故人が残した名言集【9月24日】

川島なお美さんの残した言葉【女優】1960年11月10日~2015年9月24日



「乾杯の数だけ、人は幸せになれる。」



「前回のシャワーシーンでは体が濡れましたけど、今回は心が濡れました。」



「もう50才のおばさんよ、なんて年齢を恥じたらダメ。私はね、女性は年齢の数が増えるごとに輝きも増す生き物だと思うの。そう、ダイヤと同じ。『50カラットおめでとう』って言われたらうれしいじゃない?」



「女性の年齢の単位は、『才』ではなく、『カラット』なのよ。」



「オトコを引き止めるために嘘の涙を使ってこなかった分、悲しいときや悔しいとき、素直に彼の胸で泣いたっていいんです。強そうに見える女が、いざというときに流す、安っぽくない本物の涙だけは、価値があるんですから。」



「男のイビキが、生理的に我慢できなかった。旦那はんのイビキだけはなぜか許せてしまった。今では心地よい音楽みたいなもんです。」 



「男を飽きさせない工夫をいろいろしてるんです(笑)。」



「もちろん、女だって浮気をさせない努力をしています。」



「ヴィンテージとか、作り手とか、グラスとか、どんなお料理とかももちろん大事ですけど、一番大事なのは、誰と飲むか。一杯300円のワインでも、好きな人と飲んだら味わい深いものになりますよ。」



「チーズの言葉がわかる自分になれて、よかった。」



「一生分飲んだので、量を飲まなくても見ただけで味も品種もわかります。」



「私という名のワインを完熟に向かわせてくれる器にようやく出会えた。 彼という器の中で熟成していければと思います。」



「20代って女の春だと思うの……30代は女の夏。私、いま夏。」



「彼の影響で今は焼酎が混ざってます。」



「ワインが好きとか嫌いじゃなくて、私の体はワインでできているの。私の血も肉もワイン。」



遺書

私は蝶となって

咲きみだれるお花から花へと舞い

毎年咲く桜となって花ふぶきをお客様に散らし

たわわに実る果実となってあなたの作品として美味しくお皿の上にのります

美しく生き生きとしたファームガーデンは私の夢です
その夢をかなえて下さい

今までありがとう

なお美より


日本の女優、タレント、歌手である。 戸籍名は、鎧塚 なお美。 血液型はAB型。 二人姉妹の長女。 愛知県守山市出身。

2010年6月より太田プロダクション所属。 夫はパティシエの鎧塚俊彦。



福島菊次郎さんの残した言葉【写真家】1921年3月15日~2015年9月24日



「オモテに出ないものを引っ張り出して、叩きつけてやりたい」



「根源的な意味で言えば、日本全体が嘘っぱち」



日本の写真家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
山口県下松市に、網元の四男として生まれる。

1944年春に出征し、広島西部第10部隊に配属され、弾薬や物資を馬で運搬する任務に就くが、訓練中に馬に蹴られて骨折し、除隊となる(同部隊は福島の入院中に船で沖縄へ向かったが、魚雷に撃沈された)。

1945年春に再召集。部隊が本土決戦の際に爆雷を背負って戦車に飛び込むよう命を受け、7月31日から日南海岸の砂浜に掘った穴の中に身を潜め、8月15日の終戦を迎えた。

同月末に復員し、時計店を開いて時計修理や写真現像の仕事を始める。

同年暮れに結婚。

戦後、民生委員などの社会事業を通じて作家活動をはじめ、広島市に投下された原爆の被災者の10年におよぶ困窮生活を活写した作品『ピカドン ある原爆被災者の記録』が、日本写真評論家協会賞特別賞を受賞(1960年)。



山内賢さんの残した最後の言葉【日活の青春スター】1943年12月9日~2011年9月24日



「みんなに感謝」

(最後の言葉)

日本の俳優・歌手・司会者。
多くの日活映画に出演する。第一作目は『雲に向かって起つ』(石原裕次郎主演)。

1960年代にブームとなる日活純愛・青春路線を支えた。

和泉雅子との共演作が多く、なかでも鈴木清順が監督した『悪太郎』『悪太郎伝 悪い星の下でも』は、代表作である。

また、舟木一夫とも多く共演した。
歌唱及びギターを得意としており、1962年には日活の俳優仲間であった和田浩治、杉山俊夫、杉山元、木下雅弘とともにヤング・アンド・フレッシュというバンドを結成し、レコードをリリース、また彼らをフィーチャーした映画も数本製作された。

