故人が残した名言集【12月12日】

梅宮辰夫さんの残した言葉【辰兄】1938年3月11日~2019年12月12日



「これは僕の持論だけど、もしもの時にはそれが自分の『寿命』だと受け入れた方がいい。そう考えれば、冷静に物事を判断できるようになるし、むしろ治療に専念する気持ちが湧いてくる。」



「医学のお蔭で僕は生き続けることができた。親父が医者だったことも影響していると思います。」



「信頼のおける医者の説明に耳を傾けて覚悟を決めたら、すべてを委ねる。」



「僕も俳優としての本分を全うしたい。無理かもしれないけど…、それこそが僕に与えられた最後の仕事。」



「僕の場合はまず、がんを踏み潰してやるといった気負いはなるべく持たない。」



「人工透析を30年、40年と続けている患者さんには本当に頭が下がる思いですよ。80歳まで人工透析をせずに生きてこられたことを、僕はありがたく思わなければならない。」



「僕が闘病について洗いざらい話すことで、正に今、がんに直面して悩み、傷つき、希望を失いかけている人やその家族にエールを送りたい。」



「人生で6度ものがんに打ち克って、この年齢まで生きてこられた。」



「正直なところ、自分の『がん』について語るのは気が進まなかった。」



「人間って二面性も三面性もあるのが当たり前。心で何を考えているかわからないのが人間ですよ。だからこそ悪役は人間らしいんじゃないですかね。」



「芸能界に入った頃はヤクザになりたいと思ってた(笑)~中略~ 55年も前のことなので勘弁してくださいね(笑)。」



「(高倉健さんについて)俳優と思って見ていない。兄さん、兄貴なんです。」



「帽子は似合わないんですよ、顔がデカいせいか。」



「アイツら(逝った仲間)の分も含め、頑張っていくしかない。」



「(松方)弘樹も含め、仲間が一人ずつ自分から去っていくのはこれは仕方がないことだよ。だけど精神的にはつらい。」



「昭和の映画俳優のプライドだけは捨てないで、通用しなくてもいいので、まだまだ昭和の俳優が生きているよと思われるぐらい、目障りでいたいと思います。」



「石原裕次郎や高倉健、菅原文太、それに松方弘樹…。どいつもこいつもみんな素敵な、魅力的な奴らばかりだったよ。」



「僕のいい加減さは直ってないが、今さら直す気持ちもない。」



「この人(松方弘樹)は自分と正反対。」



「俳優はCMに出演することじゃなく、芝居を見せるのが仕事。」



「俳優が俳優らしく生きられた昭和の芸能界に引き戻したい。」



「僕はね、芸能界を最後まで見極めたいと思っているんだよ。」



「芸能人のことをダイヤモンドに例える連中がいるけど、砂の中にダイヤモンドが100個も200個も転がっていたって、そんなもの何の希少価値もない。」



「本音を言えば、僕も引退したいですよ。でも、このまま芸能界を去るのは癪(しゃく)なんです。」



「お前(梅宮アンナ)の人生をずっと見てきて、ハラハラドキドキする事が多かった。」



「僕の親友は全員死んじゃった。仲間がいなくて、ヤル気も起きない。」



「僕がデビューした時の昭和の芸能界は、今なんかと比べられないほど個性的で、しかも格好いい、すてきな映画スターが多かったね。」



「高倉健さんみたいな人は、もう出てこないと思う。」



「(俳優デビュー間もない頃)仕事が切れていたら辞めていたと思いますよ。」



「もう令和なんかには期待していないよ。僕のいた芸能界からはもっと距離が離れていくだろうな。令和の芸能界は一般社会と変わらない世界になってしまうはず。」



「芸能界が素人ばかりになって憧れの世界ではなくなってしまった。」



「(スカウトされて)1年だけ芸能界を覗いてみるというような約束で、東映に入った。」



「一流の俳優には『どこで掘り起こしてきたんだ?』と思わせるくらいの圧倒的な存在感がないといけないんだ。」



「昭和の時代のように、圧倒的な輝きやオーラを放つ俳優が見当たらない。」



「娘って本当にまともな恋愛をしていない。俺が死んだ後、あいつがどう人生を送ってくれるかがすごい気がかり。」



「(クラウディア夫人を幸せにできるのは)やはり、俺しかいないかなと。」



「単純にいまの芸能界が心底、面白くない。」



「俳優の引退は本人が決めるものではない。」



日本の俳優・タレント・司会者・実業家。身長174cm、血液型はA型。所属事務所は株式会社グッデイ。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。愛称は「辰兄」「辰っちゃん」。番組で共演したダウンタウンの浜田雅功からは「正露丸」と一時期呼ばれていた。 東映ニューフェイスとしてデビュー。


