パール・バックさんの残した言葉【ノーベル賞作家】1892年6月26日~1973年3月6日
「All things are possible until they are proved impossible – and even the impossible may only be so, as of now.」
(どんなことも、不可能と証明されるまでは可能である。そして不可能なことでさえ、今だけのことかもしれない。)
「Ah well, perhaps one has to be very old before one learns how to be amused rather than shocked.」
(人間は年をとってはじめて、衝撃的なことでも愉しめる余裕をもてるのではないでしょうか。)
「Love dies only when growth stops.」
(愛が死ぬのは、愛の成長が止まる、その瞬間である。)
「I don’t wait for moods. You accomplish nothing if you do that. Your mind must know it has got to get down to work.」
(私は気持ちが乗ってくるのを待ったりはしない。そんなことをしていては、あなたは何も成し遂げられない。とにかく仕事に取りかかるということを知らなければならない。)
「Inside myself is a place where I live all alone and that is where I renew my springs that never dry up.」
(自分の中に、決して涸れることのない泉がある。)
「Some are kissing mothers and some are scolding mothers, but it is love just the same, and most mothers kiss and scold together.」
(子どもにキスをする母親もいれば、口やかましい母親もいる。しかし、これらは同じ愛情から出たもので、ほとんどの母親はキスもすれば口やかましくもする。)
「To find joy in work is to discover the fountain of youth.」
(仕事に喜びを見出すことは、若さの泉を発見することである。)
「Every great mistake has a halfway moment, a split second when it can be recalled and perhaps remedied.」
(すべての大きな過ちにはいつも中間点となる瞬間がある。その過ちを取り消し、あるいは正すことのできる瞬間が。)
「The person who tries to live alone will not succeed as a human being. His heart withers if it does not answer another heart. His mind shrinks away if he hears only the echoes of his own thoughts and finds no other inspiration.」
(一人で生きようとする者は人として成功することはない。他人の心と通じなければ、心は枯れてしまう。自分の考えだけを聞き、他人からインスピレーションを得ることがなければ、心はしぼんでいくのだ。)
「A foreigner is a friend I have yet to meet.」
(知らない人とは、これから知り合う人のこと。)
「男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、女の世界全体をいい加減に判断している。」
「自分が無力だと考えないかぎり、人は誰も無力ではない。」
「ほんとうに心が傷つくのは、夢を奪われること。」
「行動するのです。世界的見地に立って、行動するのです。」
「The secret of joy in work is contained in one word – excellence. To know how to do something well is to enjoy it.」
(仕事の喜びの秘密は、「卓越」と言う言葉にある。何かうまくやる方法を知ることは、それを楽しむことである。)
アメリカの小説家。南長老ミッション派宣教師の両親と中国に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、1931年に代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。『大地』は『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作を成す。1938年にノーベル文学賞を受賞した。
1930年、最初の小説である『東の風、西の風』を発表。1931年、二作目『大地』が大ベストセラーとなり、1932年のピューリッツァー賞をとる。しかし同年、ニューヨークの講演が原因で長老派伝道委員から非難され、宣教師の地位を辞した。1934年、中国を離れ、半生を過ごしたその地に二度と戻ることはなかった。1935年、ジョン・ロッシング・バックと離婚。すぐに出版エージェントであったリチャード・ウォルシュと再婚する。1938年、『大地』の業績によってノーベル文学賞を受賞する。これは、スウェーデンの探検家・学者スヴェン・ヘディンの推薦によるものである。
コメント