故人が残した名言集【1月21日】
小枝守さんの残した言葉【高校野球指導者】1951年7月29日~2019年1月21日
「人に生まれ、人と生き、人に生かされ、人を生かす。」
「簡単なことが難しく感じ、その難しく感じたことが簡単にできるようになるまでの反復。」
「意地を見せろ。」
「一生懸命なうちは不平・不満が生まれる。必死になれば工夫が生まれる。」
「勝負事は勝つか負けるか確率は五割。強い相手に勝つ確率も五割、弱い相手に負ける確率も五割。」
「自分への評価は自分ですることではなく、人が評価するもの。いくら一生懸命にやっていると思っても、それは人が評価を下すものである。評価してくれないと不平を抱く時点では、まだまだ努力や懸命さが足りない証拠。自分で本当に納得することをやり遂げれば、自ずと評価が上がるものである。」
日本の高校野球指導者。東京都生まれ。日本大学第三高等学校、拓殖大学紅陵高等学校野球部監督を歴任し、日本高等学校野球連盟技術・振興委員を務めた。
ラッセル・ベイカーさんの残した言葉【作家】1925年8月14日~2019年1月21日
「誰の人生にも、問題はいろいろあるのでしょう。問題解決のために多くの時間とエネルギーを費やすよりも幸せになるために使えたほうがいいのではないでしょうか。」
「An educated person is one who has learned that information almost always turns out to be at best incomplete and very often false, misleading, fictitious, mendacious – just dead wrong.」
(教育とは情報を鵜呑みにしない能力をつけることである。)アメリカ合衆国の作家、コラムニスト。 1983年にピューリッツァー賞 伝記部門を受賞した自伝「Growing Up」で知られる。 彼は1962年から1998年までニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストであった。2019年1月27日、バージニア州リーズバーグの自宅で転倒したのが原因で死去。
西部邁さんの残した言葉【評論家】1939年3月15日~2018年1月21日
「サーカスで使われるような、平衡を保つための棒を持たなければ人生は危なくて渡れるものではない。常識というのは、まさに この一本の棒だと思う。」
「人間は、自分の精神を健全に発達させるためには、自分の厄介な獣性や狂気にたいして原罪めいた意識をもっていた方がよい。それが精神活動の根本条件だといわぬまでも、自分自身を一個のプロブレム(問題)ととらえて 自己に懐疑を差し向けることは、精神にたいする調味料であり防腐剤である。人間が一切の苦痛から解放されて快感に打ち震えつづければ、そのとき精神の発達は停止するであろう。」
「現場の経験を共有しなければ通じないというのであれば、そもそも言葉というものが空しくなる。追体験・想像体験も含めながら、言葉を何とか動員してフィクションとしての共有体験を創りだす、それが言語活動の目的であろう。」
日本の保守派の評論家。雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。
松方弘樹さんの残した言葉【俳優】1942年7月23日~2017年1月21日
「手柄を独り占めしないことが大切。配当にしても金が残ったときに『次回作用に……』とは考えない。そのお金はみなさんがいたから初めてできたわけで、僕がいたからではない。だったら、還元しないとね。握り金玉(何もしない)で懐に入れてしまったら、次はない。1回完結で、使っちゃう。」
「趣味でも仕事でも遊びでも、30代というのは何事もやったほうがいい。自分でブレーキかけることはないよ。なぜなら、勝手に絞られてきますから。たとえば、僕はもう30の倍以上の年齢になっています。自然とあれもこれも……とはできなくなってくる。結果、趣味の面で究極、ひとつ残ったのが釣りだったわけ。」
「幸い赤字が出たのは『せんせい』の8千万円だけで他の3本は当たってる。だから、出資してくれた人には2割、3割の配当を付けて返すことができています。2千万円借りた人には2600万円を返し、5千万円なら6千万円。すると、周囲は「松方に話を持っていったら、なにか起きるかもしれん」と見てくれる。そう期待してもらえるだけでも、人とのつながりは広く深くなっていくでしょう。」
「人とのつきあいで、大切なことのひとつは、人の悪口を言わないこと。もちろん、頭の中で思うことはありますよ。でも、それは飲み込んでしまう。だってね、僕の前で誰かの悪口を言った男は、必ず他のどこかで今度は松方弘樹の陰口を叩くはず。本人は否定しても、周りからは『そういう男だ』と見られてしまう。それは男として最低。」
「世の中、格差はあるんですよ。仲良くお手々つないでゴールとはいかない。人間は社会に出たら、絶対に競争にさらされる。でもね、だからこそ人間同士のコミュニケーションが大事になる。」
「天職というのはどの人にもあるはずで、40代に入るまでに探ること。そして、ときめく生き方に早くたどり着いたヤツが、その後の人生で自分を確立することができる。」
「自分で蒔いた種ですが、2度も離婚もしてますし、よそで子供も作ってますし。普通はくたばってますよ。それでもしぶとく生きていられるのは、ステキな仲間が手を差し伸べてくれたから。」
「多くの人と接する仕事の反動なのか、ハンティングにゴルフ、釣り……。趣味に関しては、自然の中でひとりになれるものを選んできた気がします。」
「釣りの最中は、『無』ですね。無心。魚のことしか考えていない。他のことは一切ナシ、雑念もないです。眼下の敵のことしか考えてないですから。」
「俺は勝っている、負けている。そう思うのは当たり前。それが人間。負けていると思ったら頑張ればいい。勝っていると思ったら、『よし、もっと離してやろう』と突っ走ればいい。」
「僕は俳優業を徐々に好きになり、気がついたら50年。やっぱり、好きになったことが続ける原動力になったと思う。」
「大切なのはときめきがあるってことだよ。そうすると、人間、フットワークがすごく軽くなる。体が動き出すんだよ。なにをしていても、駆けつけたいわけだから。」
「当たり前の努力を自力でやったヤツの周りには、生き様に見合ったいい仲間が何人か現れる。困ったときは手を差し伸べてくれて、ときにはキツいことも言ってくれるような。」
「小難しい理屈をこねていないで動き回るべき。男としての確立、自分が大地を踏みしめる場所を探せばいい。」
「僕はこれまで4本の映画をプロデュースしてますけど、俳優だけでは得られなかったものがたくさんあった。」
「仲間っていうのは、甘え合うつながりじゃない。刺激し合う関係なんだよ。」
「やっぱり一歩踏み出すときは、度胸が大事。ビビったら道は広がらないですよ。」
「重要なのは、好きなこと、ときめくことを探っていくこと。それは趣味だけじゃなく、仕事もね。人間、自分の職業にときめかなかったら、長続きしませんから。」
日本の俳優・タレント・司会者・映画監督・映画プロデューサー。本名は目黒 浩樹。東京市王子区出身。身長173cm、血液型はA型。左利き。個人事務所である株式会社MARE所属。明治大学付属中野高等学校卒業。
石岡瑛子さんの残した言葉【アートディレクター】1938年7月12日~2012年1月21日
「『舞台だから、客席から距離があるからディテールは見えないだろう・・・』と言う人には、何も見えない・・・」
東京都出身のアートディレクター、デザイナー。妹は同じくアートディレクター、イラストレーターの石岡怜子。米国映画芸術科学アカデミー協会会員。
梶原一騎さんの残した言葉【漫画原作者】1936年9月4日~1987年1月21日
「吾が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん」
(辞世の句)日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は、高森 朝樹。高森 朝雄の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。
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