1966年には和泉雅子とのデュエット曲『二人の銀座』、『東京ナイト』が大ヒットし、同名の映画も製作された。

日本映画の衰退とともに活動をテレビに移し歌手そしてドラマや司会などで活躍する。

1979年から6年にわたり放送された『あばれはっちゃくシリーズ』の先生役や1983年、1997年、1998年放送のNHK『趣味講座』(釣り、登山)などで人気を博す。



丹波哲郎さんの残した言葉【大霊界】1922年7月17日~2006年9月24日



「死後の世界はあるんです」



「世のため、人のために尽くし明るい笑顔で人生を頑張ったのちには、それに見合った素晴らしい世界があります」



日本の俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。 東京府豊多摩郡大久保町出身。 身長175cm。血液型はO型。

俳優活動は50年以上で出演した映画は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優。

テレビドラマでも活躍し、映画製作にも携わった。


ドクター・スースさんの残した言葉【絵本作家】1904年3月2日~1991年9月24日


「Don’t cry because it’s over, smile because it happened.」

(おしまいだからって泣かないで、それが経験できたことに笑顔になろうよ。)


「You know you’re in love when you can’t fall asleep because reality is finally better than your dreams.」

(恋に落ちると眠れなくなるでしょう。 だって、ようやく現実が夢より素敵になったんだから。)


「I like nonsense, it wakes up the brain cells. Fantasy is a necessary ingredient in living.」

(私はナンセンスが好きだ。それは脳細胞を目覚めさせる。ファンタジーは生活に不可欠の原料である。)


「Sometimes the questions are complicated and the answers are simple.」

(時として問題は複雑であり、答えは簡単である。)


「Today you are You, that is truer than true. There is no one alive who is Youer than You.」

(今日という日、君は君だった。これは真実よりも確かなこと。君よりも君らしい人なんて、この世には存在しないんだよ。)


「Be who you are and say what you feel, because those who mind don’t matter and those who matter don’t mind.」

(自分らしく、思ったままを言葉にしていいんだよ。だってあれこれとやかく言う人を大事にする必要はないんだし、君が大事にしたいと思う人はあれこれとやかく言わないもんさ。)


「A person’s a person, no matter how small.」

(人は人だよ。どんなに小さくても関係ない。)


「From there to here, from here to there, funny things are everywhere!」

(向こうからここまで、ここから向こうまで、面白いことはどこにでもある。)


「Why fit in when you were born to stand out?」

(際立つように生まれついたのに、なぜ周りに合わせようとするの?)


「They say I’m old-fashioned, and live in the past, but sometimes I think progress progresses too fast!」

(みんなは、僕が古臭い人間で過去に暮らしている人間だという。でも時々こう思うんだ。進歩が速く進歩しすぎているって!)


「Today was good. Today was fun. Tomorrow is another one.」

(今日はいい日だった。今日は楽しかった。また明日も同じだ。)


「You are the guy who’ll decide where to go.」

(あなたこそが、行くべきところを決める人物なのです。)


「Think left and think right and think low and think high. Oh, the thinks you can think up if only you try!」

(右を考え左を考え、それから下のことも上のことも考えよう。ああ、トライしさえすれば、どれだけの考えを見つけ出すことができるか!)


「Just tell yourself, Duckie, you’re really quite lucky!」

(自分に言い聞かせよう。ねえ、僕はなんてラッキーなんだろう!)




「Today is your day! Your mountain is waiting.So… get on your way.」

(今日という日は君のためにある!君の登るべき山が待っているよ。さあ、出発しよう。)


