故人が残した名言集【12月6日】
海老一染之助さんの残した言葉【太神楽師】1934年10月1日~2017年12月6日
「親父が終戦を迎えると『これからは、西洋から歌手や音楽の大家がやってくる。とても敵わないから、日本独特の芸をやらなくては駄目だ』と言って、私たちにお神楽を習わせたんです。」
「この三味線はお袋が使っていたもので、これしか残っていないんです。三味線としての価値はごく普通の三味線ですが、弾くたびにお袋の供養をしているような気持ちになってきます。」
「日本国中、世界の皆さまのお幸せを心から祈念して、まいります。『おめでとうございまーす!』」
(染太郎逝去の際、染之助は葬儀会場に居並ぶ報道陣の前で号泣しながら絶叫。)東京都新宿区出身。メインの曲芸担当。
テレビ東京の村井正信キャスターは息子。晩年は糖尿病を患い、それをテーマにしたコラムを書いていた。
日本舞踊では花柳錦蔵を名乗る。
染之助は滅多に怒らない人物で「ヨイショの染さん」と呼ばれていたが、後輩芸人が兄:染太郎に対し無礼な態度をとったときは、本気で激怒した。
しかし、言った本人は冗談のつもりであったため、怒られた時はおろおろしていた。
遠藤実さんの残した言葉【作曲家】1932年7月6日~2008年12月6日
「歌は心」
戦後歌謡界を代表する作曲家の一人である。東京府南葛飾郡吾嬬町に生まれ、杉並区南荻窪1丁目に居住していた。
作曲家として世に送り出した楽曲は5000曲以上と言われ舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。
また、遠藤本人が作詞も併せて行った作品も一部存在する。
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