三浦朱門さんの残した言葉【作家】1926年1月12日~2017年2月3日
「結婚は恋愛時代にはない要素を、それも素晴らしい要素をつけ加えてくれるが、それに伴う犠牲も要求するのである。」
「老人は手遅れとならないうちに、孫の世代に人生を教えなければならないのである。」
「そのような違いを認めた上で分かち合える共感が本物なので、それは皆同じだから仲良くしよう、といった偽善は友愛ではない。」
「今時の学校の教師が生徒たちに心の教育などができる訳がない。彼ら自身、皆同じ、皆仲良く、と教えられて大人になったのだ。われわれ老人だけが、この世は不公平であることを知っている。一人一人は違うのだし、その歩む人生も違う。」
「ゲートボールクラブを作るくらいなら、老人紳士クラブを作るほうが気がきいている。」
「最低の物質生活と淡々たる心境で真善美を求めることができるのが老人とすれば、老人こそ、まさに十九世紀の英国の紳士の役割を、わが国において担える存在ということになりはしないだろうか。」
「紳士にとって必死になってやるべきことは、一切の打算からはなれて、純粋に倫理的な立場にたつ、ということになる。」
「『故郷は遠きにありて思うもの』という有名な詩があるけれど、親子だって遠きにありて思うものである。」
「生涯の大事業のようにして、家を買うようなことはしないほうがよい。」
「第二の人生に必須なのは、何よりも遊び心なのである。」
「仕事、労働と道楽、趣味との違いは、それを楽しんでやれる心のゆとりがあるか、否かの違いに帰する。」
「第二の人生を歩むなら、第一の人生のことは、忘れるのである。」
「定年がくると嘱託という名前はくれるが、収入は激減する。年金と合わせてどうやら夫婦で暮らしてゆける程度もあれば、有難いと思わねばならない。」
「OLが優しくしてくれるようになれば、男はそろそろ身の振り方を考えたほうがよいのかもしれないのである。」
「人間、五十を過ぎる時、背広を新潮しようとするなら、果たしてこれは本当に必要なのか、自らに問いただす必要がある。」
「自分の引き際を決める、ということは、それまでの時間、お茶を濁していればよい、という意味では絶対にない。それまでは全力投球をするのでる。野球でもリリーフはリリーフとしての使命がある。」
「老人は働く必然のある間は従来通り社会的活動を続けるべきではあるが、その際、常に身を引くべき時を考えねばならない。」
「男は四十にして老いに志し、五十にして、老いの設計をせねばならない。」
「究極において頼りになるのは、体力と生活のための技術だけなのだ。」
「人間には未来を予測する能力がないことを言っているのである。確かなのは現在だけである。今日の貯金は、明日は紙切れになるかもしれない。それが歴史というものだ。」
「女性は他人の非には敏感だが、惚れた欲目というより自分の延長なのだろう。彼女がどんなに叱りつけても、罵っても自分の子供、自分の夫には寛大である。」
「すべての女性はダラシガナイのである。それは金にルーズだとかいう特定の問題でなくて、すべての分野にわたる。ただ、彼女らは自己反省型ではなく、他罰型である。」
「若くありたい、と思ったのではない。老人になっても能力のある老人でありたいと思ったのである。」
日本の作家。 日本大学芸術学部教授、文化庁長官、社団法人日本文藝家協会理事長、日本芸術院院長などを歴任した。
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