特攻隊員の遺書 渋谷健一大尉【我が子へ】
「出撃に際して倫子、生れる愛子へ」
父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員十一名、年歯僅か二十才に足らぬ若桜と共に決戦の先駆となる。死せずとも戦に勝つ術あらんと考ふるは常人の浅はかなる思慮にして、必ず死すと定まりて、それにて全軍的に総体当りを行ひ、尚且つ、現戦局の勝敗は神のみぞ知り給ふ。真に国難といふべきなり。父は死にても死するにあらず、悠久の大儀に生きるなり。
一、寂しがりやの子に成るべからず母あるにあらずや、父も又幼少にして父母を病に亡くしたれど決して明るさを失はずに成長したり。まして戦に出て壮烈に死すと聞かば日の本の子は喜ぶべきものなり。父恋しと思はば、空を視よ、大空に浮かぶ白雲にのりて父は常に微笑で迎ふ。
二、素直に育て、戦勝つても国難は去るにあらず、世界に平和がおとづれて万民太平の幸をうけるまで懸命の勉強をすることが大切なり。二人仲良く母と共に父の祖先を祭りて明るく暮らすは父に対して最大の孝養なり。
父は飛行将校として栄の任務を心から喜び、神明に真の春を招来する神風たらんとす。皇恩の有難さを常に感謝し世は変るとも忠孝の心は片時も忘るべからず。
三、御身等の母はまことに良き母、父在世中は飛行将校の妻は数多くあれども、母程日本婦人としての覚悟ある者少し。父は常に感謝しありたり。
戦時多忙の身にして真に母を幸福にあらしめる機会少く、父の心残りの一つなり。御身等成長せし時には父の分まで母に孝養つくさるべし。之父の頼みなり現時敵機爆撃の為大都市等にて家は焼かれ、父母を亡ひし少年少女数限りなし。之を思へば父は心痛極まりなし。御身等は母、祖父母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。
書置く事は多けれど、大きくなつたる時に良く母に聞き母の苦労を知り決して我儘せぬやう望む。
渋谷大尉は仙台飛行学校で特操1期の区隊長をしていた。自ら特攻精神を説き、そして特攻隊員に志願した。幾度目かの志願でやっと認められ若い搭乗員8名を連れて出撃散華されたとのことである。
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