故人が残した名言集【11月16日】
米倉弘昌さんの残した言葉【経団連会長】1937年3月31日~2018年11月16日
「私がよく経団連で申し上げているのは、経済を動かすのは我々企業であって、企業自らが成長を実現していくんだという気概を持って経営していく、そういうことで本当に成長が実現できるだろうと思います。 」
「技術力を支える人材の育成が大事。日本の将来は、技術力と人材力しかないし、もっともっと教育に力を入れていくと。そして、日本は自信を持って何事にも臨んでいくべきだ。」
「今は本当に原点に帰るとき。日本の強さは人間力と技術力であり、それをさらに磨いていく。常に改革し、前向きに生きていく。もっと自信を持って臨むときだと思います。」
「経営者が守りの姿勢に入っていたら成長は厳しい。したがって、経営者自身が自信を取り戻し、勇気を持って技術革新を加速させ、設備投資をしていくような環境をつくらなければいけない。」
「経済を本当に動かしているのは『人』。会社、会社と言うけれど、会社はすべて『人』ですからね。会社の力を高めようと思えば、人材力を高めていくしかない。」
「日本というのは余りにも今、自虐的で自分を責めすぎているのじゃないか。」
「大事なことは、常に改革、前向きに進んでいくということ。」
「世界の経済危機の歴史を調べると、多くがスキャンダルを契機として起きているんですね。それはやはり、経営者の倫理観の欠如に由来している。」
日本の実業家。学位は経済学修士。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長などを歴任した。
水の江滝子さんの残した言葉【男装の麗人】1915年2月20日~2009年11月16日
「暗い時ほど明るいものを。辛いときほど楽しいものを」
「自分自身が絶えず社会と繋がっていなくてはいけない」
日本の女優、映画プロデューサー、タレント。
1928年に東京松竹楽劇部に第1期生として入団。
日本の女性歌劇史上初めて男性様に断髪した男役で「男装の麗人」の異名を取り、「ターキー」の愛称と共に1930年代から1940年代にかけて国民的人気を博した。
1942年の松竹退団後は劇団主宰、映画女優などを経て1955年に日活とプロデューサー契約。日本初の女性映画プロデューサーとなり、石原裕次郎を筆頭に、浅丘ルリ子、長門裕之、岡田真澄、和泉雅子、赤木圭一郎ら数々の俳優や、中平康、蔵原惟繕といった監督を発掘・育成し、『太陽の季節』、『狂った果実』など70本以上の映画を企画、日活の黄金時代を支えた。
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