特攻隊員の遺書 富澤幸光中尉【両親へ】

「絶筆 靖國神社で待つてゐます」

 お父上様、お母上様、益々御達者でお暮しのことと存じます。幸光は闘魂いよ ゝ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎へる事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね。同封の写真は〇〇で猛特訓時、下中尉に写して戴いたものです。眼光を見て下さい。この拳を見て下さい。
 父様、母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。靖國神社ではまた甲板士官でもして大いに張切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知つても決して泣いてはなりません。靖國で待つてゐます。きつと来て下さるでせうね。本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。否日本国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきつとやります。
 ニッコリ笑つた顔の写真は父様とそつくりですね。母上様の写真は幸光の背中に背負つてゐます。母様も幸光と共に御奉公だよ。何時でも側にゐるよ、と云つて下さつてゐます。母さん心強い限りです。
 幸雄兄、家の事は万事たのむ。嘉市兄と共に嘉平、久平、保則君を援けて仲良くやつて下さい。
 恩師に宜しく申し上げて下さい。十九貫の体躯、今こそ必殺轟沈の機会が飛来しました。小樽の叔父、叔母様に宜しく。函館の叔父、叔母様に宜しく。中野の祖父母様に宜しく。国本師顕殿、御世話を謝します。叔父さん、幸光は立派に大戦果をあげます。

富澤中尉は「私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。」と書き残して出撃されている。そして靖國神社に「来て下さるでせうね。」とも書き残している。この思いを戦後人々はきちっと受け止めてきたであろうか。

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