故人が残した名言集【10月21日】
西澤潤一さんの残した言葉【ミスター半導体】1926年9月12日~2018年10月21日
「紳士とは自己に対する全責任が負える人間のこと。」
「不器用の勝利、という言葉がある。不器用だからと逃げずに、それを克服することを考えるところに初めて進歩がある。」
「僕が心から超一流と思う人はどう生きたのか。みんな、小利口なことなどせず、鈍くさいことをひたむきにやり、バカだといわれた時期があった。」
「新しい展開は、難しいことを勉強して出るものではないんです。非常に初歩的なところで捕まえた疑問点というのが、大発見なんです。」
「バカになるしか成功の道はない。」
「人のやっていないことでなければならない。
他より速くなければならない。
しかし間違ってはならない。」
「不器用の勝利、という言葉がある。不器用だからと逃げずに、それを克服することを考えるところに初めて進歩がある。」
日本の工学者。 専門は電子工学・通信工学で、半導体デバイス、半導体プロセス、光通信の開発で独創的な業績を挙げた。
半導体関連の特許保有件数は世界最多である。
上智大学特任教授。東北大学名誉教授。日本学士院会員。 東北大学総長、岩手県立大学学長、首都大学東京学長を歴任。
渡辺寧に師事、半導体研究の黎明期から従事し数多くの成果を上げ、「ミスター半導体」とも呼ばれる。
しかし、若い頃はその着想が先進的に過ぎて理解者に恵まれず、学会での同業研究者からの攻撃や研究資金獲得の困難に見舞われ、西澤のアイデアがアメリカによって先に開発されてしまったことも度々あった。
笹沢左保さんの残した言葉【木枯らし紋次郎】1930年11月15日~2002年10月21日
「書かなくなった(書けなくなった)作家は、作家でもなければ人間でもない。強いていうなら作家の脱け殻である」
日本の小説家。本名は笹沢 勝。 テレビドラマ化されて大ヒットした『木枯し紋次郎』シリーズの原作者として知られ、推理小説、サスペンス小説、恋愛論などのエッセイ他、歴史書等も著し、380冊近くもの著書を残した。
ホレーショ・ネルソンさんの残した言葉【トラファルガー海戦で英国を勝利に導いた提督】1758年9月29日~1805年10月21日
「絶望的な状況に追い込まれたときは一か八かの作戦が必要になる。」
「敵と向かい合っている時、船長に間違いは許されない。」
「時間がすべてです。5分もあれば勝利と敗北はひっくり返ります。」
「私の命令で仲間が危機に陥ったとしたら誰も私の命令など聞かなくなるでしょう。」
「相手が間違ったときに、すぐに口をはさむようなことを紳士はしてはいけない。」
「戦うべきかどうか、迷うときというのは本当は戦いたくないのである。」
「他人の意見に従うよりも自分の判断に従ったほうが、たいていの場合、正しい。」
「各員がその義務を尽くすことを期待する。」
「私の人生における成功のすべては、どんな場合でも必ず15分前に到着したおかげである。」
「試みのないところに、成功のあったためしは、決してない。」
「『もしも』という言葉は許されない。我々はきっと勝つ。必ず勝つ。まちがいなく成功する。」
アメリカ独立戦争・ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。ナイルの海戦でフランス艦隊を壊滅させる武功を挙げた。
さらにトラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊に対して戦史上稀に見る大勝利を収めてナポレオンによる制海権獲得・イギリス本土侵攻を阻止したが、自身は同海戦で戦死した。イギリス最大の英雄とされる。
島左近さんの残した言葉【謎多き名将】1600年10月21日
「ただ城下の繁栄に驕って、下々の憂苦を思わず、武具にのみ力を入れて城郭を構築しても、徳と礼儀がなければ甚だ危うい」
戦国時代から安土桃山時代の武将。筒井氏、石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近の名で広く知られる。
実名は勝猛などの俗称が広まってはいるが、自筆文書においても「清興」の花押を使用しており、正確には清興であると考えられる。
大谷吉継さんの残した言葉【大谷刑部】1558年~1600年10月21日
「人面獣心になり、三年の間に祟りをなさん」
「大将の要害は徳にあり。徳あるところ、天下これに帰す」
「金のみで人は動くにあらず」
「契りとも 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも」
訣別の挨拶として送られてきた平塚為広の辞世「名のために(君がため) 棄つる命は 惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば」への返句となっている。(辞世の句)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部の通称でも知られる。
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