故人が残した名言集【10月6日】

エディ・ヴァン・ヘイレンさんの残した言葉【ギタリスト】1955年1月26日~2020年10月6日


「音楽なんてものはある人にはクズ、ある人にはゴールド。それでいいんだ。」



「もしロックスターや有名人になりたければ、裸で路上を駆け抜ければいい。絶対ニュースになる。もし音楽で生計を立てたいんだったら、弾いて弾いて弾きまくれ!そうすればいつの間にか、立ちたかった場所にいる。」



「おれはバンドメンバーの1人だから、アルバムの制作なしでツアーに出るようなことはしない。」



「ヴァンヘイレンを結成した時、成功への道なんて見えなかった。ただ好きなことをやっていただけだ。」



「ピアノは万能な楽器だ。ピアノから初めて理論や楽譜の読み方を学べば、どんな楽器だって弾ける。」



「めちゃくちゃよく鳴るギターとアンプを持っていて、ギターにその音を出させる方法を知っていれば完璧だ。いい音がなるギターと、どういう音を鳴らすことが出来るかという理解が大事だ。」



「音楽を作る力というのは、神から与えられたものなんだ。俺よりもパワーのある存在が、アイディアを与えてくれるんだよ。」



「俺にとっては、シンプルであることこそが、A地点からB地点までの最も簡単な道だ。どうして皆、物事を複雑にしようとするんだ?と、いつも思うね。」



「俺達はトレンドは追いかけない。俺達は俺達で、誰かより優れているなんて宣言もしないし・・・。心から出てきた音楽をやっているだけだよ。」



「ジャズとロックンロールの唯一の違いはロックンロールの音の方がちょっと大きいってことさ。何をやるにしても型は決まっていないし、どんなことをやってもいいんだ。ルールはないんだよ。」



「俺にとって音楽というのは競争するようなものじゃないんだ。自分を満足させてくれる音楽を書こうとしている。それだけが俺のガイドラインさ。」



「僕達は人々のためにプレイしているんだから、彼らが望むものを与えなければいけないよ。それをやりたくないんだったら、家で1人でプレイするしかないね。(笑)。」



「俺は地球で一番ラッキーな男なんだと思うよ!兄貴と生涯ずっと一緒にプレイしてきて、今では息子とも一緒だなんてね。」



「名誉なことだ。もしも僕が誰かを刺激してギターを弾かせたとしたら、それは素晴らしいことだと思う。」



「自分の周りにあるものが自分に影響を及ぼし、作る音楽、考え方、総てに影響を及ぼすのさ。だが総ては無意識のうちに出て来るんだよ。」



「俺達からミュージシャンという仕事を取ったら何も残らないからな。俺達がやり方を判っているのはこの仕事しかないんだよ。」



オランダ系アメリカ人のロック・ギタリスト、作曲家、音楽家。「エディ・ヴァン・ヘイレン」とも呼ばれる。身長172.7cm。オランダ系アメリカ人。 ハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンのギタリストで、同バンドのドラマーのアレックス・ヴァン・ヘイレンは実兄。



金田正一さんの残した言葉【400勝投手】1933年8月1日~2019年10月6日



「俺は400勝しているが、300敗してるんだぞ。」



「スランプと言っていいのは、長嶋、金田までです。」



「『タレント監督』大いに結構。第一、辞典で『タレント』を引くと―。『才能のある人の意味』『才能、技量』とあるじゃないの。いい言葉だねェ。『才能ある監督』―ワタシにはなんともほめすぎの『肩書き』。またワタシは『乗って』しまう。」



「いくら『野球術』ができても、プレーする『実力』がなければどうにもならないということ。」



「まあ、現役時代を語れば自然と自慢話になってしまうほどの大投手ということで勘弁してください。」



「(小児病院を弔問した折に)満足に歩けもしない、あんな小さな子供でさえ、走ろう、生きようと必死なんだ。それに比べたら五体満足の大男たちが、やれホームラン打ったの、やれ負けたのと騒ぐ。小いせえ、小いせえ、野球なんて小さすぎらあ。」