「頑張るためにやって来たのなら、周りに合わせているのはなぜ?」



「頭の中には脳がある。靴の中には足がある。キミは選んだ道に向かって、自由に自分を動かせるんだ。」



「もし、やるべきことをしたことがないのなら。きっと楽しいよ。楽しいのは良いことだ。」



「考えて、思いを巡らせよう。思いを巡らせて、考えよう。」



「あなたはあなた。それって気持良くない?」



「もっと読むより、もっと知ること。もっと学ぶより、もっと行くこと。」



「目を閉じたままでいれば、どんな最高のものも見逃してしまう。」



「質問がフクザツで、答えがシンプルなときだってある。」



「一度動き出したら気にしないこと。ジタバタせずにいれば、行動するべき時はやってくる。」



「ダッキー、キミは本当にかなりラッキーだよ。そう自分に言い聞かせて。」



「ただ知ることよりも、どうすれば学べるのかを知るほうが良い。」



「その一瞬の大切さに気づかないことがある。それが記憶になる前には。」



「自分の未来をコントロールできるのは、自分だけ。」



「若者よ!声を出すときは、口を開こう。」



「気配りと機転を利かせよう。人生はバランスをとる綱渡りや玉乗りのようなものだ。」



「今日、あなたがあなたであるというのは真実よりも真実です。あなた以上にあなたである人なんてこの世にはいません。」



「私は、今日という日を、いつか振り返るであろう『あのとき』だと思って過ごしている。」



「キミはこれから素晴らしい場所に向かうのだ!今日はキミの日だ!山が待っている。自分の道を行きなさい!」



「今日が雨だなんてわかっている。けど、サニーじゃなくてもファニーなことはたくさんあるよ。」



「少年!キミは山だって動かすだろう。」



「うまくいきそうかい?よし、いい感じだ!(98と¾%は保証された)。」



「最悪なことばかり気にしているキミみたいな人じゃないかぎり、物事は何もよくならないだろうね。」



「ファンタジーは人生に必要不可欠な材料だ。望遠鏡の反対側から日常を覗くためにはね。」



「キミは成功への道に立つ!素晴らしいものを見る!空高く舞い上がる鳥たちの一員になる!」



アメリカ合衆国の絵本作家、画家、詩人、児童文学作家、漫画家。本名は、セオドア・スース・ガイゼル。

1957年に『The Cat in The Hat』を発表して以降、数人の絵本作家と共に絵本シリーズ『Beginner Books』を開始。きっかけは、1954年に、子供たちの識字率の低さは、学校の単語教育に面白味がないことと大きく関係している、という内容の批評をライフで読んだことであった。そこで、学校の子供たちが英単語を明るく楽しく覚えられるように工夫をこらし、全米の間でたちまち注目を集め、見事に大成功を収める。

1980年、児童文学の発展に大きく貢献したとして、ローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞。更には、1984年、ピューリッツァー賞特別賞を受賞した。



西郷隆盛さんの残した言葉【西郷どん】1828年1月23日~1877年9月24日



「正論では革命をおこせない。革命をおこすものは僻論である。」



「徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず。」



「小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す。己を利する者は私、民を利する者は公なり。公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ。」



「世の中で、人からそしられたり誉められたりするといったことは、塵のように儚く消え去ってしまうものである。」



「思い切ってやりなさい。責任は私がとる。」 



「漢学を勉強した者は、ますます漢書から道を学ぶのがよい。人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、東洋・西洋の区別はないのである。もしも現在の万国対峙の形勢について知りたいと思うならば、漢書の『春秋左氏伝』を熟読し、さらに『孫子』で補えばよい。当時の形勢も今の情勢とほとんど大差ないだろう。」



「急速は事を破り、寧耐は事を成す。」



「物事に取り組む際、自分の思慮の浅さを心配することはない。およそ思慮というものは、黙って座り、静かに思いをめぐらしているときにすべきことである。そのようにすれば、有事のときには、十のうち八、九は実行されるものだ。 事件に遭遇して、はじめて考えてみても、それは寝ているときに夢の中で奇策やすばらしい思いつきを得たとしても、朝起きたときには、役に立たない妄想のたぐいが多いのと同じである。」



「自分の身を慎み、心を正して、君子の体を備えていても、事にあたって、正しく対処できない人は、木の人形と同じだ。たとえば、突然数十人の来客があった場合、どんなにもてなしたいと思っても、前もって器具や調度の備えをしていなければ、ただおろおろと心配するだけで、もてなすことなどできはしない。つねに備えをしておくなら、何人であろうとも、数に応じてもてなすことができよう。だから、普段の準備が大事なのだといって次の古語を書いてくださった。文は鉛と板のことをいうのではない。必ず事を処する才がある。武は剣と楯のことをいうのではない。必ず敵をはかる智がある。才智のあるところは一箇所のみなのだ。」 



