大石内蔵助さんの残した言葉【忠臣蔵】1659年4月24日~1703年3月20日

「助申すまじくこと。ただし、女には苦しからず。」


「抑えること無用、もっとも相手によるべし。」


「したむべからず。」


「盃、下に置くべからず。」


「喧嘩、口論固く無用。」


「勝利之全所を専に。」


「大石一家は大腰抜けばかりで、僅かに我ら父と子と大石瀬左衛門が残るのみ。面目ない。」


「そなたを見るのもこれ限り。かねがね申し聞けおいた事、忘れてはなりませぬぞ。」


「この内蔵助の望みはただひとつ。怨敵・吉良上野介の首でござる。本懐を遂げる日まで、この内蔵助を信じ、おのおの方の命をお預け願いたい。」


「狙うは怨敵、吉良上野介ただ一人。」


「当時の願いはもっともだったが、領内の山には木が少なかった。このまま許可しては、薪の値段が暴騰し、つまりは製塩もできなくなる。わしは願いを受けて、早速に木を植えた。10年たってそれは大きくなった。もう大丈夫だから。」


江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄15年、赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入り、吉良義央ほか二十余名を斬殺した。大石らは自ら出頭し、公儀の裁きに処分を委ねた。翌16年、幕府の処断により四十六士は切腹となった。 良雄は諱で、通称は内蔵助。一般にはこの大石 内蔵助の名で広く知られる。

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