「俺たちは記録で勝負するしかない。」



「先に点をやったらもうダメなんだ。終盤に逆転なんてあり得ない。これは国鉄のバックが身をもって教えてくれたよ(笑)。前半にやられたらあきらめたよ。」



「とにかく相手から三振を奪うしかないワケなんだよ。三振取らなかったら、エラーして失点に結びつくんだから(笑)。私は打たせて取るなんてことは考えたこともなかった。その結果の4490奪三振なんだ。」 



「日本には四季がある。樹木は春に花が咲き、夏の日差しで新緑となる。秋には紅葉して、冬はじっと寒さに耐えて次なる春に備える。この意味をよく考えなさい。生き物は休むべきときに休まないと、必ず体にしわ寄せがくるんだ。体を休めることも仕事なんです。」



「シーズンで使った体を元に戻すには3か月はかかる。ワシも疲れ切った体を回復させるのに大変気を遣ったよ。だから秋季キャンプなどは、ワシの野球哲学からすれば邪道だった。」



「同じ気温20度でも春と秋とではかく汗の質が違う。」



「選手は球団の大事な『商品』なんです。万が一、選手生命を左右するようなケガをしたら誰が責任を取るんだ。選手も選手だ。ホイホイ尻尾を振って招集に応じるのはおかしい。」



「野球の国際試合は、五輪で復活させるだけで十分なんです。それもメジャーの主力が出てきて初めて成立する。それ以外は不要だ。メジャーが参加しない国際大会に日本が一線級のプロを出す必要はない。」



「(そんなに400勝にこだわらなくてもいいのでは?)アホか。記録に縁のないやつがなにをいう!」



愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身のプロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。

国鉄スワローズと読売ジャイアンツで活躍し、日本プロ野球史上唯一の通算400勝達成投手にして、同時に298敗の最多敗戦記録をもつ。

更に通算奪三振(4490奪三振)、通算完投(365完投)、通算イニング(5526回2/3)、通算対戦打者(22078打者)、通算与四球(1808与四球)はいずれも日本記録。

NPB史上最年少ノーヒットノーラン達成者。史上2人目の沢村栄治賞3回受賞者。

引退後はロッテオリオンズ監督や日本プロ野球名球会初代会長を務めた。



ミシェル・ヴォヴェルさんの残した言葉【歴史家】1933年~2018年10月6日



「商売としての死の流通過程は、葬儀会館で終わりではない。葬儀ディレクターはライヴァルである墓地業者に席を譲る。(墓地業者は)さらに集中化されているだけに、さらに強力な、もう1つの圧力団体である。」



「私たちは1789年の大革命の遺産から、その拡張のものとして生きています」



フランスの歴史家。社会史・「心性史」の観点からフランス革命を分析し、革命期における「理性の祭典」などを通じて集団的な心性を考察した。



モンセラート・カバリェさんの残した言葉【ソプラノ歌手】1933年4月12日~2018年10月6日 



「まだ埋もれた歌手だった頃よ。1963年蝶々夫人で共演しているうちに愛し合うようになったわけ。ピンカートンに結婚してもらえた蝶々夫人はたぶん、私一人じゃないかしら。…….夫は、1976年から歌ってないわ。アーモンドの栽培、ワイン造り、それに家畜の飼育、それが夫の仕事よ。彼の農園にいると楽しいわ」



カタルーニャ生まれのオペラ歌手で、優れたベルカント歌唱技術とロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらのベルカント・オペラの諸役での優れた歌唱で名高い。

カバリェが世界的に知られるようになったきっかけは、1965年ニューヨーク市のカーネギー・ホールで行われた演奏会形式の『ルクレツィア・ボルジア』上演で、病気でキャンセルしたマリリン・ホーンの代役を務めたことである。

彼女の歌唱はセンセーションを引き起こし、オペラ界にその名を知らしめた。

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