堺屋太一さんの残した言葉【小説家】1935年7月13日~2019年2月8日

「ペストなどによる人口の減少期にこそ、イタリアでは手工業が発達し、ヴェニスやジェノバの海洋商業が拡大、やがて来るルネッサンスが準備された。人口が減少すると生産性の低い土地は放棄され、都市に人口が集中、手工業や海運交易が盛んになったからだ。人口減少社会でも生産性の高い分野に人口と資本を移転していけば、さらなる経済と文化の発展は可能。」


「組織が死に至る病は三つ。①機能体の共同体化 ②環境への過剰適応 ③成功体験への埋没」


「人間はそれほど器用には変われない。生まれ育った環境や積み上がった記憶、身に付けた知識や技能、獲得した地位や資格などに拘泥するからだ。そして、その人間の集団である組織は、更に変わり難い。組織は過去の実績で組み立てられ、それぞれのポストを占める人々の利害に繋がれている。これから人生を始めようとする青少年は、このことをよく知っておくべきだろう。今を盛りと繁盛している組織や職業でも、30年のうちには衰亡する可能性は大きい。」


「いまの日本は様々な改革が必要ですが、各方面を説得し、実行するのはきわめて難しい。そこで必要なのは、すべての基礎、つまり世の中の基(もと)を変えることが必要です。崩れかかった大伽藍をあれこれ補修するのではなく、その基盤構造を入れ替えるのです。世の中の基礎中の基礎、それは人々の持つ価値観、何が楽しく、何が正しいかという価値観です。」


「官僚は政治家(大臣)の部下ではありません。官僚は官僚機構にのみ忠実なものです。政治が人気と腕力を失った結果、官僚主導が甦ったのです。」


「今や日本は世界一安全です。けれど、全然楽しくない。安全だけでいいなら監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、幸福を追求できる選択性がないからです。これからの日本は、『楽しい日本』『多様な社会』にしなきゃいけない。」


「官僚も普通の人。聖人でも悪人でもない。職場での居心地と将来の出世が気にかかる。それを決めるのは同じ府省に勤める仲間の評判だ。仲間の評判を高めるには、それぞれの府省の予算を増やし、組織を伸ばし、規制権限を広げることである。景気をよくし、経済を活発にする規制緩和に官僚たちが抵抗するのは当然だろう。」


「組織のリーダーや経営者は、自分が所属する組織が、『死に至る病』に取りつかれていないか、急いで総点検していただきたい。組織が「死に至る病」は三つしかない。膨大な財力があり権限も大きい組織が潰れる原因は、
①機能組織の共同体化、
②環境への過剰適応、
③成功体験への埋没、
である。」


「組織が死に至る病のひとつは、機能組織の共同体化だ。たとえば、官庁や軍隊、自治体、企業などは特定の目的のために設立された機能組織である。軍隊なら戦争に勝つ、官庁なら行政サービス、企業なら利益を上げるといった目的がある。ところが、組織が大きくなって強くなってくると、その組織は構成員のための共同体になってしまう。会社なら社員たちの共同体だ。したがって、当初の目的ではなく、社員の心地よさが求められ始める。そこでは、内部の競争がなく、人の和を乱すような個性的な行動や特異な発想は嫌悪される。官僚や潰れる心配のない大企業の社員の間では、『大切なのは報・連・相』といわれた。何ひとつ価値を生まない組織内の情報交換が重要な仕事となったのだ。そんな組織で新たな価値をつくり出せるわけがない。」


「ビジネスマンの皆さん『わが社は大丈夫』と思ってはいけない。公務員諸君『親方日の丸だから』と安心してはいけない。静かに貯金するより勇を奮って改革に励もう。」


「副業、二つ目の仕事を認める利点のひとつは、二つ目の仕事を通じて別業態・別組織の人々と触れ合うことで、本人の知識も組織の情報も拡大すること。時にはそんな人脈が役立つこともある。」


「いまや日本は人を呼ぶ事業ができない。モノづくりには熱心だが、そのモノづくりが韓国や中国に追いつかれたから、いまや日本は危機的な状態にある。規格大量生産で集中して作ってたくさん売ったらいいという時代には、日本の集団主義でよかった。しかし、独創的な技術で多様な製品を作る時代になると、どんどん世界から立ち遅れることになってしまった。再び日本も人を呼べる国になることを真剣に考えないといけない。」


「『人を呼ぶ』には、まず志を立てないといけない。誰が何の目的で何をするか、志を明確にする。その次にコンセプト、何が中核か。どういう仕掛けで動かすか。優秀なブレーンが正確なコンセプトを作って、それに従って基本計画を立てる。」