「西郷先生に従って、犬を走らせて兎を追い、山谷をめぐり歩いて終日狩りをして過ごし、一軒の農家に宿を借り、風呂から上がって、爽快きわまりないといったご様子で、ゆったりと、君子の心はつねにこのようにさわやかなものであろうと思う、と言われた。」



「今の人は、才能や知識があれば、事業というのは思いのままにできると思っているが、才能にまかせて行うことは、危なっかしくて見ておられない。しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。肥後の長岡先生(熊本藩家老の長岡監物)のような君子は、今は似ている人ですら見ることができなくなった、と嘆かれて次の古語を書いて与えられた。天下は、誠にあらざれば動かず、才にあらざれば治まらず。誠の至る者その動くや早し。才のあまねき者その治むるや広し。才と誠と合して、しかる後事なるべし。」



「世間の人がいう機会とは、たいてい思いがけずに得た幸運のことを指している。しかし、真の機会というのは道理に適い、時の勢いを正しく把握して行動する場合のことだ。かねて天下国家を憂える真心が厚くないのに、ただ時の弾みに乗って成功した事業は、決して長続きはしないものだ。」



「この世の中で後の世でも信じ仰がれ、喜んで従おうとするものは、ただ一つ誠の心だけである。昔から父の仇を討った人はたくさんいるが、その中でひとり曾我兄弟だけが、今になっても子どもや女性にいたるまで、知らないものがいないのは、多くの人にぬきんでて誠の心が厚いからである。誠の心がないのに世間の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。誠の心が厚ければ、たとえその当時に知る人がなくても、後の世に必ず理解してくれる人があらわれるものだ。」



「聖人や賢人になろうとする志がなく、昔の人が行った史実をみて、とてもこのようなことは自分にはできないというような心であったら、戦いを前に逃げるよりも、はるかに卑怯なことだ。朱子(南宋の儒学者)も抜き身の刀を見て逃げる者は、どうしようもないといわれた。真心をもって聖人・賢人の書を読み、その行いの根底にある精神を、自分の心身で体験するような修業をしないで、ただ成人・賢人の言葉や行いを知ったところで何の役にも立たない。私は今、人のいうことを聞くに、いかにもっともらしく論じても、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけのことであるならば、少しも感心しない。実際に行動する人を見ると、実に立派だと感じるのである。聖人・賢人の書をむなしく知識として読むのであったら、たとえば人の剣術を傍観しているのと同じで、少しも身につかない。身につかなければ、万一立ち合えと言われたら、逃げるよりほかないであろう。」



「人を言いくるめて、陰でこそこそ事を企てる者は、たとえそれがうまくいったとしても、物事を見抜く力のある者から見れば、醜いことこの上もない。人に提言するときは、公平かつ誠実でなければならない。公平でなければ、すぐれた人の心をつかむことはできないものだ。」 



「普段から踏み行うべき道の実践を心がけていない人は、大事に直面すると狼狽し、正しく対処できないものだ。たとえば、近所で火事が発生したとき、普段から心構えのできている者は動揺することなく、てきぱきとこれに対処することができる。しかし、普段から心構えのできていない者は、ただ狼狽して、うまく処理することなどできない。それと同じことで、普段から道の実践を心がけている人でなければ、大事に直面したとき、すぐれた対策はできない。私は先年の戦い(戊辰戦争)の出陣の日、兵士に向かって自軍の備えが十分であるかどうか、ただ味方の目で見るのではなく、敵の心になって一つ突いて見よ、それこそ第一の備えであると指示したことがある。」



「人が踏み行うべき道を実践しようとする者は、偉業を尊ばないものである。北宋の司馬温公(司馬光)は、寝床で語る言葉さえ、人にいえないようなことはないといわれた。独りを慎むということの真意は、いかなるものであるかわかるであろう。人の意表をつくようなことをして、一時的にいい気分に浸るのは、未熟者のすることで、戒めなければならないことだ。」 



