローズヴェルトとも表記。 民主党出身の第32代アメリカ合衆国大統領。 世界恐慌、第二次世界大戦時のアメリカ大統領であり、20世紀前半の国際政治における中心人物の1人。彼の政権下でのニューディール政策と第二次世界大戦への参戦による戦時経済はアメリカ合衆国の経済を世界恐慌のどん底から回復させたと評価される。しかし実際はニューディール政策は失敗しているとも成功しているとも言い難い状態になっており、参戦による経済回復を狙った。

エドガー・アラン・ポーさんの残した最後の言葉【世界初の推理小説家】1809年1月19日~1849年10月7日

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「Lord help my poor soul.」 (主よ、あわれなわが魂を救いたまえ。) (最後の言葉) アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。 マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。

エリザベス1世さんの残した最後の言葉【処女王】1533年9月7日~1603年3月24日

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「All my possessions for a moment of time.」 (私が得た全ての富も束の間のこと) (最後の言葉) イングランドとアイルランドの女王。テューダー朝第5代にして最後の君主。 国王ヘンリー8世の次女。メアリー1世は異母姉。エドワード6世は異母弟。通称にザ・ヴァージン・クイーン、グロリアーナ、グッド・クイーン・ベス。

オー・ヘンリーさんの残した最後の言葉【最後の一葉】1862年9月11日~1910年6月5日

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「Turn up the lights, I don't want to go home in the dark.」 (明かりをつけてくれ。暗い家に帰るのは嫌だもの。) (最後の言葉) アメリカの小説家。主に掌編小説、短編小説を得意とし、約280の短編作品を残した。市民の哀歓を描き出した短編が多く英米ではイギリスの小説家サキと並んで短編の名手と呼ばれる。映画化されたものも少なくない。