故人が残した名言集【11月7日】

宇江佐真理さんの残した言葉【髪結い伊三次捕物余話】1949年10月20日~2015年11月7日



「誰でも年を取るのよ。でも、ただ老いぼれて行くのはつまらない。自分ができることを見つけ、楽しく暮らさなきゃ。それで、本当に死ぬ時は、ああおもしろかった、楽しかったと言って死ぬのよ」



日本の時代小説作家。本名、伊藤 香。代表作にシリーズ化・テレビドラマ化された『髪結い伊三次捕物余話』など。



徳大寺有恒さんの残した言葉【自動車評論家】1939年11月14日~2014年11月7日



「イギリスのクルマは最高を求めない。『たかがクルマじゃないか』と思っているところがいい」



「キャディ(キャデラック)の味はキャディでなければ得られないのだ。その味をよしとすればメルツェデスにその代役はつとまらないのだ。今、外国車に乗るということはその味を買うことだろうと思う。機能を買うなら多くの国産車がそれを果たしてくれるし、経済的でもある。しかし味は買えない。」



「スズキというメーカーはおもしろい。まずカッコをつけない。これがいいと思う。そして、案外強固な自分の意思を持っていて、それを信じているように思える。こういうメーカーは案外少ない。」



「MR-Sのようなクルマの楽しさは、これに乗ってどこに行こうかといろいろ想像できるところだ。MR-Sはいま流行のミニヴァンが失ってしまった、クルマとして最も大事なものを持っている。」



「やっぱり、イタリア車には、ほかの国のクルマにはない人間的な魅力があるからじゃないかな。壊れないとかさ、そんなことばっかり大事にしていないで、気持よく走るとか、いい音を聞かせるとか、そういうクルマなんだよ。だから、人間がわざわざ乗る甲斐がある。」



「『これ1台あれば、オレは十分だ』と考える人たちが増えたからこそ、ユーノスは日本で月から3000台も売れる。この種のクルマをセカンドカーだと思わない人たちが増えてきたというのは日本のモータリゼーションの大きな変化を示している。」



「ジャグァーはもともと『貴族の出』ではない。ジェントリーが貴族に憧れて、貴族以上に貴族らしくふるまうのと同じように、高級車に憧れて、高級車以上に高級車たらんとしたのである。そうして生まれ育ってきたからこそ、ジャグァーが発するメッセージは『上品であれ、紳士たれ』なのだ。」



日本の自動車評論家。元・レーシングドライバー。本名 及び 旧ペンネームは、杉江 博愛。

自動車評論家という職業柄、膨大な台数の車を購入しては手放した。



左幸子さんの残した遺言【女優】1930年6月29日~2001年11月7日



「命懸けでやりなさい」

(妹(左時枝)への遺言)



日本の女優。富山県下新川郡朝日町出身。本名、額村幸子。 妹は同じく女優左時枝。元夫は映画監督の羽仁進。娘はエッセイストの羽仁未央。

私生活では、1959年に映画監督の羽仁進と結婚。

1964年に長女・未央を出産。しかし、1973年に羽仁が未央を連れてアフリカに長期撮影旅行に出かけた際、これに未央とともに同行した左の実妹(四女)で当時羽仁のマネージャー務めていた額村喜美子と不倫関係にあったことを人づてに知り、ショックを受け自殺を図るが事なきを得た。

このこともあり1977年、離婚し未央は父側に付き、羽仁はその4ヶ月後の11月8日、喜美子と再婚した。

1985年、胃癌のため胃の一部を切除するも体調が回復せず長く療養生活を送る。

1991年に舞台『糸女』でカムバックを果たしたが、その後はバラエティ番組へのゲスト出演が活動の中心になっていった。

晩年は『快傑熟女!心配ご無用』のレギュラーパネリストとして出演している。


越路吹雪さんの残した最後の言葉【シャンソンの女王】1924年2月18日~1980年11月7日



「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌も歌ったし、もういいわ」

(最後の言葉)



日本のシャンソン歌手、舞台女優。元宝塚歌劇団男役トップスター。 愛称は「コーちゃん」「コッシー」。 所属レコード会社は日本コロムビア→東芝音楽工業。


越路の活躍の裏には、マネージャーとして最期まで支え、21世紀に入っても現役で活躍していた岩谷時子の存在が大きかった。


エレノア・ルーズベルトさんの残した言葉【世界のファースト・レディ】1884年10月11日~1962年11月7日


「If life were predictable it would cease to be life, and be without flavor.」

(人生が予測可能だった場合、それは人生でなくなり、風味がなくなります。)


「Do what you feel in your heart to be right – for you’ll be criticized anyway.」

(あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。)


「The future belongs to those who believe in the beauty of their dreams.」

(未来は美しい夢を信じる人のためにあります。)


「Life was meant to be lived, and curiosity must be kept alive. One must never, for whatever reason, turn his back on life.」

(人生は生きることが大事なのです。いつも好奇心を持ち続けることです。どんな理由があっても決して人生に背を向けてはいけません。)


「A woman is like a tea bag; you never know how strong it is until it’s in hot water.」

(女はティーバックみたいなもの。熱湯につけられてはじめて、その強さに気づくのです。)


「Beautiful young people are accidents of nature, but beautiful old people are works of art.」

