故人が残した名言集【1月16日】

ユージン・サーナンさんの残した言葉【宇宙飛行士】1934年3月14日~2017年1月16日



「地球を振り返れば、北極から南極まで海洋も大陸も地球の自転も見える。天空から吊り下げている糸などないのに、ほとんど想像を絶する暗黒の中に浮かんでいて動いている。」



アメリカ合衆国の海軍軍人、宇宙飛行士。ジーン・サーナンとも。



佐久間正英さんの残した言葉【音楽プロデューサー】1952年2月29日~2014年1月16日



「僕らがプロデューサーとしてやってきたことは実際の内容を話してしまえば、知らない人から見れば『バカじゃないの』って些細なことの積み重ねなので」



日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。



小野田寛郎さんの残した言葉【大日本帝国の陸軍軍人】1922年3月19日~2014年1月16日



「世の中には出来そうにないことでも、やらなければならないことがあるし、できることでもやってはいけないことがある。」



「この判断基準こそが、その人の価値を決める。」



「生まれた時は自我ばかり、生きるためには自制と自律がなければ。」



「豊かさは自分の心で感じるもの。不便さは何とでもなる。最後は自分の五体で何とかなる。」



「やってしまったことは『しかたがない』。これからどうするかだ。くよくよ負け犬になってしまう。負け犬は遠くから吠えるだけで向かってこない。」



「計画どおりにいかないことは沢山あるが、思い通りにはいくものだ。不満などどうってことはない。自分の満足度を少し変えればよいのだから。」



「過去は捨てることはできない。現在は止めることができない。しかし、未来は決めることができる。」



「自分では『どうすることもできない』と思っていることでも、本当は『どうにかしよう』としていないだけではないか。」



「コンパスは方向は教えてくれるが、川や谷の避け方は教えてくれない。」



「コンパスばかり見ていると川や谷に落ちてしまう。自分で考えて判断しなければ。」



「若い意気盛んな時に、全身を打ち込んでやれたことは幸せだったと思う。」



「疲れている時、怪我をしている時は、弱気になってしまう。満腹な時、体調の良い時は、油断をする。」



「汚名は恐れない。いつか晴れるから。結果を恐れる。どうしようもないから。」



「反省はさせられるものではなく、自分でみずからするもの。」



「約束の時間に遅れれば、その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。約束を守れない人は信用されず、自分の人生を無駄にすることになる。」



「馬鹿な人は嫌いだ。馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。人は一人では生きられないのだから。」



「戦いは相手次第。生き様は自分次第。」



「礼儀は挨拶ではない。家庭や社会で筋道をつけること。」



「自制や自律は筋肉と同じ。鍛練すれば強くなり放っておくと、生まれた時の自我に戻ってしまう。」



「叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。叱りすぎると叱った人が慢心し、褒めすぎると誉められた人が増長する。それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。」



「親の顔が見たいと思う時はまだ救われる。親の顔を見たくなくなったらおしまい。親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。親子は鏡。」



「日本に帰還した時、やたらと『権利と義務』という言葉が目についた。私が少年の頃は『まず義務を果たすこと』を教えられた。権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。」



「何事も熱いうちは大丈夫。冷たくなったらおしまい。人は熱しやすく冷めやすい。」



「サバイバルとは、今まで生きてきた方法では生きれ残れない時に、なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。」



「努力しても方法を間違えては、失敗する。」



「道具は正しく使ってこそ道具。間違うと凶器になる。」



「紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。しかし、解きやすいことも大切。何でもやれば良いと言うものではない。何をやるにも経過も結果も大切。結果の先のことはもっと大切。」



「生きることは夢や希望や目的を持つこと。それらは教えられたり強制されたりしても、湧くものではない。自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。」



「夢や希望を語るのは思っているだけ。それを目的に変えなければ達成できない。『したいと思います』から『やります』に変えるべきだ。」



「強い人ほど優しい。強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。誰でも『他人のために働きたい』とは思っている。それには強くならなければ。」



「よく『何でそんなに頑張ったのか』と聞かれるが、頑張ったのではなく、頑張らざるを得なかったのだ。皆がやっていることを、自分だけくじけたら笑われるから。」



日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。 情報将校として太平洋戦争に従軍し遊撃戦を展開、第二次世界大戦終結から29年の時を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還を果たした。



秋山庄太郎さんの残した言葉【写真家】1920年6月8日~2003年1月16日



「平凡できれいだということは、あまり目立つことじゃないけど、飽きられないことでもあるんです。自分も飽きませんしね。」



日本の写真家。


梅原竜三郎さんの残した言葉【日本洋画界の重鎮】1888年3月9日~1986年1月16日


「美しい光や色彩に感動すれば、何度でも同じ絵を描く。」



「生者は死者の為に煩わさるべからず。」



「葬式の類は一切無用のこと。 弔問、供物の類はすべて固辞すること。 生者は死者のためにわずらわさるべきにあらず。」

(遺言)


日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。1914年までは梅原 良三郎を名乗った。 ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。

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