山本清一さんの残した言葉【日本一の瓦葺職人】1932年11月1日~2018年12月12日



「職人というのは、人知れず役に立ってればええんや。」



「できへんやつが一生懸命にやるほどきれいなものはない。できるからっちゅうて手を抜くと魂が入った仕事にならへん。」



「一生懸命にやってたら、神さんか何かわからんけど力を貸してくれるんやな。」



「まあ、90%は失敗するやろ。残り10%は勝算やのうて希望ですわ。」



日本の瓦工事技術者、日本伝統瓦技術保存会会長。奈良県生駒市に生まれる。

奈良の寺院や姫路城の修理に携わった。



小津安二郎さんの残した言葉【名監督】1903年12月12日~1963年12月12日



「男女の仲というのは、『男が夢を見るのをやめ、女が紅を差すのをやめた』ときは、あきらめろ。」



「男女の仲というのは、『予想がつく』ときは、あきらめろ。」



「いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、ドラマの本質は人格を作り上げることだと思う。」



「ぬくもりだの暖かさだの、そんなのはゴマカシですよ。僕は、人生の本当の姿を描きたいんです。」



「しかし、世の中なんて、みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな。案外、かんたんになるもんさ。」



「お茶漬けだよ。お茶漬けの味なんだ。夫婦はこの、お茶漬けの味なんだよ。」



「男女の仲というのは、夕食を二人っきりで三度して、それでどうにかならなかったときは諦めろ。」



「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。」



「映画はドラマだ、アクシデントではない」

(最後の言葉)



日本の映画監督・脚本家。「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。

「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。



中岡慎太郎さんの残した言葉【陸援隊隊長】 1838年5月6日~1867年12月12日



「正道を踏み、義を尽くすのが政府の本務である。戦の一字を恐れて、政府の本務を貶めるようでは、外国から侮蔑されて、却って、好親が敗れてしまう。」



「我輩同志の志を達する日を内にて待ち候ては、決して百年待てもその期これある間敷く。」



「非常の難を救う者は、非常の行なくんば有るべからず。」



「国家興亡は離同にあり、敵の強弱に関係せざるなり。」



「世間因循(いんじゅん)傍観区々として、只(ただ)人の失策を求め笑い、坐して天下の機会を失し甘じて人の後に落つ。」



「邑(むら)ある者は邑を擲(なげう)ち、家財ある者は家財を擲ち、勇ある者は勇を振い、智謀ある者は智謀を尽し、一技一芸ある者はその技芸を尽し。」



「学問を成し遂げる志を立てたのならば、目先の貴賤で心を動かされてはいけない。」



「実に天下、無茶苦茶に相成り候。言語に絶し悲憤極り申し候。天下挽回再挙なきにあらず、しかしながら、今しばらく時を見るべし。涙を抱えて沈黙すべし。外に策なし。」



「大君の辺にこそ死なめ大丈夫 都はなれて何か帰らん」



「俺らを暗殺にくるとは、刺客も偉い奴だな、勇気がある。」



「討幕のために、『戦』の一字あるのみ。」



「志とは目先の貴賎で動かされるようなものではない。今賤しいと思えるものが明日は貴いかもしれない。君子となるか小人となるかは家柄の中にない。君自らの中にあるのだ。」