「雛形を学ぶと模倣になり、独創性が排除される。定型になってきて、その定型を遂行する組織が無責任な下請け回しを行う。」


「新規事業を興して成功した者は称賛され、後々まで名が残るが、害を除き、事を省いた者の功績が語り継がれることは珍しい。蒙古帝国の功臣耶律楚材(ヤリツソザイ)の言葉にあります。『一利を興すは一害を除くにしかず、一事を生むは一事を省くにしかず』一つの利益を新しく起こしても、ひとつの損害を取り除くことには及ばない。一つの新しい事業を始めても、一つの余計な仕事をやめるほどの効果はないという意味です。」


「利益の出る新事業をはじめるよりも、以前からやっている儲からない部門を縮小整理する方が大切だというんですね。いわば積極的な省事。これは勇気のいる難しい仕事なんです。だからこそ、それを成した者は高く評価することが大事です。」


「知価ブランドの商品値段は高額です。『そんなものにお金は出せない』という人も出てくるでしょう。その一方で、知価ブランドが提供するイメージに共鳴した人は、高い意思決定コストを乗り越えるだけの強い思い入れがあるぶんだけ、そのブランドを手にすることで『他の人とは違う』『いつもとは違う』という、非日常的な経験を味わえるのです。」


「戦後の日本には、武人の文化がなくなってしまった。そのため、決断、勇気、大胆、覚悟といった武人的美徳まで消えてしまった。」


「戦後の日本ほど経営者が重んじられた国は、人類の歴史上でも珍しいだろう。国家の要職、重要審議会の座長や大型財団の会長、国民的な行催事や大規模国民運動の代表などには、多くの財界人、つまり経営者の大物もしくはその卒業生が就いた。経営者は世間で尊敬される立場だったのである。」


「(80年代から始まった)知価革命によって生まれた社会は、すべてはマーケット・オリエンテッドなのだ。誰がメインイベンターになるか、誰が高収入を得るかは観客(消費者)が決める。だから、観客を集められる者、つまり自由市場において売れる者こそが勝者である。」


「日本式経営を支えたのは三本の柱である。第一の柱は『閉鎖的雇用関係』、年功序列、終身雇用、企業内組合である。第二の柱は『先行投資型財務体制』である。企業は配当や賃金を低めに抑え、内部留保を厚くして先行投資を行った。第三の柱は『集団的意思決定方式』だ。意思決定に時間はかかるが不満はない。社長が決断を下すころには、全社員が内容を知っている。だから『決定は遅いが、実行は速い』という日本的特徴が生まれた。」


「官僚主導業界協調体制のシンボルは経団連であり、日本商工会議所である。大企業の経営者はその役員となって業界世話役の『財界人』に変身すると同時に、古巣の企業にも影響力を残して、交際費や団体への会費・協賛金を提供した。個人の収入と資産の乏しい戦後日本では、これが社会の最上部を形成した。」


「80年代に日本が築き上げた『完璧な近代工業社会』とはどんな仕組みだったのか。そこには『官僚主導業界協調体制』『日本式経営』そして『核家族職縁社会』という『工業社会のトライアングル』ができていた。」


「戦後の日本は、いわば『ええとこ取りの体制』だった。西側の技術を導入し、自由貿易で豊かな資源と広い市場を得た。その一方で、官僚主導で企業を保護し、過当競争を避けて効率的な資源配分を官僚に期待した。通常、このようなやり方では官僚的硬直と自己満足に陥るものだが、輸出競争と技術導入がそれを防いでくれた。」


「戦後の日本は自由主義の旗を掲げながら、実際には官僚主導業界協調体制をつくった。それは、実現社会の動きとしては全体主義統制経済の方に近い。日本が『最も成功した社会主義国』と言われたのも、故無きことではない。」


「いつの時代にも変化はある。企業は盛衰し、技術は革新され、人事は代わり、流行は変化した。だが、80年代から始まった変化は、技術進歩や規模の拡大といったものではなく、文明の根源をなす倫理と美意識を一変させるものだった。スポーツでいうならば、技術の進歩でも、ルールの変更でも、選手や観客の交代でもない。競技そのものが変わったのである。あえて言えば、大相撲からプロレスに変わったようなものだった。」


「歴史はその最終段階だけが重要なのではない。経営者の評価や財界人としての基準も変わった。80年代までのヒーローの中にも『墜ちた偶像』が何人もいた。その一方でまた、新しい経済のスターが現れつつある。没落した経営者が、その得意の絶頂で何を語り、何を誇ったか、それを読むのもまた興味深い。」


「経済格差があることがいいことか、悪いことか、これは難しい問題です。格差=悪と決めつけることは、ある一定の生き方、働き方を強要することにもなりかねません。誰もが正社員になって終身雇用で働いていた時代は、確かに格差は小さかった。でも、正社員と同じ給料でなくても、その分時間が欲しいという人もいるでしょう。働き方、生き方を自由に選べる社会では、結果として経済(所得)格差は残る。これは仕方がないことです。」


