故人が残した名言集【10月13日】

栗山欣彌さんの残した言葉【京都府立医科大学学長】1932年7月11日~2018年10月13日



「海外で出会った人で心にゆとりを持っている人は、田舎出身者が多かった。職業人には職業的に立派であることと、精神的な立派さのふたつが求められます。高齢化時代を迎え、思いやりがもてることがますます必要になるでしょう」



京都府亀岡市出身の医学者。専門は薬理学。

アルコール依存症などを手がける。



やなせたかし さんの残した言葉【アンパンマンの産みの親】1919年2月6日~2013年10月13日



「アンパンマンのテーマソングは『なんのために生まれて、なんのために生きるのか』というのですが、実は僕はずいぶん長い間、自分がなんのために生まれたのかよくわからなくて、闇夜の迷路をさまよっていました。」



「人間が一番うれしいことはなんだろう? 長い間、ぼくは考えてきた。そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。実に単純なことです。ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。」



「ごくありふれた日常のなかに、さりげなく、ひっそりと、幸福はかくれています。」



「夢を実現することだけが人生の目的ではない。夢に向かって一歩ずつ一歩ずつ進もうとする。その力が尊いのだ。」



「生きていることが大切なんです。今日まで生きてこられたなら、少しくらいつらくても明日もまた生きられる。そうやっているうちに次が開けてくるのです」



「運をつかむには、自分のやりたいことをずっと継続して、やめないことだ。『継続は力なり』という。同時に『継続は運』なのだ。『運がよけりゃ』と、棚の下でぼた餅が落ちてくるのを待っていても、そんな好都合なことは起こらない。自分でぼた餅をつくってこそ、類は友を呼ぶではないが、いろんな餅が寄ってくるのだと思う。自分自身も、世に出なくとも、代表作がなかなか描けなくても、黙々と漫画を描き続けてきた。アンパンマンはそうした長い歳月から生まれた『運』だったのだ。」



「絶望のとなりに誰かがそっと腰かけた。絶望はとなりの人に聞いた。『あなたはいったい誰ですか?』となりの人は微笑んだ。『私の名前は希望です』」



日本の漫画家、絵本作家、詩人。 有限会社やなせスタジオ社長。

『アンパンマン』の生みの親として知られる。

社団法人日本漫画家協会代表理事理事長、社団法人日本漫画家協会代表理事会長を歴任。



丸谷才一さんの残した言葉【小説家】1925年8月27日~2012年10月13日



「わたしは何かの会合で挨拶をするように頼まれたとき、かならず原稿を作る。即興でやらない。きちんと全文を書いて、それをいちおう誰かに読んでもらって、大丈夫となったものを読み上げるのだ。・・・こんな具合に原稿を書くのは、まず何よりも失言がこわいからなんですね。わたくしは自分が軽卒な人間であることをよく知っている。だから心用するのである。原稿なしで長広舌をふるう政治家なんて人たちは、よほど大胆なのだと思う。偉いな。頭がさがる」



「きょうは暇だから本を読もうというのは、あれは間違いです。きょう暇だったら、のんびりと考えなくちゃあ。考えれば何かの方向が出てくる。何かの方向が出てきたら、それにしたがってまた読めばいい」



「何かに逢着したとき、大事なのは、まず頭を動かすこと。ある程度の時間をかけて自分一人でじーっと考える」



「食通に講釈をさせるのはよい。しかし料理をさせてはいけない」



「ある種の男は、女の愚かしさに夢中になるものです」



日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。

主な作品に『笹まくら』『年の残り』『たつた一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。

文字遣いは、1966年から74年までをのぞいて、歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽妙で知的な作品を書くことを目指した。

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