「人が踏み行うべき道を実践する者には、困難な苦しいことはつきものであるから、どんな難しい場面に立っても、そのことがうまくいくかどうか、その身が生きるか死ぬかといったことなど、どうでもいいことなのだ。物事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人、あまりできない人もある。そのことに動揺する人もあろうが、天の道を実践するという点では上手下手もなく、できないという人もないものなのだ。だから、ひたすら道を行い、道を楽しみ、もし困難に遭い、それを乗り切ろうと思うならば、ますますその道を実践し楽しむという心を持つがいい。私は若い時から、困難という困難に遭って来たので、今はどのようなことに出会っても動揺することはない。それだけは幸せである。」



「人が踏み行うべき道を実践する者が、世間の人がこぞってそしっても決して不満をいわず、世間の人がこぞってほめても自分に満足しないのは、信念が厚いからである。そのような人物になるには、唐の韓愈の書いた「伯夷頌」(忠義の士、伯夷・叔斉兄弟をほめ称えたもの)を熟読して、しっかり身につけるべきである。」 



「人が踏み行うべき道を実践するのに、身分が尊いか卑しかなどといったことはまったく関係がないことだ。昔、尭・舜(中国古代の伝説上の帝王)は国王として政治の一切を行っていたが、二人の本質というのは、正しい道を人々に教える教師である。孔子は魯の国をはじめどこの国にも用いられず、何度も困難な苦しい目に遭い、身分の低いままに生涯を終えたが、三千人の子弟は、みな教えられた道を実践したのである。」



「人材を採用するとき、君子(徳行の備わった人)と小人(徳のない人)との区別を厳格にし過ぎると、かえって害を引き起こすものである。というのは、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これを下役に用い、その力を発揮させるのがよい。」



「自分を愛する(甘やかす)ことは、最もよくないことである。修業ができないのも、ことが成就できないのも、過ちを改めることができないのも、自分の功績を誇って驕り高ぶるのも、みな自分を愛することから生ずることであり、決して自分を甘やかす心を持ってはならない。」



「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、自分の誠を尽くし、人を咎めたりせず、自分の真心が不足していることを認識すべきなのだ。」



「人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であり、人はこれにのっとって実践すべきものであるから、何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も区別なく愛されるものであるから、自分を愛する心をもって他人をも愛することが肝要である。」



「学問を志す者は、広く学ぶという心がけが必要である。しかし、ただそのことのみに偏ってしまうと、身を修めることがおろそかになっていくから、常に自分に克ち、身を修めることが大事である。広く学び、同時に自分に克ち、男というものは、どんな人でも受け入れるくらいの度量が必要で、人から呑まれてはしまってはいけない。古語にも次のようにあろう。 物事を成そうとの意気込みを広く持つ者にとって、もっとも憂えるべきことは自分のことをのみはかり、けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本として、自分からそうなろうと修業をしないことだ。では、その古人を目標にするというのはどういうことですかと教えを請うと、徳をもって天下を治めた尭・舜(中国古代の伝説上の帝王)を理想とし、孔子を教師とすることだと答えられた。」



「自分に克つには、あらゆる事柄を前にして、はじめて自分に克とうとしても、そうやすやすとはできないものだ。ふだんからその心がけを持って、自分に克てるようにしておかなければならない。」



「どんなに制度や方法を論議しても、その適任者がいなければうまく行われない。その人あって初めてその方法が行われるのだから、人こそが第一の宝であって、自らがそういう立派な人物になろうとする心がけが大事なのだ。」



「昔から、主君と臣下が共に自分は完全だと思っているような世に、よい政治が行われたという例はない。自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々の言葉も聞き入れることができる。自分が完全だと思っているとき、人からその非を指摘されるとすぐに怒るから、賢人や君子も、そのような人を助けようとはしないのである。」



「国が辱めを受けるようなことがあったら、たとえ国が倒れようとも、正道を踏んで道義を尽くすのが政府本来の仕事である。 戦の一字を恐れ、政府本来の使命を果たさないのなら、商法支配所といった商いの元締めというようなもので、もはや政府ではなくなってしまうだろう。」



「節操を貫き、道義を重んじ、心清らかで恥を知る心を持つ。これを失うようなことがあれば、決して国家を維持することはできない。上に立つ者が下の者に対して自分の利益を争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もみなこれにならい、人の心は財欲にはしり、日に日に卑しく、節義廉恥の志を失い、親子兄弟の間ですら財産を争い互いに敵視するようになるのだ。このようになったら何をもって国を維持することができようか。徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世を治めたが、今の時代は昔の戦国時代の勇将よりもっと勇猛な心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することはできないのだ。普仏戦争の際、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧を残して降伏したのは、あまりにそろばん勘定にくわしかったがためである。」 



