二上達也さんの残した言葉【将棋棋士】1932年1月2日~2016年11月1日
「大山さんの負けじ魂は尋常ではなかった。私は将棋は技術の勝負だととらえていたが、大山さんは人間対人間の勝負にもちこもうとしていたのである。私の指し手よりも私という人間を研究していた」
「若手・中堅の棋士たちが将棋研究に打ち込む熱心さをもう少し将棋普及のためにも積極的に向けてもらえればいいのですが」
「ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」
(弟子の羽生善治と初対戦で完敗)将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。
棋風は居飛車の攻め将棋。相掛かりガッチャン銀戦法は二上定跡として有名である。守りが薄い状態で攻め込むため、展開の早い勝負になりやすく、終盤の力で勝負した。木村14世名人は二上のスピードの早い将棋を評価した。塚田は、自身の師匠である花田長太郎と塚田を足して2で割った棋風と語った。大山によれば振り飛車を嫌っていたとされるが、自身では対大山で経験を積んだため振り飛車の相手が苦にならなくなったという。
上の世代の棋士は対局中につぶやいたり、歌を歌う等、相手を惑わせることを日常的に行ったが、二上は盤上での勝負にこだわり盤外戦を行わなかった。二上だけでなく戦後の棋士達はそうした行為をしない傾向があった。
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