故人が残した名言集【12月20日】
山本健一さんの残した言葉【ロータリーの父】1922年9月16日~2017年12月20日
「部下がついてくるかどうかは、リーダーが苦しんだ量に比例する」
元旧海軍出身の技術者将校で、戦後東洋工業に入社し、開発リーダーとして世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した自動車技術者。のち同社代表取締役社長、最高顧問などを務めた。
ロータリーエンジンの開発には心血を注ぎ、胃に穴があき、歯が抜け落ちる程、体調に変化があったものの、決して開発を諦める事をしなかった。
1967年5月、バンケル式ロータリーエンジンを実用化し搭載車コスモスポーツを発売。ロータリーエンジンの開発成功に対し、欧米の自動車会社は「広島の奇跡」と呼び、賞賛した。
ミシェル・モルガンさんの残した言葉【フランスの大女優】1920年2月29日~2016年12月20日
「いつまでも新鮮な愛は、すこし冷たさも混じっている愛だけです。」
フランスの女優。イル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。日本語では他にミッシェル・モルガン、ミシェール・モルガンとも表記されている。
主に1930年代後半から1960年代後半まで活躍した。
パリ西部近郊ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。
15歳で女優になる決心をし、映画のエキストラをしながら、演劇学校で演技を学び、当時の著名なフランスの俳優レーミュ主演の映画“Gribouille”でメジャー・デビューをする。
岩崎俊一さんの残した言葉【コピーライター】1947年7月7日~2014年12月20日
「年賀状は、贈り物だと思う。」
「服は、肌より先に抱きしめられる。」
「ロケットも、文房具から生まれた。」
「人生は、冬ではなく、春で終わりたい。」
「雨の日の記憶は濃い。」
「少女は無口になった。夏の終わりだった。」
「コピーは、作るものではなく、見つけるもの。」
日本のコピーライター。
企業および商品の新聞広告・CF広告のためのキャッチコピー(タグライン)、ボディコピーを多く手がけた。
受賞歴は、TCC賞、ACC賞、ギャラクシー大賞、読売広告大賞、朝日広告賞、毎日広告デザイン賞、日経広告賞、カンヌ国際広告賞など多数。
すべてのコピーを生み出す際、「コピーは、作るものではなく、見つけるもの。」という考え方で臨んだという。
森田芳光さんの残した言葉【家族ゲーム・失楽園】1950年1月25日~2011年12月20日
「僕がずっと大切に考えてきたのは、人生の中に『山と谷』をつくるということです。たとえば画家のピカソも、僕が大好きなジャズのトランペット奏者のマイルス・デイヴィスもそう。彼らは年代ごとに新しいテーマを追って成功と失敗を繰り返し、それらが山と谷のようになって彼らの人生を起伏のある味わい深いものにしている。僕自身も、映画をつくるたびに新しいコンセプトの挑戦し、自分の人生の山脈を築いてきたつもりです。」
「ずっと山のてっぺんばかりを歩くような人生は、ドラマとして面白くありません。谷があってこそ山がある。味のある人生にするためには、谷底を経験することも必要だと思うのです。」
「何より大事なことは、ひたむきな向上心を持っているかどうか。そういう人は進化する可能性がある。」
日本の映画監督、脚本家である。
1981年に『の・ようなもの』で、長編映画監督デビューした。以降、シリアスなドラマから喜劇、ブラックコメディー、アイドル映画、恋愛映画、ホラー映画、ミステリ映画と幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表した。
音楽の大島ミチルとは、『失楽園』『模倣犯』『阿修羅のごとく』『間宮兄弟』など多数の作品で組んでいる。森田によると、大島とのやり取りは毎回「人に見せられないようなシビアな戦い」であるという。
青島幸男さんの残した言葉【作家】1932年7月17日~2006年12月20日
「面白がってやっているヤツと、苦労してやっているヤツと、どっちが勝つかな。やっぱりさ、面白がってやっているヤツにはかなわないんだよ。」
「なんとかなっちゃうもんなんだって、人生なんてものはさ。」
「ビールでも飲みたいね」
(家族へ)(最後の言葉)
日本の作家、作詞家、タレント、俳優、放送作家、映画監督、政治家。 参議院議員、第二院クラブ代表、東京都知事などを歴任した。
伊丹十三さんの残した言葉【映画監督】1933年5月15日~1997年12月20日
「既成概念に一撃加えることで新しいものが見えてくる」
日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。戸籍名は池内 義弘だが、家庭では岳彦と呼ばれて育ったため、本名・池内岳彦とされる場合もある。
映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。長男は池内万作。次男は池内万平。
岸田劉生さんの残した言葉【孤高の画家】1891年6月23日~1929年12月20日
「この世界を美しく見たいのは人類の意志である。」
「醒めよ、吾が冷き理性、醒めよ、吾が、強き意力、常に爾(なんじ)を欺(あざむ)きて、眠らせんとする、卑屈なる吾を鞭打て、吾は弱し、されど、吾は、吾自ら進まざる可らず。醒めよ!常に醒めよ!」
「自分の虚栄心は他人に対して、自分は偉い人間だぞと云いたがっている、それから、自分は世間的に名のひろまった、つまり有名な人間だぞと云いたがっている。」
「はぢめからやりなおほして、まっ向からわきめもふらずに突き進まなきゃ駄目だぞと思ふ。」
大正から昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。
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