下村脩さんの残した言葉【緑色蛍光たんぱく質】1928年8月27日~2018年10月19日
「受賞は天の導き。」
「私は普通以下の子供でした。どちらかと言えば記憶力は悪かった。身体も弱かった。」
「結果が出ないのは努力が足りないからです。」
「わたしは神を信じないが、天の導きだと思った。ノーベル賞も同じだ。」
「これまで賞とか名誉に関心を持たなかったし、受賞の連絡を受けてからは対応に追われて忙しい。」
「わたしがやったことは(受賞理由となった)緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発見したことだけ。(共同受賞者の)チャルフィーがそれが役に立つものだということを見つけ、チェンが改良した。だから医学・生理学賞の対象だと思った。」
「決まり文句みたいに『コングラチュレーション』と言われた後、『もうすぐマスコミが殺到して大変なことになりますよ』と言われた。その後は電話が鳴りっぱなし。その通りになった。」
「どんな難しいことでも、努力すればなんとかなる。」
「研究者として、私は実験がうまいとも言われる。『神の手を持つ』などと神格化するようなことを言われたこともある。実際のところは、私は不器用で、実験は上手ではない。よく失敗する。ただ、簡単にはあきらめない。」
「思わぬ偶然を引き寄せることができたのは、少しの失敗は気にせず、諦めずに努力したためである。試練には何度となく直面したが、私は逃げることは考えなかった。逃げることができなかったといってもいい。」
「ノーベル化学賞の成果となった、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見までには、同じオワンクラゲからとれた発光たんぱく質のイクオリンや、それ以前に日本で取り組んだウミホタルのルシフェリンの研究が役立った。これらが成功裏に進んだのは、様々な幸運もあったし、巡り合わせが作用した。」
「研究に専念するためには研究費用だけでは足りません。サラリーや大学の諸費用などですべてを賄(まかな)わなければならない。つまり私は自由と引き換えに厳しい「研究」という道を選んだのです。」
「子どもたちにはどんどん興味を持ったことをやらせてあげて。やり始めたら、やめたらダメですよ。」
生物学者。学位は理学博士。ボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。
有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者、中でも生物発光研究の先駆者であり第一人者。旧制長崎医科大学、名古屋大学、プリンストン大学、ボストン大学、ウッズホール海洋生物学研究所などに在籍し、発光生物についての研究を継続。その中の一つ、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見は、その後生命科学、医学研究用の重要なツールに発展して2008年のノーベル化学賞受賞に結びついた。
2010年ごろには、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ファルマスの自宅に設置した発光タンパク質研究室で研究を継続していた。身長は182cm。
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