「何でも自分で決められる、ということは、自分で決断することに慣れていない人にはつらい。籠の中に飼われていた鳥は、籠から急に出されたらどこへ行っていいかわからない。」


「産業革命以来ずっと近代思想の根底にあった『物財が多い方が人間は幸せだ』という考え方。モノをたくさん作るのは正義だ。そのためには規格大量生産が一番いい。その結果、日本は自動車や電気製品に代表される規格大量生産が世界で一番上手な国になった。ところが人類の文明思想は80年代に大転換し『本当に物財が多いことが人間の幸せだろうか。満足が大きいことが幸せではないか』という方向に変わってきた。」


「我々の若いころは、感情論で話をすることは恥ずかしいことでした。たとえば会議で同僚から『君の意見は感情的だ』と言われると『違います、データがあります』なんて言い訳をしたものです。ところが80年代以降は、『あなたの言っていることは単なる数字。住民感情はそんなもんじゃない』と言われたら一発で負けなんです。主観や感情が科学的数字に勝つようになってしまった。」


「企業も、労働者側の多様性に応じた仕事を提供していかなければならない時代が来たのではないでしょうか。教育についても戦後教育は全部、供給者サイドの発想で考えられたものです。これが大きな問題ですね。」


「最近の若い人の中には、勝手なことをしたら会社の上司に叱られる、組織で嫌われるとか、非常にリスクを恐れる人が多いように思います。ですが、幕末の志士の半分は、志半ばで死んでいるのです。いまは殺される心配はないのですから、少しぐらいのリスクは恐れずに世間に挑んでください。」


「明治維新のような大改革がなぜ起こったかというと、『武士は偉くない』とみんなが気付いたからです。それまでは、武士は剣術の鍛錬をしていて、きちんとした学問も受けていて、伝統的な様式美も守っていたから偉い、立派だと思われていた。ところが黒船が来たときに、武士の剣術や学問は時代遅れのまったく役にものであることがわかってしまいました。」


「受験の影響というのは、本当に強くなっていると感じます。もちろん、すべての東大生がそうとは言いませんが、『私は東大入試に合格しました。だから同世代で最高に優秀だ』というように、受験による基準がすべてになっています。こういう人たちでは、何も新しいものは生み出せません。」


「日本の歴史を振り返っても、大きな変革は、それまでにあった価値観をすべて否定することから起こっています。」


「経営者は、この20年間とってきた昔ながらの考え方を捨てなければならない。大量生産、合理化、安売りではなく、いかに多様で新しい価値を生み出していくかに心血を注いでほしい。そこにしか、日本が浮上する道はない。」


「経営者やビジネスリーダーは、官僚の言葉を聞いてはいけない。財界でも官民協調路線で事業を展開してきた大企業は全部衰退している。ゼネコンは冬の時代が長引き、多くの家電メーカーは赤字に苦しんでいる。官僚が指導しなかったことをした会社が伸びているのは厳然たる事実といっていい。」


「個人も組織も、ひとつのことが成功すると、同じことばかりを手がけたがる。イギリスのことわざに『競馬のやりはじめに大穴を当てた者は破産する』というのがある。万馬券に味を占め、大穴狙いがやめられないからだ。」


「過去の大事業も、それが成し遂げられる前は『ばかばかしい、不可能だ』と思われていたようなこと。ばかばかしさを楽しむことを忘れなければ、社会も人も変わっていく。」


「『日本衰退』の基は個々の組織の衰えである。経済であれ、社会や文化であれ、『全日本』はこの国の個々の組織と個人の総和である。」


「実務の世界ではよく『現実的』という言葉を使うが、現実的とは『目的を達成し易い』ことであって『着手し易い』ではない。」


「組織に嫌われるのがイヤなようでは、大したことは出来ません。」


「『やる気のある者が報われる』のは、経済に必要な仕組み。」


「組織は個人よりも変わり難いものだ。」


「仕事というのは、自らを高める修行である。」


「就職における最も危険な間違いは、好きかどうかでなく、有利かどうかで選んでしまうことです。」


「就職における最も危険な間違いは、好きかどうかでなく、有利かどうかで選んでしまうことです。」


「時間が忘れられる仕事を探しなさい。」


「人間にとっても組織にとっても、理想を知ることこそが理想を実現する第一歩である。」


「幸せというのは、環境と希望の一致です。」


「好きなことをやらないと必ず後悔しますよ。」


「好きなことを見つけることこそ、人生で一番の仕事である。」


日本の元通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。

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