「謙虚とは堂々として過信しないことだ。それは断じて卑屈であることではない。」



「他に策なし」



「涙を抱えて沈黙すべし」



日本の志士。陸援隊隊長。名は道正。通称ははじめ福太郎、光次、のち慎太郎。号は遠山・迂山など。変名は石川清之助など。

坂本龍馬らと共に薩長同盟の斡旋に尽力するも近江屋事件で横死した。贈正四位。


一休宗純さんの残した言葉【一休さん】1394年2月1日~1481年12月12日


「夫れ人間あり様 万事とどまる事なし もとより生のはじめを知らざれば 死の終をわきまへず。」



「有露地より無露地へかえる一休み 風吹けば吹け 雨降らば降れ。」



「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む。」



「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの。」



「借り置きし 五つのものを 四つ返し 本来空(くう)に 今ぞもとづく。」



「もし私の性欲を昇華して雅やかな歌にかえられるなら、その価値ははかり知れぬほどの黄金に匹敵するはず。」



「美人の陰部は水仙の香りがする。楚々とした腰に口づけしよう。もっと抱きしめて愛したい。」



「経文に気をとらわれてこだわりすぎると、有害なものになる。私も経にとらわれてしまって、犬や猫にも及ばない。犬でさえ仏殿に向かって、何の迷いもなく小便を引っ掛けるのに。」



「日々なすべき正しいことは、弓を引いて『心中の賊』を射落とすこと。今の世は仏と魔物が混ざり合っている。」



「世の中に我れぞ悟ると自慢して 名利求むる人の多さよ。」



「私は元々道に迷う凡夫であって、愚かな迷いが深いので迷っていることすら気づかない。しかし、悟りに至らなくても、もし道を求める心さえあるならば、自然に成仏することだろう。」



「わざわいというものは、元々福の裏返しにすぎず、福と禍は一筋の縄に過ぎないと信じる。」



「釈迦は、生まれつき偉い人のように思いがちだが、元々我々と同じような人間であった。しかし釈迦は6年間苦しみながら修行をし仏となった。そこが我々と違うのだ。」



「むさぼりと怒り・恨みの煩悩の根本は、言ってもしょうがないことを言って嘆くことにある。」



「私が詩づくりに励むのは自分への執着が強く、自分を偉そうに見せようとする煩悩があるからだ。注意しなければいけない。」



「世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬを待つばかりなり。」



「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ。」



「今日は大燈国師の命日の前日で本堂ではたくさんの坊主たちが、禅商売用の香を焚き、経を読んでいる。その声がうるさく邪魔になってしょうがない。私はちょうど美人との情事を終えたあとで、こっちの方が私には大事だと話していたところだ。」



「つまらぬ争いの根本は、永遠の過去から引き継いだ人間の愚かさ、つまり自分に執着する心情なのだ。それをいつまでも担いで歩けば重かろうに。蝶のあの軽々とした姿に比べて何と愚かなことか。」



「私の怒りや恨みや欲情も、出家する20年前と同じく今でもなくならない。汚れた俗世間から超越し一切の煩悩を断ち切ったはずなのだが、美人を見れば胸が高鳴ってどうしようもない。」



「世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来。」



「我はこれ何者ぞ、何者ぞと、頭頂より尻まで探るべし。探るとも探られぬところは我なり。」



「大空の月、もろもろの水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず、澄める水のみ宿りたまうがごとし。」



「彼の一仏は、水の器物に従うがごとし。陰陽寒熱の因によりて、種々変ずるがごとし。」



「今日ほめて明日わるく言う人の口。泣くも笑うも嘘の世の中。」



「この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん。」



「人間の有り様は、万事が止まることがない。生の始りを知らないと、死の終りを弁えない。やみやみ茫々として、苦しみの海に沈んでいく。」



「美人の淫水を吸い風流な情事を終わって三世の愛を誓う。私は生身のまま畜生道に堕ちたのだ。」



「偉い僧侶と同じだ。外側は立派だが中身は使い物にならない。」



「見たことも聞いたこともない。」



「悟りなどないということを悟った。」



「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。」



「自分の人生は、自分一代のものだ。」



「例えば人の父母は火うちの如し。かねは父、石は母、火は子なり。」



「詩を作るより、田を作れ。」



「袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願。」



「渇しては水を夢み、寒ずれば衣を夢み、閨房を夢みる、すなわち、余の性なり。」



「生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も。」



「世の中は食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ。」



「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一歩が道となる、迷わずゆけよ、ゆけばわかる。」



「自心すなわち仏たることを悟れば、阿弥陀願うに及ばず。自心の外に浄土なし。」



「正月は、冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし。」



「大丈夫だ、心配するな、なんとかなる。」



室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。

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