(若くて美しいことは、自然のいたずら。年をとっても美しいことは芸術です。)


「One’s philosophy is not best expressed in words; it is expressed in the choices one makes … and the choices we make are ultimately our responsibility.」

(人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。それは、その人の選択なのです。わたしたちの選択とは、つまるところ、わたしたちの責任なのです。)


「It is better to light a single candle than to curse the darkness.」

(暗闇を呪うくらいなら、ローソクに灯をともしましょう。)


「It is not fair to ask of others what you are unwilling to do yourself.」

(あなたがやりたくないことを他人に頼むのは、フェアではありません。)


「Never mistake knowledge for wisdom. One helps you make a living; the other helps you make a life.」

(知識と賢明さを取り違えないように。知識は生計を立てるのに役立ちますが、賢明さは人生を生きる糧となるのです。)


「Learn from the mistakes of others. You can’t live long enough to make them all yourself.」

(他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは生きられないのだから。)


「Great minds discuss ideas; Average minds discuss events; Small minds discuss people.」

(偉大な人たちはアイディアについて話し、凡庸な人たちは出来事について話し、狭量な人たちは人々について話す。)


「Do one thing everyday that scares you.」

(毎日、あなたが恐れていることを一つ行いなさい。)


「To handle yourself, use your head; to handle others, use your heart.」

(自分自身を扱う際には、頭を用いなさい。ただし、他人を扱う際には、心を用いなさい。)


「If someone betrays you once, it’s their fault; if they betray you twice, it’s your fault.」

(もし誰かが一度だけあなたを裏切ったのなら、それは彼らの責任です。もし彼らが二度もあなたを裏切るのなら、それはあなたの責任です。)


「People grow through experience if they meet life honestly and courageously. This is how character is built.」

(真摯に勇気を持って人生と向かいあえば、人間は経験を通じて成長します。そうして人格が作られるのです。)


「Character building begins in our infancy and continues until death.」

(性格の形成は赤ん坊の時に始まり、死ぬまで続くものです。)


「One thing life has taught me: If you are interested, you never have to look for new interests. They come to you. When you are genuinely interested in one thing, it will always lead to something else.」

(私が人生で学んだこと: 何かに興味を持っていれば、新しい興味を探す必要がない。向こうからこっちにやってきます。純粋に一つのことに打ち込めば、必ず違う何かにつながっていきます。)


「No one can make you feel inferior without your consent.」

(あなたの同意なしに、誰もあなたに劣等感を抱かせることはできない。)


「I can not believe that war is the best solution. No one won the last war, and no one will win the next war.」

(戦争が最高の解決策なんて、とんでもないわ。この前の戦争で勝った者は誰もいなかったし、この次の戦争だって、誰も勝ちはしないのよ。)


「どんな関係においても大切なことは、何を受け取ったかではなく、何を与えたかです。」



「自分にはできないかも知れないという恐れに真正面から立ち向かうたびに、あなたは強さと自信と経験を勝ち取るのです。だから、できないと思うことに挑戦してごらんなさい。」



「どこに行っても逃げて歩いていたなら、自信は失われるばかりです。」



「自分自身に負けない限り、それは敗北ではないのです。」



「世界でもっとも不幸な人間というのは、せっかくの時間を何に使ったらよいかわからなくて、いたずらに一日を迎え一日を送る人間の事を指すのでしょう。」



「自分に対して素直になれない人は、世界中の誰に対しても素直になれない。」



「この世の中で恐怖心ほど人の心を傷つけるものはありません。わたしよりはるかに不幸な方々を助けることにより、わたしは自分の恐怖と闘い、ついにそれを克服したのです。」



「毎日、あなたが恐れていることを一つ行いなさい。他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは生きられないのだから。」



「成功には二つの要素が含まれるべきで、その一つは、自分の個性をできる限り発展させることであり、もう一つは、世間に対して何らかの貢献をすることです。」



「結局、基本的人権はどこに始まるかといえば、それは家のまわりからでしょう。」



アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。リベラル派として高名であった。あくまでもリベラル派なのであって、左翼運動や共産主義運動に対しては批判的であり、明確に一線を画していた。


田中久重さんの残した言葉【東洋のエジソン】1799年10月16日~1881年11月7日



「国家に有用なる機械をせいぞうして奉公の誠を尽くし、世の公益を広めん。」



「そう言うべからず。これも国のためであり、人助けにもなることたい」



「余は、今有用なる機械を製造して、世の公益を広めんことを願う他に一点の利欲なし。」



「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである。」



江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。芝浦製作所の創業者。

天保5年(1834年)には上方へ上り、大坂船場の伏見町(大阪市中央区伏見町)に居を構えた。同年に折りたたみ式の「懐中燭台」、天保8年(1837年)に圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」などを考案した。

その後京都へ移り、弘化4年(1847年)に天文学を学ぶために土御門家に入門。嘉永2年(1849年)には、優れた職人に与えられる「近江大掾」の称号を得た。

翌嘉永3年(1850年)には、天動説を具現化した須弥山儀を完成させた。

この頃に蘭学者の廣瀨元恭が営む「時習堂」に入門し、様々な西洋の技術を学ぶ。

嘉永4年(1851年)には、季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くなどの、様々な仕掛けを施した「万年自鳴鐘」を完成させた。

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