特攻隊員の遺書 上原良司少尉【両親へ】

御両親様へ 

 生を享けてより二十数年、何一つ不自由なく育てられた私ハ幸福でした。温き御両親の愛の下、良き兄妹の勉励に依り、私ハ楽しい日を送る事が出来ました。そして梢々もすれバ、我儘になりつゝあつた事もありました。この間、御両親様に心配を御掛けした事ハ兄妹中で私が一番でした。それが、何の御恩返しもせぬ中に先立つ事ハ心苦しくてなりませんが、忠孝一本、忠を尽くす事が孝行する事であると云ふ日本に於てハ、私の行動を御許し下さる事と思ひます。
 空中勤務者としての私ハ、毎日々々が死を前提としての生活を送りました。一字一言が毎日の遺書であり、遺言であつたのです。高空に於てハ死ハ決して恐怖の的でハないのです。この儘突込んで果して死ぬのだらうか、否、どうしても死ぬとハ思へません。そして、何か斯う突込んで見たい衝動に駆られた事もありました。私ハ決して死を恐れてハ居ません。寧ろ嬉しく感じます。何故なれバ、懐しい龍兄さんに会へると信ずるからです。天国に於ける再会こそ私の最も希ハしい事です。私ハ所謂死生観ハ持つて居ませんでした。何となれバ死生観そのものが飽まで死を意義づけ、価値づけやうとする事であり、不明確な死を恐れるの余りなす事だと考へたからです。私ハ死を通じて天国に於ける再会を信じて居るが故に死を恐れないのです。死とハ天国に上る過程なりと考へる時、何ともありません。
 私ハ明確に云へバ、自由主義に憧れてゐました。日本が真に永久に続く為にハ自由主義が必要であると思つたからです。之ハ馬鹿な事に聞えるかも知れません。それハ現在、日本が全体主義的な気分に包まれてゐるからです。併し、心に大きな眼を開き、人間の本性を考へた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思ひます。
 戦争に於て勝敗を見んとすれバ、その国の主義を見れバ、事前に於て判明すると思ひます。人間の本性に合った、自然な主義を持つた国の勝戦ハ火を見るよりも明であると思ひます。
 日本を昔日の大英帝国の如くせんとする私の理想ハ空しく敗れました。この上ハ只、日本の自由、独立の為、喜んで命を捧げます。
 人間にとつてハ一国の興亡ハ、実に重大な事でありますが、宇宙全体から考へた時ハ、実に些細な事です。驕れる者久しからずの例へ通り、若しこの戦に米英が勝つたとしても彼等ハ必ず敗れる日が来る事を知るでせう。若し敗れないとしても、幾年後かにハ、地球の破裂に依り粉となるのだと思ふと痛快す。加之、現在生きて良い気になつて居る彼等も、必ず死が来るのです。唯、早いか晩いかの差です。
 離れにある私の本箱の右の引出に遺本があります。開かなかつたら左の引出を開けて釘を抜いて出して下さい。
 でハ、くれぐれも御自愛の程を祈ります。
 大きい兄さん、清子始め皆さんに宜しく。
 でハさよなら御機嫌良く。さらバ永遠に

遺書は熊谷飛行学校から知覧へ向かう途中、自宅に立ち寄り書き残したもの。所感は出撃前夜に報道班員に手渡されたもの。

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