寺山修司さんの残した言葉【劇作家】1935年12月10日~1983年5月4日
「さよならだけが人生。ならばまたくる春はなんだろう。」
「ぼくは政治主義がきらいで、革命が好きである。」
「偶然はつねに美しい。」
「世界は、これほど謎にみちあふれているのに、探偵小説家たちが、また新しい謎を作り出そうとするのはなぜだろうか?」
「人間の体ってのは『言葉の容れ物』にすぎないし、出し入れ自由である。」
「百年たったら帰っておいで百年たてばその意味わかる。」
「石を投げれば人間に当たる。」
「引き算がさみしいのは だんだん数が減ってゆくことだよ。」
「夢は現実の欠落を埋めあわせるためにではなく、現実の水先案内人としてあるべきだ。」
「わたしの存在そものが質問なのだ。その答えを知りたくて生きてるんだ。」
「僕の職業は、寺山修司です。」
「この世でいちばん遠い場所は、自分自身のこころである。」
「映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。」
「競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて自分を買っているのである。」
「人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ。」
「悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。」
「言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。」
「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。」
「不幸な物語のあとには、かならず幸福な人生が出番をまっています。」
「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。」
「明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう。」
「愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう。」
「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのだ。」
「わたしの存在そのものが質問なのだ。その答えを知りたくて生きてるんだ。」
「時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが『名言』ということになるのである。」
「ほんとうは、名台詞などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである。」
「なみだは人間の作るいちばん小さな海です。」
「お芝居と同じように、人生にも上手な人と下手な人がいるのよ。」
「人生の暗い部分を見ない人間には、その深さはわからない。」
「人生はどうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、そのなかでできるだけいい役を演じたいの。」
「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である。」
「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。」
日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。
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