故人が残した名言集【10月25日】
サラ・アンツァネッロさんの残した言葉【イタリア女子バレー代表】 1980年7月30日~2018年10月25日
「私は戦うためにここにいます。決してあきらめることはありません。」
(病院のベッドで)イタリアの女子バレーボール選手。サン・ドナ・ディ・ピアーヴェ出身。ポジションはミドルブロッカー。元イタリア代表。
1998年にイタリア代表に選出され、2002年世界選手権、2007年ワールドカップで金メダルを獲得した。
2005年欧州選手権では準優勝を飾った。
セリエAの所属クラブでは、アシステル・ノヴァーラ在籍時の2004年にコッパ・イタリアで優勝、2009年に移籍したGSOヴィッラ・コルテーゼでもコッパ・イタリアで優勝を飾った。
2013年、アゼルバイジャンで重篤な肝炎に。
2017年半ばには、白血病と診断。
1年後の2018年10月25日、38歳で亡くなりました。
遠藤賢司さんの残した言葉【不滅の男】1947年1月13日~2017年10月25日
「そう俺が死んだ時 俺の凄さが解かるだろ」
(『俺が死んだ時』から)茨城県ひたちなか市出身・東京在住のシンガーソングライター・ミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。
主に扱う楽器はアコースティックギター、エレクトリックギター、ブルースハープ。ほかにも、ウクレレ、ピアノ、ドラムなどの楽器を演奏する。
自身のほぼ全ての楽曲の作詞、作曲も手がける。
岩谷時子さんの残した言葉【愛の讃歌】1916年3月28日~2013年10月25日
「右手だけでは何も書けない。左手で紙をおさえて初めて字が書ける。左手あってこそ右手が自由に働ける。夫婦も友人も人間はみな互いに右手と左手のようなものなのかもしれない。」
日本の作詞家、詩人、翻訳家。本名:岩谷 トキ子。歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。
マネージャーとして活動する一方で、1952年に越路が出演していたシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として『愛の讃歌』で時子にとって自身初めてとなる訳詞・作詞をした。以降、『愛の讃歌』をはじめとする越路が歌うシャンソンの訳詞を手がけたのをきっかけとして作詞家・訳詞家としても歩み始める。
ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、岸洋子『夜明けのうた』、弘田三枝子『夢見るシャンソン人形』、沢たまき『ベッドで煙草を吸わないで』、園まり『逢いたくて逢いたくて』、加山雄三『君といつまでも』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』など数多くのヒット曲を生み出してきた。
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