「常備する兵数についても、会計の制限の中で対処すべきで、虚勢を張ってむやみに兵隊を増やすことなど決してしてはいけない。 兵士の心を奮い立たせて、すぐれた軍隊をつくりあげれば、たとえ兵の数は少なくても、外国との折衝は堂々として、あなどりを受けるようなことはないであろう。」



「会計出納はすべての制度の基礎である。国家事業はこれによって成り立ち、国家運営の最も重要なことであるから、慎重にしなければならない。そのあらましを申すならば、収入をはかって支出をおさえるという以外に手段はない。年間の収入によってすべての計画を定め、会計を管理する者が一身をかけて定まりを守り、予算を超過させてはならない。そうでなくして時勢にまかせ、制限を緩慢にし、支出に合わせて収入をはかるなら、結局国民に重税を課するほか手はなくなるであろう。もしそうなれば、一時的に事業は進んだように見えても、国力は疲弊して救い難いことになるだろう。」



「税を軽くして国民生活を豊かにすれば、国力を養うことになる。だから国が多くの課題を抱え、財政の不足で苦しくなったとしても、税の定まった制度をしっかり守り、政府や上層階級が損を我慢して、下層階級の人々を苦しめてはならない。」



「西洋の刑法は、もっぱら戒めることを目的とし、むごい扱いを避け、善良に導くことに心を注ぐことが深い。だから獄中の罪人であっても、緩やかに取り扱い、教戒となるような書籍を与え、場合によっては親族や友人の面会も許すということだ。西洋のこのような点は誠に文明だと感じるものだ」



「人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、学問の道は敬天愛人(天を敬い人を愛する)を目的とし、自分の修養には、つねに己れに克つことを心がけねばならない。己れに克つための極意は、論語にある『意なし、必なし、固なし、我なし』(主観だけで判断しない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。総じて人は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗するものだ。歴史上の人物をみるがよい。事業を始める人が、その事業の七、八割まではうまくやるのであるが、残りの二、三割を終りまで成し遂げる人の少ないのは、はじめはよく己れを慎んで、事を慎重にするから成功もし、名も世に知られるようになる。しかし、成功して名も知られるようになると、いつの間にか自分を愛する心が起こり、恐れ慎むという心が緩み、驕り高ぶる気持ちが多くなり、成功したことを自惚れて、何でもできるという過信のもとに、出来の悪い仕事をしてついに失敗する。これはすべて自ら招いた結果である。だから、自分にうち克って、人が見ていないときも聞いていないときも、慎み戒めることが大切なのだ。」



「文明というのは、道理にかなったことが広く行われることを褒め称えていう言葉であって、宮殿が荘厳であるとか、衣服がきらびやかだとかといった、外観の華やかさをいうものではない。もし西洋が本当に文明の国ならば、未開の国に対しては、慈愛の心をもって接し、懇々と説きさとし、文明開化に導くはずであろう。ところが、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮である。」



「人間の知恵を開発するということは、愛国の心、忠孝の心を開くことなのだ。国に尽くし、家のために勤めるという道が明らかであれば、すべての事業は前進するであろう。耳で聞いたり、目で見たりする分野を開発しようとして、電信を架け、鉄道を敷き、蒸気機関車を造る。こうして人の注目を集めても、どういうわけで電信、鉄道が必要なのかを考えもしないで、みだりに外国の盛大なことをうらやむ。利害得失を議論することなく、家屋の作り方からオモチャに至るまで一々外国の真似をし、贅沢の風潮を助長する。財産を浪費するならば、国力は衰え、人の心は浅はかで軽々しくなり、結局日本は破綻するよりほかないであろう。」



「主君への忠義と親への孝行、他人にめぐみいつくしむという徳目の実践を促すことこそ、政治の基本である。これは、未来永劫、世界のどこにおいても、不変かつ大事な道である。」



