特攻隊員の遺書 山口輝夫少尉【父親へ】

「父上の名を呼んで突入します」

 御父上様
 なんらの孝養すらできずに散らねばならなかった私の運命をお許しください。
 急に特攻隊員を命ぜられ、いよいよ本日沖縄の海へむけて出発いたします。命ぜられれば日本人です。ただ成功を期して最後の任務に邁進するばかりです。とはいえ、やはりこのうるわしい日本の国土や、人情に別離を惜しみたくなるのは私だけの弱い心でしょうか。死を決すればやはり父上や母上、祖母や同胞たちの顔が浮んでまいります。だれもが名を惜しむ人となることをねがってやまないと思うと、本当に勇気づけられるような気持がいたします。かならずやります。それらの人々の幻影にむかって私はそう叫ばずにはいられません。
 しかし死所を得せしめる軍隊に存在の意義を見出しながら、なお最後まで自己を減却してかからねばならなかった軍隊生活を、私は住み良い世界とは思えませんでした。それは一度娑婆を経験した予備士官の大きな不幸といえましょう。いつか送っていただいた大坪大尉の死生観も、じつは徹し切っているようで、軍隊の皮相面をいったにすぎないような気がします。正を受けて二三年、私には私だけの考え方もありましたが、もうそれは無駄ですから申しません。とくに善良な大多数の国民を偽瞞した政治家たちだけは、いまも心にくい気がいたします。しかし私は国体を信じ愛し美しいものと思うがゆえに、政治家や統師の補弼者たちの命に奉じます。
 じつに日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じてきた祖先たちの純真そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。国体とは祖先たちの一番美しかったものの蓄積です。実在では、わが国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません。
 沖縄は五島と同じです。私は故郷を侵すものを撃たねば止みません。沖縄はいまの私にとっては揺籃です。あの空あの海に、かならず母や祖母が私を迎えてくださるでしょう。私はだから死を悲しみません。恐しいとも思いません。ただ残る父上や、多くのはらからたちの幸福を祈ってやみません。父上への最大の不幸は、父上を一度も父上と呼ばなかったことです。しかし私は最初にして最後の父様を、突入寸前口にしようと思います。人間の幼稚な感覚は、それを父上にお伝えすることはできませんが、突入の日に生涯をこめた声で父上を呼んだことだけは忘れないで下さい。
 天草はじつに良い所でした。私が面会を父上にお願いしなかったのも、天草のもつよさのためでした。隊の北方の山が杉山と曲り坂によく似た所で、私はよく寝ころびながら、松山の火薬庫へ父上や昭と一緒に遊びに行った想い出や、母の死を漠然と母と知りつつ火葬場へ車で行った曲り坂のことなど、想わずにはおれませんでした。
 私が死ねば山口の方は和子一人になります。姉上もおりますし心配ありませんが、万事父上に一任しておりますから御願いいたします。
 歴史の蹉跣は民族の滅亡ではありません。父上たちの長命を御祈りいたします。かならず新しい日本が訪れるはずです。国民は死を急いではなりません。では御機嫌よう。
輝夫
出発前
名をも身をもさらに惜しまずもののふは
  守り果さむ大和島根を

戦前の若者達の両親を思う気持ちというのは今では考えられないほど強かったように思う。また、国や故郷を思う気持ちも全く同様である。演劇中の遺書のモデルにもなっている有名な遺書である。

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