「広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化をめざして進もうと思うならば、まず我が国の本体をよくわきまえ、道徳心を高めることに努め、そのうえで、徐々に外国の長所を取り入れるべきである。ただみだりに模倣すると、国体は衰え、徳も廃れて、救いようがなくなってしまい、結局は外国の支配を受けるようなってしまうのである」



「大きなことでも、小さなことでも、道理にかなった正道を踏み、真心を尽くし、決して策略を用いてはならない。」



「過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すれば、それでよい。そのことをさっぱり思いすてて、ただちに一歩を踏み出すことが大事である。過ちを犯したことを悔やんで、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶碗を割って、そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、何の役にも立たぬことである。」



「何度も何度もつらく苦しい経験をしてこそ、人の志は初めて堅くなるのだ。真の男は玉となって砕けることを本懐とし、志を曲げて瓦となって生き長らえることを恥とせよ。我が家の遺訓。それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産を残さないということだ。」



「国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、普段の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、つつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。しかし今、維新創業の大事なときだというのに、家を贅沢にし、衣服をきらびやかにし、美しい妾を囲い、金を蓄えることを考えているならば、維新の理想を達成することはできないであろう。今となっては、戊辰の正義の戦いも、ただ私利私欲を満たすための戦いとなり、世の中の人々に対し、また戦死者に対して面目ないことであると言って、西郷先生は涙を流された。」



「政治で特に大切なことは、教育文化を盛んにし、軍備を充実させ、農業を奨励するという三つである。その他のさまざまな事柄は、すべてこの三つのものを実現するための手段である。この三つのなかで、時勢によって優先順位が変わることもあろうが、この三つのものを後回しにして、それ以外のことを先にするということは、決してあってはならないことだ。」



「賢人がすべての役人を統轄し、政権が一つの方針に進み、国の体制が一つにまとまらなければ、たとえ有能な人物を登用し、自由に進言できるようにして、多くの人の考えを取り入れるにしても、どれを取捨するのか一定の方針がなくては、行うことは雑でまとまりがなく、とても成功どころではない。昨日出された政府の命令が、今日には変更になるというようなことも、統轄するところが一つでなく、政治の方針が決まっていないからである。」



「過去の功績のご褒美として役職につけるのは、善くないことの第一である。功績のある人には俸給をあたえて賞し、役職はそれにふさわしい人物にあたえよ。」



「正しい道を踏み、国とともに倒れてもよいというほどの精神がなければ、外国との交際を成し遂げることはできない。 外国の強大なことに恐れをなし縮こまり、ただ円満に事を収めることを主として、自国の真意を曲げてまで、その国のいいなりになるのなら、軽蔑や侮りを受け、親しい交わりがかえって破れ、しまいにはその国に制圧されるに至るであろう。」



「策略は日常的にすることではない。はかりごとをめぐらしてやったことは、あとから見ると善くないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。ただ戦争において策略は必要なことであるが、日常的にはかりごとをやっていると、いざ戦いということになったとき、同じことはできないだろう。蜀漢の丞相であった諸葛孔明は、日頃策略を用いなかったから、戦いのときに思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。私はかつて東京を引き揚げたとき、弟(従道)に対して、私はこれまで少しもはかりごとをやったことがないから、跡は少しも濁ることはないだろう。それだけはよく見ておくようにと言いおいたことがある。」



「命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬ。というような人物は処理に困るものである。このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない。しかし、このような人物は普通の人の眼では見抜くことができぬと言われるので、それでは孟子が『仁という広い家に住み、礼という正しい位置に立ち、義という大道を歩む。もし、志を得て用いられたら民と共にその道を行い、志を得ないで用いられなければ、独りでその道を実践する。そういう人は、どんな富や身分もこれを汚すことはできないし、貧しく身分が低いことによって心がくじけることもない。力をもってもこれを屈服させることはできない』と言っていますが、このような人物がいま仰せられたような人物のことでしょうかと尋ねると、その通りだ、真に道を行う人でなければ、そのような姿にはならないものだと答えられた。」



「もうここらでよか」

(死を決意し、介錯を頼んだ別府晋介に)

(最後の言葉)



「二つなき 道にこの身を 捨て小舟 波立たばとて 風吹かばとて」

(辞世の句)



日本の武士、軍人、政治家。 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。名は元服時には隆永、のちに武雄、隆盛と改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変えた。号は南洲。

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